2016年6月14日火曜日

母語とバイリンガルの関係

最近はほとんど聞かなくなった言葉にバイリンガルがあります。

以前にはバイリンガルについて投稿したときには反応の大きさに驚きもしました。
(参照:バイリンガルの知能は低い?

当初は二つの言語を同様に扱うことができる能力だと思われていましたが、そんなことはありえないことが分かってきたためにバイリンガルという言い方そのものが相応しくないと言うことなのではないでしょうか。

それと同時にさらに母語に対しての認識が広まってきたように思われます。


母語も母国語ももともと日本語にはなかった感覚であり言葉です。

英語のmother tongue を日本語に訳したものが母国語と言われていたものです。

最近ではすっかり使わなくなった言葉です。


代わりに母語という言葉が使われるようになってきました。

元の言葉が変わったわけではありません。

英語ではもともとmother tongue で何も変わっていないのですが日本語の解釈として母国語が相応しくなくなったと言うことで母語という言葉の方が使われるようになりました。


たしかに、その人の基礎となっている言語には国は全く関係ないわけでして母国語というわけのわからない言葉を使うよりははるかに良いことだと思われます。

母語については何度も触れてきていますので過去の投稿のラベル「母語」を参考にしていただきたいと思います。
(参照:言語習得における母語の重要性

母語が英語である人たちはあらゆる場面で他の言語のことを気にする必要がありません。

それは、英語が世界の共通語としての立場を確固たるものとしてきており公用語としてあらゆる場面で使用されているからです。

したがって、英語を母語とする人にとって第二言語は個人的な趣味やより深い関係を構築するためのものでしかありません。


ところが英語を母語としていない人たちにとっては国を超えた交流においてはメインの言語として英語が必要になることが多くあります。

自ら望まなくともSNSやコンピュータの上では触れざるを得ませんし知らないうちに英語環境に入っている場合も少なくありません。

英語を母語として持たない人にとってはレベルの差こそあれ英語とのかかわりを避けて生きていくことは不可能になっている現状です。


母語以外での知的活動が母語で行なう知的活動よりも劣っていることは当たり前のことですし、いたるところで実証されていることでもあります。

英語が世界の共通語としての立場を強めるほど英語を母語とする者にとっての優位な環境が広がっていくことになります。

一つのことを専門に行なっている場合の質や効率に比べると二つのことを行なっているときは片方あるいは両方の質や効率が著しく劣るのは何事に対してもあてはまることですね。


英語が世界共通語としての立場を強固なものとしてさらに拡大していることは決して自然の流れではなく、英語を母語とする者たちの戦略によるものです。
(参照:英語圏の言語戦略

この戦略に乗せられてしまって自らの母語による本来の力を発揮できなくさせられている現実はなかなか気がつきにくいものとなっています。


英語圏の戦略としても全方位的に行なっているわけではなく、彼らが競争優位を確保しておく必要がある分野においてより強力に推し進めておりその他の分野においてはむしろ相手をたたえる態度を見せているのです。

英語という交渉ツールが指定された環境においてはその時点で英語を母語とする者が最も有利な立場にいることになります。

国際交渉の場においてはどんなに英語が理解できたとしても母語以外を使用しない交渉が行なわれている現実は大きなヒントを与えてくれるものでもあります。


使えないことと使わないことは大きく意味が異なります。

日本語を母語とする者にとってはいかなる知的活動も日本語で行なうことが良いに決まっています。

それを敢えて英語で行なおうとすることは自ら知的活動のレベルを下げていることに他ならないからです。


友人としての会話や共通の趣味としての会話であればどんな言語を使おうとも有利不利は関係ないと思われますが、駆け引きが存在するような交渉においては使用する言語は大きな影響力を持ちます。

世界中のあらゆる機関において一切の公用語としての立場を持たない日本語は、それだけで日本語を母語とする者にとっては難しい交渉環境にあることになります。

交渉の場面の公用語が相手の母語であることはそれだけで負け戦を覚悟しなければならないことになります。

それだけ母語で交渉できることのメリットは計り知れないものがあるのです。


いかに第二の言語を使いこなせたとしてもその言語の感覚を使いこなすことは出来ません。

第二の言語を使いこなしている力が母語によるものだからです。

母語で理解している第二の言語を母語の感覚で使っているからです。


第二の言語を理解するという知的活動は母語で行なわれてることになります。

必ず翻訳と言う知的活動が行なわれているのです。

生まれてひとたび身についた母語は生涯書き換えることは出来ません。

他の言語を理解して使いこなすという活動は母語によってのみ可能となっているものです。


母語は単なるコミュニケーションのためのツールではなく知的活動の唯一のツールであり感覚でありその人そのものでもあるのです。

バイリンガルとみえる人は言語翻訳における母語のレベルが鍛えられた、翻訳効率の高い人でしかないのです。

どんなに効率のよい変換が行なわれたとしても元の母語による知的活動にかなうわけがないことが分かるのではないでしょうか。


母語による知的活動をレベルアップしていくことこそが必要なことになります。

その一環として他の言語を理解し使いこなすことも必要になってくることになります。

そしてその言語は実用を考えた時には世界の共通語としての英語を選択せざるを得ないことになるのではないでしょうか。


2020年に向けて再び英語習得がブームになりつつあります。

母語のレベルに応じた言語習得しかできません。

画一的なカリキュラムで習得できる可能性は極めて低いということになるのではないでしょうか。


知的活動のためのツールとして見直したときにあらためて日本語の素晴らしが見えてくると思います。

英語圏ではそのような研究も行われてきており、その結果としての日本語母語話者に対する英語教育の戦略も仕掛けられてきました。

何の抵抗もなく受け入れた日本における英語教育は母語としての日本語教育にまで悪影響を与えるものにまでなってきているようです。

しっかりとした言語戦略を子どもたちに残していきたいものです。



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