2016年5月9日月曜日

名詞の持つカテゴリー

どんな言語でも共通して一番多い品詞は名詞となっています。

主語にでも目的語にでもなることができる名詞は、それぞれの言語が経験してきた歴史文化によって特徴つけられたカテゴリーを持っています。


英語における名詞の典型的なカテゴリーは加算・不可算のカテゴリーです。

ドイツ語、フランス語、ロシア語などにおける名詞のカテゴリーは文法上の性(ジェンダー)ということができるでしょう。

また、日本語や中国語においては助数詞が名詞のカテゴリーとして挙げられるのではないでしょうか。
(参照:助数詞という言語文化


助数詞は数字とともに使われて対象物を数えるための単位となっている言葉のことで、「一本」「一冊」「一枚」などの「本」「冊」「枚」のことを言います。

同じように助数詞を持っている日本語と中国語ですが、同じ名詞に対しても使用される助数詞は同じこともあれば違っていることもあります。

また、助数詞として区分される共通性の感覚はそれぞれの言語で異なったものとなっています。


夏目漱石の「吾輩は猫である」が中国語に翻訳されたときに、原作で用いられた助数詞の四倍にもあたる助数詞が使われていたと言われています。

同じように名詞を表現するにしても、中国語の場合は助数詞を伴う使い方が日本語に比べて四倍多いということになるのではないでしょうか。

それだけに中国語の環境においては日本語に比べて頻繁に助数詞に出会うことになります。


助数詞は名詞が持っている基本的なカテゴリーとは異なった助数詞としてのカテゴリーを持つことになります。

ニワトリ(鶏)とウシ(牛)は基本的なカテゴリとしてしては動物というカテゴリーで括られていますが、日本語の助数詞としてのカテゴリーでは「羽」と「頭」となって違うカテゴリーに属することになります。

「羽」で数える対象は同じ動物でもウサギ(兎)やワシ(鷲)などもありますし、「頭」で数える対象はチョウ(蝶)やイルカ(海豚)などもあります。


動物というカテゴリーはどの言語においても共通するカテゴリーとなっていますが、助数詞におけるカテゴリーは言語によっても異なったものとなっているのです。

日本語は中国語ほど助数詞の使われる機会が多くないので、それほど助数詞としてのカテゴリーに影響されることはないのではないかと思われます。

しかし、日本語の四倍以上の機会で助数詞と触れている中国語においては助数詞が持っているカテゴリーの影響は日本語以上のものがあると言えるのではないでしょうか。


日本語の場合にはそれぞれの名詞に必ず数え方があることになります。

極めて抽象的な概念を表す名詞に対しても「ひとつの平和」「二つのにおい」などとといった使い方が具体的に数えられる名詞と同じようになされています。


英語の感覚から見るとすべての名刺が可算名詞として扱われていることになります。

英語の名詞におけるカテゴリーは可算名詞・不可算名詞になります。

これは日本語との大きな違いとして文法上の表現にも違いが現れることになります。

数詞である one, two を直接伴って複数形を持つ可算名詞があるのと直接的には one, two とは数えることができない不可算名詞との違いは決定的なものとなっています。


あらゆる名詞が必ず可算名詞か不可算名詞に区分されることになります。

形あるモノとして直接数えることが可能なものが可算名詞となり物質や抽象度の高い概念などが不可算名詞となっています。

日本語で表現するには適切な言葉がない「アイデア」idea が可算名詞であることは彼らの文化における思考の具体性を物語っているものではないでしょうか。


可算名詞か不可算名詞か判断ができないような聞いたことがないような名詞については、まずは可算名詞として扱うことが自然な流れのようです。

論理性や具体性に重きを置く英語文化らしい対応内容ではないかと思います。


不可算名詞を量的に表現する場合には具体的な入れ物や単位をつけて数えることになります。

具体性を重視する社会環境を生き抜いてきた言語であることが垣間見えるような気がします。


文法的な性(ジェンダー)を持つ言語においても実際に持っている性の数は男女の二種類に限られているわけではありません。
(参照:性をもつ言語、もたない言語

文法上の性を持つ言語の中では厳格に二つの性で運用をされている言語が最も多いのですが、三つ(中性を持つ)四つ以上もつ言語も決して少なくない数存在しています。

英語ももともとは文法上の性を持っていたのですが、名残りはあるものの現在では可算・不可算によるカテゴリーの方がより前面に出ているものとなっています。


文法上の性は日本人のわたしたちが思っている以上に言語上のバイアスをかけているように思われます。

とくに雌雄の存在する動物などを雌雄を隠して当てさせるようなテストをすると、その名詞が持っている文法上の性に引っ張られることがあることが分かっています。

母語として中国語と英語を持っている人口を合わせると14億人を超える数となります。

それらの言語を持っているだけで本人が意識することもなくある種のカテゴリー化が自然と行なわれていることになります。

それは、名詞としてのカテゴリーとしての助数詞の影響がきわめて小さい日本語から比べると想像もできないくらい強いものとなっていると思われます。


動物や植物などの論理的なカテゴリーはどんな言語においても学術的な裏付けもあり同じように行なわれていることになります。

しかし、言語における名詞が持っている無意識のカテゴリーは知らないうちに影響を与えているのではないでしょうか。

これもまた言語によって認知や思考や表現などの知的活動に無意識のうちにかかっているバイアスとなっているのではないかと思われます。
(参照:言葉がかけるバイアス

言葉を持っているが故にその言葉によって知的活動が影響を受けることは避けることができません。

さらにその言葉がある種のカテゴリーを持っているとしたら、そのカテゴリーは無意識のうちにも知的活動に影響を与えているものとなっているのではないでしょう。


バナナ、バット、ビン、映画などが同じように「本」という助数詞を伴っていたとしても、同じカテゴリーの仲間としてあまり影響を受けないのが日本語だと思われます。

日常的に使用する場面では序数詞を伴わないことの方が多くなっていると思われます。

また、本来持っていた独特の数え方がどんどん姿を消していって「つ」や「個」が万能的な助数詞として使われるようになっているのはかなり前からのことではないでしょうか。

日本語における助数詞のカテゴリーの影響はますます薄くなっているということができると思います。


タンスや三味線の「一棹」(さお)、魂やご遺体の「一柱」(はしら)、海苔や半紙の「一帖」(じょう)、箸やご飯の「一膳」(ぜん)などは日本語ならではの助数詞です。

簡単には「つ」や「個」にはならないと思いますが、この種の変化は起こり始めると加速度的にスピードが上がっていくことになります。

言葉は時代環境と共に変化していくのが宿命ともいえますが実用一辺倒ではないところが日本語の特徴ともなっているところです。

長い歴史文化の影響を受けながらも極めて中立的な言語となっているのが日本語の特徴でもあるのではないでしょうか。

いろいろなことから見つめていきたいと思います。


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