2015年11月16日月曜日

話し手と聞き手のズレの正体

話し手の意図していることを聞き手に伝えることはとても難しいことです。

それにもかかわらず、話の手の立場としては当たり前に伝わっていると思ってしまっていることがあまりにも多いのではないでしょうか。

とくに、相互の間に上下の関係がみられる場合においてはこの思い込みにさらに拍車をかけている場合が多いと思われます。


日本語の感覚としての美徳と言われることに「行間を読む」「以心伝心」「一を聞いて十を知る」などがあることは間違いありませんが、どれをとっても聞き手の側の態度や能力について言っていることです。

上下関係の上側にいる者にとっては都合の良いことだけであり、自らが努力をして意図を伝えるという態度を欠かせる原因ともなっていると思われます。


上下関係の下にいる場合には、聞き返したり別の方法で確認することが失礼にあたるのではないかと言うおかしな感覚があることも確かです。

それがために、自分が下の立場になった環境では一生懸命に理解しようとする姿勢を持っていても、上の立場になった環境では伝えて理解してもらうための努力を欠いてしまうことがよく見受けられます。


これは話し手が下の立場であったとしても見受けられることであり、上の立場の人に理解してもらうために多くを語ることは決して褒められることはありません。

短い言葉で伝えきることをもって良しとされることが現実になります。

つまりは、話し手としても聞き手としてもその会話を理解しやすいようにするための努力は常に立場が下であったり弱者であったりする方が責任を負うことになってしまうのです。


聞き手としての場合は、短い時間における少ない情報量の中から的確なことを推測しなければなりません。

話し手の立場としては、短い時間において少ない情報量のなかで的確な内容を伝えなければなりません。

そしてほとんどの場合において、その場において伝わった内容を確認する機会はないことになります。


したがって、コミュニケーションにおけるミスの責任は立場の弱い者の方に押し付けられるのが普通のこととなってしまいます。

これを回避するためには、立場の上の強い者の方が内容を確認するという行為を率先して行なわない限り難しいことになります。


日本語の感覚としては、公的性が高くなればなるほど双方の間に上下の関係が明確に存在するようになります。

その関係をいち早くお互いに築き上げることが交渉ごとがうまく運ぶための前提でもあります。

両者が対等の関係にあって伴に協力し合うという関係は、お互いに不安定なものとして感じてしまうのです。

自分がどちらに相当するにしても上下、主従、本属の関係が明確になることの方が落ち着いた関係となるのです。


さて、話し手は考えたこと思ったことを言葉として発しています。

ほとんどの場合は、発せられる言葉は推敲され練られたものとはなっておらず考えたことや思ったことがその場で話し手の言葉として発せられたものとなります。

言い方を変えれば、話し手の思考が話し手の持っている言葉によって発せられたものと言うことができます。


そこで発せられた言葉は話し手が持っている思考の中での意味を与えられたものなっています。

思考のツールとしての漢字はとても便利なものですので、ほとんどの場合は思考という知的活動においては漢字が大活躍をしています。

思考のほとんどは単語による関係性の構築になりますので文法を意識することはありません。

したがって、専門用語としてのカタカナやアルファベットを含めて漢字を中心とした単語が溢れることになります。

ひらがなの出番はほとんどないと言ってもいいのではないでしょうか。


そこで構築された単語同士の関係を他者に説明する場合には、関係性を説明しなければなりません。

そこでは文章として時制や関係性を中心とした表現が必要になります。

助詞や語尾変化や接続詞が重要な役割を演じることになります。

それはひらがなの役割になります。


話し手が使用する大切な言葉のほとんどは漢字やカタカナ・アルファベットになります。

その言葉をつないで関係性を表す役割がひらがなです。

発している方は漢字やカタカナ・アルファベットをイメージして発していることになります。


ところが、これを聞き手が受取っているのはすべてひらがなの音として受け取っているのです。

話し手が思っているような漢字やカタカナ・アルファベットとして受け取っているわけではないのです。

会話における受け取り方はすべてひらがなの音としての受け取り方しかないのです。


発している話し手ではひらがなの音としてしか受け取っていないことを理解することはまずできないのではないでしょうか。

それは、自分が聞き手の時もひらがなの音としてしか受け取っていないことを意識していないからです。

一般的には、聞き手はひらがなの音として受け取ったものを瞬時に漢字やカタカナ・アルファベットに変換して理解しています。

その音だけで確定できない場合には前後の理解などから推測して置き換えていきます。


話し手の思考 → 話し手の言葉 → ひらがなの音 → 聞き手の言葉 → 聞き手の理解

話し手の言葉と聞き手の言葉の間にはどうしてもひらがなの音が介在しているのです。

話し手の言葉(漢字・カタカナ・アルファベット)は直接的に聞き手の言葉になるわけではないのです。

そして、このひらがなの音はお互いが意識していないものとなっているのです。


話し手の意図と聞き手の理解がずれる原因は何か所かあります。

話し手側では、意図がそのまま言葉になっているのかどうかが最初のチェックポイントです。

意図を伝えるのにふさわしい言葉であるのかどうか、ふさわしい言葉であればその関係性を表現する文章がふさわしいのかどうか、そこまで含めて意図がきちんと表現されているのかどうかということになります。


今度は、聞き手側の問題です。

伝わった言葉が話し手と同じ言葉に変換されているのかどうかというチェックポイントです。

伝わっているのはひらがなの音として伝わっていますので言葉ではありません。

それを言葉に変換する行為が必要になります。

発したものが意図した言葉に変換できているのかどうかは、ひらがなの音からの変換がどのようにできているのかが大きなチェックポイントになります。


更には、変換された言葉が同じであったとしてもその言葉の意味として理解していることが話し手が求めている内容とあっているのかどうかということもポイントになります。

この段階のチェックは日常的に行なわれていることが多いのではないでしょうか。

いわゆる同音異義語の確認や言葉の意味の確認などですね。


ズレが発生する可能性があるところが何か所かあるために、ひらがなの音による伝達にあまり注意が向かないことになっているようです。

両者がつながっているキーになるものがひらがなの音であることを分かってくると、話し手も聞き手もひらがなの音として意識をするようになります。

とくに話し手にとっては、ひらがなの音で伝わっていることを意識することは聞き手の理解を助けるためのとても大切なことになります。


文字として書いた場合には言葉はそのまま言葉として相手に伝わっているためにひらがなの音を意識することはないと思われます。

それでも読み手が言葉の意味を理解する場合には頭の中でひらがなの音としての「ことば」に置き換えていることが分かっています。

文字としての意味は同じようなものとして理解していても「ことば」としては一人ひとり微妙な感覚的な違いを持っていることになります。

同じ文章を読んでも受け取り方が人によって異なるのは当たり前のことですね。


話し手と聞き手の間でも意識をしていなければ言葉同士で交換しているように思いがちですが、そこにはひらがなの音が間違いなく介在しているのです。

このことを理解しておくだけでも話し方が変わるのではないでしょうか。


冒頭にあったように、日本語の感覚では聞き手の能力に頼ることがとても多くなっているのです。

教育そのものがそうなっているのです。

人前で話すことやプレゼンテーションが苦手なように教育を受けてきているのです。

どの様に相手に伝わっているのかを意識することで話し手の方の能力を上げることができるのではないでしょうか。

聞き手としてはたくさん鍛えられているのですから、話し手としてひらがなの音を意識しておきたいところですね。


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