それぞれの言語が持っている動作や感情を表す基本的な言葉であり、古くから一般的に広く使われてきた言葉のことになります。
合成語や複合語は基本語をもとに新しく作られた言葉ということができるために基本語とは呼べない言葉になります。
「寒い」(さむい)は基本語ですが「肌寒い」や「うすら寒い」は基本語とは言えないものになります。
同じようなことを表そうとしても言語によって持っている基本語の多さの領域が異なっていることがあります。
そのことがその言語の特徴を表しており、歴史文化的により細かな区分に対してこだわってきたことを感じさせるものとなっています。
例えば、人が移動することを表す言葉としての基本語は、日本語では「歩く」(あるく)と「走る」(はしる)の二種類になります。
これに対して英語では、walk, run 以外にも jog, sprint, dash などの基本語を持っています。
基本語ですから特に意識をしなくともその言語を母語として持っている人にとっては同じような感覚で使い分けが可能となっています。
「歩く」とwalk は人の動作として表している内容や感覚がほとんど同じものとなっていますので、日本語の「走る」という動作の感覚に対して英語は四段階のカテゴリーとしての基本語を持っていることになります。
しかも基本語として持っている言葉ですので、この四段階の区分けをすべての人がほとんど同じ感覚で無意識のうちに行なうことが可能となっているのです。
私のように日本語を母語としている者から見ると、jog とrun の区別が分からないような微妙な状況であっても英語を母語とする人の間ではほとんど同じ感覚でしかも無意識に区分けをしているのです。
日本語としてはjog に対しては「小走り」(こばしり)といった表現が合うのかもしれませんが、これは基本語を利用した複合表現にしかすぎず「走る」のカテゴリーの中にある表現にすぎないことになります。
つまりはjog に相当する基本語は日本語には存在しないのです。
日本語では、jog もsprint もdash もすべてが「走る」という基本語で表現されることになるのです。
日本語には「駆ける、駈ける」(かける)という基本語もあるではないかと思う人もいるかもしれませんが、文字を見ればわかるようにこれはもともとは馬の走る様子を表した言葉であり人が移動する様子を表した言葉ではありません。
「走る」は基本語として人以外の動物や物が移動するときにも使われる言葉となっていますが、「駆ける、駈ける」は馬から転じて人や動物が移動することにしか使われない言葉となっています。
基本語は誰にでもわかりやすい言葉であるために本来の意味から広がっていったり複合語を構成する核となったりしていきます。
このようにして基本語を見てくると、日本語における基本語は「やまとことば」から継承されている「ひらがなことば」であることがわかってきます。
基本語は漢字を用いて表現する場合は全てが訓読みとなっている言葉なのです。
話し言葉としては全てが「ひらがなことば」であり漢字としての文字を思い浮かべることをしなくとも意味がはっきりと分かることばとなっているのです。
音読み漢字による熟語はまさしく合成語や複合語であり基本語とはなりません。
一文字漢字を利用した音読み言葉である「談ずる」「断ずる」(だんずる)や「食する」(しょくする)「減ずる」(げんずる)などの動作を表す言葉も基本語とは言えないものです。
「話す」「断る」「食べる」「減る」といった基本語に置き換わる言葉になります。
あらゆる言語がそれぞれの基本語だけで成り立っていた時代を持っているはずです。
そして歴史を重ねることによってその基本語を核として合成語や複合語を作ってきたことになります。
また、それらの言葉を使って外来語に対応する言葉を作ってきたということが言えるのです。
日本語における基本語は「ひらがなことば」として他の合成語や複合語とは区別しやすいものとなっています。
このブログで提唱している「現代やまとことば」はまさしくこの基本語のことであることになります。
基本語という言葉自体がとても抽象的で分かりにくい言葉でありますので「現代やまとことば」と言った方がいかにも日本語らしいので採用している表現になります。
(参照:「現代やまとことば」を経験する(1))
文字で表現するときには漢字による表意文字(表語文字)としての機能が生かされることになりますので、音による言葉よりは明確な意味を伝えることが可能になります。
ところが、話し言葉になってしまうと音が同じ場合には文字の違いが機能しなくなってしまいます。
基本語は話し言葉においても言葉同士の違いが明確になる言葉なのです。
話すときにこそ基本語=「現代やまとことば」を使用することでお互いの伝えたいことが分かりやすく伝わるものとなるのではないでしょうか。
「きく」という基本的な動作を表す言葉があります。
文字にすると「聞く」「聴く」「利く」「効く」「訊く」の五種類があることになります。
話しことばとしては「きく」の一種類であり基本語としても「きく」の一種類になります。
伝える側がどんなに「聞く」「聴く」「利く」などの違いを意識して伝えようとしても相手には「きく」としてしか伝わらないことになります。
相手にわかり易いように伝えるためにはそれぞれの「きく」の場面にふさわしい基本語に置き換えて話しをする必要があることになります。
あらゆる言語において基本語だけによる表現が可能になっています。
その方がその言語を母語とする人たちにとっては理解しやすい聞き間違いの少ない表現となっているのです。
基本語だけで表現ができないような状況や言葉については自分自身が人に伝えられるだけのきちんとした理解ができていないことの裏返しとなっていることになります。
このことは「現代やまとことば」を使う上での大きな効果となっています。
「現代やまとことば」で表現しきれない言葉や状況は、自分自身で明確にしっかりと認知できていないことの現れとなるのです。
試しに外来語などでやってみると面白いと思います。
何気なく使っている「IT技術」などという言葉もわたし自身が「現代やまとことば」では表現できないままに使っている言葉となっています。
言葉としての「IT技術」は伝わってもその言葉に込めた意味合いは全く伝わっていないことになります。
自分が日常的に使っている言葉を「現代やまとことば」に置き換えて棚卸してみると面白いと思います。
思っている以上にあやふやなままに使っている言葉がたくさん見つかると思いますよ。
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