2016年6月24日金曜日

母から学んだこと

昔から母親によく言われたことがあります。

私の母親は自力で大学を卒業し社会に出て優秀な男性と仕事をする機会が多かったようです。

しかも、母親のやっていた仕事の関係から役人としての優秀な人と民間における優秀な人の両方に出会う機会があったそうです。


役人として優秀だと言われている人と民間で優秀だと言われている人では明らかにその基準に違いがあると感じていたそうです。

役人としての優秀さの基準は実務処理能力の高さであり、そこには優先順位のつけ方と処理の速さは驚くべきものがあったそうです。

一見そのように見えなくとも、自分の持っている能力のすべてをこのために集中したような鋭さと判断力であり、実際に一緒に仕事をしていると間違いなく凄いと感じるのだそうです。


民間での優秀さの基準は広い対応能力であり、対人処理を含めてそつのなさやとりあえずまとめるための調整能力が求められていると感じていたそうです。

それは見た目にも現れていることが多いと思っていたようです。

それぞれの能力に秀でた人はあの時代にあっても学閥や人脈に関係なく比較的早くに出世していったそうです。

役人と民間では明らかに求められている能力が違うのだなと感じていたようです。


その中でも両者に共通して本当に優秀な人が持っていた能力があるそうです。

それは、説明することに対しての分かりやすさです。

それも説明する相手に合わせて選択する言葉や例えなどの使い分けは本当に見事だったそうです。


とくに役人においては自分たちよりもより専門性が高かったり社会的立場が上であったりする場面での話しが多くなるために、そのための説明内容にはかなりの気が使われています。

その分、一般に対しての説明については自分たちの専門性を強調した用語の使用や言い回しが多くなり配慮がされていないことが多くなっています。

本当に優秀な役人は自分よりも専門性に欠けると思われる一般人や同僚に対しての説明においても相手の理解しやすい話し方をしていたそうです。



わたしが小さなころより母の口癖がありました。

本当に頭のいい人は難しい言葉を使わずに誰に対しても分かりやすい言葉を使って話しをするということでした。

このことが母が人を見る一つの基準になっていたように思います。

とくに名前の通った人がテレビなどで話している内容については常にこの基準で判断していたように感じています。


誰に対しても分かりやすい話しをするやり方というのは存在するのでしょうか?

伝える対象者には資料を送りつけるような一方的な説明では分かってもらうことは難しくなります。

分かってもらうということは単なる内容の理解ではなく、理解した後の行動をも含めて納得してやってもらうことにあると思われます。


上意下達の環境が長い日本においては組織的に通達をすれば、それぞれの役割において行動することが当たり前でした。

また、その内容を斟酌して自分が求められている行動をすることが当たり前と思われていました。

それが役人にしても民間にしても組織に所属しているということでもあったと思われます。


ポジションにおいて仕事として行なわなければならない業務が定型的に決められていた環境においては上意下達は極めて有効に機能していたと思われます。

その場合には業務の内容とポジションを決める立場の人と実際の業務を行う立場の人との明確な機能分化が行なわれます。

しっかりと分けることによって効率化と責任の所在がよりはっきりとすることになります。

近代文明の求めていた効率化にはもってこいのやり方でした。


分かってもらうことの目的は理解してもらった内容に応じた行動を起こしてもらうことです。

内容が理解できただけでは分かったことにはなりません。

分かりやすい話しとは行動が起こしやすい話しということになります。

行動を起こすためのきっかけは環境によって人によって様々になります。

更に、刻々と変化もしていきます。


単なる知識として吸収しているだけでは現実には役に立たないノウハウコレクターとなってしまいます。

アウトプットとして行動していくからこそ役に立つものとなっていることになります。

行動のための知識でありきっかけを相手が分かるように話すことが求められていると思われます。


行動をすることによって何らかの結果が出てくることになります。

求めていた通りの結果が出ないことによって更なる工夫と行動が生まれてくることになります。

知識のなかで考えているだけでは結果は出てきません。

経験や知識を基にして勝手に結果を想像することはいくらでもできますが、それは現実のものではりませんしその通りになるものでもありません。


誰に対しても分かりやすい話しをすることはとんでもなく難しいことです。

結果としての行動を求めているのですから、相手の精神状態や理解できる表現を選び抜かなければなりません。

相手が大勢になればなるほど行動をしてもらうことが難しくなるのは当たり前のことですね。

わりと頻繁に経験することではないでしょうか。


話しをする前に相手に何をして欲しいのかを確認することはとても大事なことになります。

行動を求めない話しは気を使う必要がないことにもなります。

井戸端会議や茶飲み話も何らかの行動を求めていることになるのではないでしょうか。

それは楽しい会話を続けるという行動を求めているのかもしれません。


伝えた方としても実際の行動や結果を見ることによって初めて伝わったことが分かることになります。

人の話を聞いたらお礼を伝えることでも構わないので何らかの行動を起こすことを習慣付けていきたいものです。

分かりにくい内容を確認することも立派な行動になりますね。

伝えてくれた相手に見える行動というものも大切にしていきたいものです。

伝えたほうにとっては内容を理解してもらうことよりも内容に基づいて行動してくれることの方がずっと嬉しいことですから。



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