2016年6月22日水曜日

四種の文字と一種の音

私たちの情報伝伝達における中心的な方法は文字による表記と話し言葉による二種類になります。

これは日本語だけに限ったことではなく文字を持つ言語にとっては当たり前のことだと言えます。

もちろんその前提には文字を持った言語は必ず口頭言語としての音による表現も同時に持っていることになります。


言語の成り立ちからすれば口頭言語の存在の方が文字よりも先にあったことは明らかであり、それは文字を持たない言語の存在からも確認されていることでもあります。

現存する多くの言語が文字の持っている役割として音を意味する発音記号的な役割である表音文字であることが日本語や中国語との特徴を異にすることになります。

文字として単独で意味を持つ表意文字は現在において日常的に使用されている文字の中では漢字だけだと言われています。

文字自体が意味を持っていることから、言葉としての音が分からなくとも漢字という文字のみによってその言葉が持っている意味を理解することが可能となっています。

そのために、話し言葉としての伝達方法よりも文字による伝達方法の方がより精度の高いものとなっていることになります。


表意文字を持っていない言語においては文字にして記録することに対して日常的な場面においてはそれほど重きを置いていない傾向があります。

後で確認が必要となることや記録として残しておく必要のある内容についてのみ文字化している傾向があり、実際の情報伝達においては口頭表現のウエイトが多くなっていると思われます。

そのために、書くことよりも話す技術の方が重要視されておりかなりの教育レベルを修了した者であってもスペルのミスは散見されることがあります。

読む技術は話すために必要な技術であり一緒に扱われることが多いですが、書く技術とは一線を画したものとなっている場合が多いようです。


見た目からわかる日本語の特徴として使用している文字種の多さがあります。

ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットの四種類が日常的に使われています。

漢語・漢文的な表現ができる人にとっては漢字だけで表現することも可能ですし、ローマ字であればアルファベットだけで表現することも可能なのが日本語です。

その意味では、四種類の文字のすべてで単独での日本語表現が可能な文字であると言うこともできます。


しかし、敢えて日本語の標準表記方法を撰ぶとしたら漢字かな混用表記ということになるのではないでしょうか。

その基本形に対してカタカナやアルファベットを必要に応じて使い分けしているということだと思われます。

そのようにして見てみると、日本語になり切っていない言葉や外来語の表記についてはカタカナやアルファベットで行なわれていることが分かってくると思われます。


もともとは外来語であっても漢字やひらがなで適切な日本語表現がなされた言葉については、明治期に大量に生み出された言葉のように日本語として定着しているものだと思われます。

日本語として定着しきれなかった言葉や適切な日本語に翻訳できなかった言葉、あるいは本来の言葉が持っているニュアンスを上手く日本語にできなかった言葉などがカタカナやアルファベットで表記されているのだと思われます。


特にアルファベットについては元の言葉がアルファベット言語で表記されたいたニュアンスをそのまま伝えたいときにはよく使われるのではないでしょうか。

使い始めの場合においてもいろいろ試した日本語での表記に対してどことなく違和感を感じるために原語表記を残しておきたくなるのではないでしょうか。

それだけ原語のニュアンスに対しても敏感になってきて違いを感じられるようになってきているという証でもあると思われます。

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文字表記上の四種類の文字の使い分けはコピーライターは勿論のこと一般的な表記においても気にしていることではないでしょうか。

伝える相手を考慮しての言葉の選択は当たり前にしても、決まった言葉に対しての文字の選択にも自然と注意を払っているのではないでしょうか。

表記文字を一種類しか持たない言語に比べると余分な活動であり手間であると言うこともできると思います。

また、それだけ同じ言葉に対しての表現が豊かであるということでもあります。


文字を一種類しか持たない言語に比べると表現が豊かであるが故の問題も存在していることになります。

それは、文字上では四種類の文字の使い分けによるニュアンスや感覚の違いを表現できる豊かさがあったとしても、その言葉を話したときには文字の種類による違いを表現できないことがあります。

話しことばとしての日本語が持っている音は一種類でありそれは四種類の文字の違いを表現できるだけの音になっていないということです。


話しことばとしての日本語が持っている音は「ひらがなの音」だけになっています。

それは言文一致の政策としてひらがな五十音が定められた時からまったく変わっていないことになります。

ひらがな五十音と言っても実際の音は五十音表に載ってる46音になります。

それ以外に明確に異なっている音としては濁音・半濁音の25音ではないでしょうか。

その他の音はこれらの音の組み合わせとしてのバリエーションと言えると思います。

つまりは「ひらがなの音」は基本音71音でできていることになります。


小さなひらがなで表されるような音は単独の音としてよりも基本音の言い方のバリエーション(長短や音便など)として扱うことの方が適していると思われます。

そのようにしてみてみると、日本語は世界の現存する言語の中でも極めて音数の少ない言語であることが分かります。


同じ漢字を使っている中国語を見てみると、母音だけでも36音あり音数の合計ではゆうに400音を超えるものとなります。

英語の場合にはいくつあるのかさえわかりませんが2,000音以上はあると言われています。

同じような基準で小さなひらがなまでも入れても120音あるかないかといったところが日本語の音です。


中国語も英語も表記文字は一種類です。

どちらもあまりに多い音に対して発音記号を持っているのも共通していることかもしれませんね。

基本的には文字(単語)と音が一種類ずつしかない言語だということができます。

文字にして表現しても言葉として話したとしても表し方は一種類しかないことになります。

したがって、文字表記と話し言葉が同じ理解をされることになり、そこにはほとんどギャップが存在しないことになります。


ところが日本語はニュアンスや感覚が異なる四種類の文字表記が可能にもかかわらず話しことばとしては一種類しか持っていないことになります。

話しことばでは文字の種類の違いの感覚を表現することは出来ないことになってしまいます。

しかも圧倒的に少ない音数で表現するとんでもない豊かな表現には、必然的に同じ音によって表現される言葉が出てきてしまいます。

いわゆる、同音異義語です。

異なった漢字で読みが同じものだけが同音異義語ではないのです。


四種類の文字と一種類の音との間には大きな表現力の違いが存在していると思われます。

ある程度の教育を受けた者は日本語を言葉として理解しているのは文字によって行なっています。

多くの同音異義語から適切な言葉を見つけるのは文字の違いによる意味の違いを理解しているからです。

人の話しを聞いた時には行なっているこれらの活動は、自分が話すときにはどうなっているのでしょうか。


文字になっているものと聞いているだけのものとの間には大きなギャップが存在しているのが日本語だと思われます。

それを意識しないで伝達が行なわれていることはどこかでもの凄い知的活動が無意識に行なわれているのでしょうね。

これだけ文字を使いこなしている日本語はやっぱり大きな言語だと思います。

日本語だけの環境にいたのでは分からないことかもしれないですね。



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