そこでは言語によってそれぞれの分野における独特なカテゴリーが存在し、その歴史文化によってカテゴリーの細かさが違うことを見てきました。
日本語における「歩く」「走る」の二種類の人が移動する基本語によるカテゴリーが英語では run, walkだけではなく jog, sprint, dashの五種類の基本語持っていることなどです。
(参照:基本語で話そう)
それでは言語や歴史文化の違いを越えた普遍的な共通性はそこには見つけることができるのでしょうか。
違いを見ていくことだけにこだわってしまうとどんどん細かな点が気になっていくことになっていきますが、基本的な言語としての役割はどの言語にとっても同じようなものであるはずです。
そこで、今回は言語の基本カテゴリーにおける共通性に目を向けてみようと思います。
世界のモノを様々な抽象度や目的においてカテゴリーにまとめることはどの言語においても行なわれていることです。
その中で不偏的に共通性を持った基本語によって名前を付けられたカテゴリーは存在するのかということになると思います。
文化的に大事なものや重視されてきたものについては基本語においても細かく名前がついていることになりますが、名前のついているカテゴリーが必ずしもその文化にとっての有用性だけから決まっているものとはなっていないように思われます。
基本語によるカテゴリーの作られ方は異なる言語間であってもかなり一致性があるようです。
その基準は一般的なレベルでの科学的な分類におけるカテゴリーによってつけられている場合がほとんどだということです。
たとえば、木の名前について見てみましょう。
「〇〇木」にように「木」を使った複合語で示すものではなく、「カエデ」「サクラ」「クヌギ」などの基本語で表すものについてです。
また、魚の名前について見てみても「〇〇魚」という複合語ではなく基本語で表される「サンマ」「タイ」「イワシ」などの言葉です。
これらについてはその言語文化が必ずしも森林に囲まれた場所に居住し木と深くかかわった生活をしている文化でなくとも、海の近くで魚を採って食べている文化でなくとも変わりはないのです。
英語でも日本語でも木や魚の名前はほとんどが基本語です。
ただ魚の区別がつかない人は fishで済ませていしまうことになりますし、「木」で済ませてしまうことが多くなります。
しかし、この種の一般的なカテゴリーよりも大きなものになるとそのまとめ方は文化によってかなり多様になっていると思われます。
たとえば、日本語にもなっている英語の「ペット」(愛玩動物)という概念を持たない言語文化はたくさんありますし、その場合はそれを端的に表す言葉をもたないことが多くなっています。
また、たとえ「ペット」に相当する言葉を持っていたとしても具体的にどのような動物が「ペット」なのかは言語文化によって大きく異なるものとなっています。
「雑草」と「ハーブ」について見てみれば同じ日本語環境においても地域や人によって異なるものとなるのではないでしょうか。
薬用などの有用性があるとなればどんな植物でも「バーブ」となり、何の有用性もないとなれば「雑草」となるのですから、ある人にとっては「ハーブ」であっても他の人にとっては「雑草」であることはいたるところでみられることになります。
しかし、「イヌ」や「ブナ」のようなカテゴリーには、どの個体が入りどの個体が入らないのかは言語文化が異なってもほとんど変わらないものとなっています。
そこにおけるカテゴリーの数は科学的な分類がどれだけ一般に浸透しているのかに依るのではないでしょうか。
この「イヌ」や「ブナ」のようなレベルのカテゴリーを「基礎レベルのカテゴリー」と呼び、言語文化にかかわらず普遍的に最も自然に世界を分割したカテゴリーであるとすることがあります。
つまり、「ハーブ」「雑草」「ペット」「針葉樹」「爬虫類」などのような上位のカテゴリーについて基本語での名前を持ちながら、「イヌ」や「ブナ」のような一般的な種のレベルの名前を持っていない言語は存在していないと言うことになります。
言い換えれば基本語によって持っている上位のカテゴリーはほとんどないということになります。
一般レベルでの名前として広まった基本語をある種の概念で分類したものが上位のカテゴリーとなっていることが多いということになります。
また基本語レベルで作られているカテゴリーをより細かくしたカテゴリーにつく名前はその基本語を核とした複合となることが多いと言えます。
「犬」や「ブナ」をさらに細かくしたカテゴリーは「〇〇犬」であり「〇〇ブナ」ということになります。
ただし、上位カテゴリーあっても細分化したカテゴリーであってもその言語文化にとって重要な場合については基本語での区分が行なわれることがあります。
エスキモーのイヌイット語は雪を基本語で二十種類以上に区分けしています。
日本語の「〇〇雪」と比べるとよく分かるのではないかと思います。
この場合には科学的な分類よりも生活上の有用性によって分類することの方が多くなっていると思われます。
きっかけとしての科学的な分類の一般化が言語のカテゴリーを作っていくと思われますが、そのカテゴリーが基本語による名前を得るためには一般生活における有用性が現実のものでありそこでの生活文化における大事な要素になっている必要があると思われます。
つまりは、基本語として存在しているカテゴリーはその言語文化においては日常生活の歴史と切り離すことができない子供でも理解できるレベルのものであることになります。
科学的に分類されるカテゴリーと一致しながら日常生活における有用性とも合致した基本語によるカテゴリーは言語文化の違いを越えて理解できる普遍のカテゴリーとなっているのではないでしょうか。
基本語によるカテゴリーの細かさがその言語文化における重要さの度合いを表すものとなっているのではないでしょうか。
言葉を覚えたての子どもは犬を見て「動物」とは言いませんし「〇〇犬」とも言いません、「イヌ」「ネコ」「ウサギ」という言葉を最初に覚えて使います。
これも言語文化にかかわらずすべての言語で見られる普遍的な現象となっています。
基本語レベルでのカテゴリーの特徴は同じカテゴリーの中での類似性が高く、隣のカテゴリーのメンバーとの類似性が低いことが挙げられます。
つまりは混同しにくいことになります。
「イヌ」と「ネコ」との区別はすぐにできますが、「秋田犬」と「柴犬」との区別は知識がないとできないことになります。
しかし、チワワが「イヌ」であることや三毛猫が「イヌ」ではないことは子供でもすぐにわかることです。
基本語によるカテゴリーは経験がなくともすぐに見分けることが可能であり、なおかつ新しい対象がそのカテゴリのメンバーであるかどうかが判断できるものとなっているのです。
基本語を使って表現することはこんな機能がしっかりと働いていることで誰でも理解することができるようになっているのですね。
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