2016年5月13日金曜日

日本語の基本語とカテゴリー

幼児が「ことば」を習得していく過程を見てみるとひとつの「ことば」がたくさんの意味を持っていく段階を感じ取ることができるのではないでしょうか。

モノを理解できるようになることと「ことば」を理解できるようになることは同時に発達していくようです。


具体的に見て触れてモノであることについての呼び方としての名前が「ことば」として理解できる初期のものだと思われます。

意味のない欲求を伝えるための音声の次に来るものは目に見えるモノを二音で表す「ワンワン」「ブーブー」などは、「ことば」の一歩手前にある音だと思われます。

初めて「ことば」として捉えることができるモノが「はな」「いぬ」「ほん」などの身近な対象物に対しての基本語による呼び方ではないでしょうか。


この段階で使っている「ことば」は対象とするモノの固有名詞に近い役割を持っていると思われます。

使っている子ども自身にとっては目の前の特定のモノの呼び名が「はな」であり、一般的な基本語として持っている多くの種類の花の総称として(カテゴリーとしての名前)の「はな」とは異なったより限定された対象を示すための「ことば」となっているようです。

その場合の「はな」はカテゴリーとしての「はな」としてではなく対象物を限定している言葉として「たんぽぽ」としての役割に近いものとなっているのではないでしょうか。


子どもの環境によっては「はな」よりも先に「たんぽぽ」を覚える場合もあります。

具体的に目の前にある特定のモノを示すための「ことば」であり、それを「はな」と呼ぶようになるのか「たんぽぽ」と呼ぶようになるのかは親を含めた環境によるものだと思われます。

いずれの呼び方にしても意味しているものは目の前のモノであり、類似性を考慮したカテゴリーの名前として使われているわけではないことは間違いないことです。


カテゴリーという言葉が気になっている方がいるのではないかと思います。

「ひらがなことば」としての「現代やまとことば」を提唱している私が頻繁に使うべき言葉ではないと思われるのも当然です。

実はこのカテゴリーという言葉を言い換えるための適切な「現代やまとことば」がいまだに見つけられていないのです。

日本語の基本的な感覚にはなかった概念を表している外来語なのですが、この外来語の持っている概念を表す適切な日本語がない言葉の一つなのです。

「やまとことば」で基本語を持っている時代には考えつかなかったか一般化していなかった概念だと思われます。

辞書的に「範疇」としてみてもこれ自身が基本語とはなっていないのでかえって分かりにくものとなってしまうことになるので、今の私が持っている言葉としてはカテゴリーとしか表現ができなくなっているのです。

「カテゴリー」の画像検索結果

初めて覚える「ことば」たちは目の前のモノを表す呼び名としての言葉であり、それがどのような言葉であったとしてもカテゴリー的な感覚を伴わない固有名詞に近いものであると言えると思います。

やがて子供たちは「たんぽぽ」とは違った個性や特徴を持つ「たんぽぽ」と似たようなモノを認識するようになります。

そしてそれも「はな」であることを学びます。

どちらも同じ「はな」であり、それぞれの違いに注目をしない限りはどちらも「はな」で何の問題もないのです。


ところがそれぞれの違いに注目し認識したときに、一方は「たんぽぽ」でありもう一方は「すみれ」であることを学び覚えるのです。

「たんぽぽ」と「すみれ」はどちらも基本語です。

「たんぽぽ」にもカテゴリーとしての機能もあります。

「〇〇たんぽぽ」というメンバーがたくさん存在しています。

しかし、そこで付けられている名前は「たんぽぽ」を核とした複合語であり合成語になります。

基本語としての「たんぽぽ」とは日本語における一般的な重要度としては明らかに比較にならない言葉となっています。


「たんぽぽ」と「すみれ」は基本語同士の区別でありその違いは「〇〇たんぽぽ」と「△△たんぽぽ」との違いよりもずっと一般的であり明確なものとなっていることになります。

どの様なカテゴリーやカテゴリーのメンバーに基本語が付けられているのかが言語文化の違いによるものになります。

何度か登場していますが、人が移動する動作を「歩く」と「走る」の二種類の基本語で自然に区別をし表現しているのが日本語の言語文化であり、run, walk, jog, sprint, dashの五種類の基本語で自然に区別をしているのが英語の言語文化なのです。

したがって、母語として持っている言語によって一般的なカテゴリーの重要性が基本語であるかどうかで判断できることになります。


日本語においては「たんぽぽ」「すみれ」は基本語ですし、これらの上位カテゴリーになる「はな」も基本語になります。

「なは」と隣り合うカテゴリーは一般的には「は(葉)」「くき(茎)」「ね(根)」などになりますがこれらのすべても基本語です。

更に一般的なカテゴリーとしてのさらに上位は「くさ(草)」「き(木)」になりますが、これもまた基本語となっています。

その上のカテゴリーになると「植物」という言葉が出てくるのではないでしょうか。

この「植物」は基本語でしょうか?


一般的には「植物」と隣り合うカテゴリーは「動物」になります。

これらの言葉は「ひらがなことば」にはならない音読み漢字であり、ある種の専門用語・学術用語ととなります。

結果としては基本語ではないことになります。

「植物」の画像検索結果

「植物」に至るまでのカテゴリーについては専門知識がなくとも一般的に気兼ねなく使っている言葉であり誰が区分けしても日本語を母語として持っている人であるならば間違うことがないものです。

ところが「植物」となると多少は学術的なかしこまった感じがしてある種の定義が必要な感覚がしませんか。

「動物」についても同じことがあり、基本語としての「けもの」や「とり」の方が同じ感覚で認識できるものとなっているのではないでしょうか。


一般的な感覚として言葉が持っている言語文化上の重要性が高いものが基本語で表現されたものであり、隣り合ったカテゴリーとの区別が感覚的に自然にできるものとなっている言葉です。

その言葉の重要度によっては言語文化の違いによってより細分化された基本語を持つ場合もありますし、かなり上位のカテゴリーにまで基本語が使われている場合もあります。

日本語の場合は「ひらがなことば」を意識することで基本語を感じることができます。

漢字で表現された場合には訓読みで読むことになる言葉になります。


一つの言葉は一つのカテゴリーに拘束されるわけではありません。

経験が増えるにしたがって新しい言葉も増えますが、それ以上に持っている言葉が属するカテゴリーが増えることの方が多くなっていきます。

「はな」のカテゴリーメンバーとしてしか認識していなかった「さくら」が、「はる(春)」のカテゴリーメンバーになり「いさぎよさ(潔さ)」のカテゴリーメンバーになることによって使われる機会が増えていくことになるのです。

やがて「さくら」という言葉に持たせる意味が「はな」としての「さくら」だけではなく、「はる(春)」を代表する言葉としての使い方や「いさぎよさ(潔さ)」を代表する言葉としての意味を持って独り歩きするようになっていきます。

「さくら」の細分化された言葉としては「そめいよしの」くらいしか思い浮かばないのはわたしだけではないと思います。

何度もその名前を見ていても「〇〇さくら」という名前は基本語ではないために「さくら」という基本語の影響下でしか存在できない言葉となっているのです。

「そめいよしの」は基本語ですので、それだけで「さくら」を代表する言葉として使われることができるのです。

「ソメイヨシノ」の画像検索結果

特別な説明も論理も必要なく日本語を母語として持っているだけで感覚的に「さくら」が持っているカテゴリーについて理解できてしまうのが基本語でつけられたカテゴリーの名称なのです。

これがモノだけではなく抽象的な概念に対してつけられた言葉であればさらにいろいろなカテゴリーに接している可能性があります。

その場合にこそ特に基本語を意識する必要があるのではないでしょうか。


言葉が持っている意味は最低でも属しているカテゴリーの数だけは存在していることになります。

その言葉と対象となるカテゴリーに一般的な必然性や重要性がなければ思いつくこともないものもあると思われます。

その言語を母語とする人ならば誰でもが感覚的にその言葉とカテゴリーの関係や隣り合うカテゴリーとの区別が無意識の感覚として共通性を持ってい出来ていることが基本語による表現だと思われます。

この基本語が日本語の場合には「ひらがなことば」であり「現代やまとことば」であるのではないでしょうか。


「現代やまとことば」による表現は日本語を母語として持つ人であれば理屈抜きに理解できるものとなるはずです。

他の言語に比べて基本語が区別しやすいのも日本語の特徴だと思われます。

使おうとする言葉が「現代やまとことば」であることは勿論ですが、その言葉によって伝えたい意味が含まれているカテゴリーが「現代やまとことば」によって表現された名前がついているかどうかは重要なチェックポイントになります。

あらためて自分が何気なく使っている言葉を見直してみたいですね。


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