三世代間での共通言語の必要性は、先回のブログで述べてきました。
(参照:三世代共通言語の大切さ)
日本語は、他の言語に比べてとても大きな言語となっています。
表現もたくさんあれば、日常使用においての文字の種類も四種類(ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベット)もあります。
ある実験によれば、フランス語のネイティブ同士の会話の90%を理解しようと思ったら2,000語のフランス語を覚えれば可能だそうです。
英語の場合は、3,000語の単語を覚えれば理解出来るようです。
ところが、日本語の場合は日本人同士の日本語による会話の90%を理解しようとすると、10,000語の日本語を覚える必要があるそうです。
それだけ日本語は、他の言語に比べて大きな言語であるということが言えるようです。
そうなると、他の言語に比べると、一人ひとりの日本人が持っている日本語にもより大きな差があると思われます。
ひとことで日本語と言っても、一人ひとりが持っている日本語にはかなりの違いがありそうです。
この違いはどこからきているのでしょうか?
言語としての日本語を、共通の言語として学ぶのは義務教育である小学校に入ってからの国語という教科になります。
幼稚園によってはひらがなの読み書きを教えているところもあるようですが、統一的な共通語としての国語教育を受けるのは小学生になってからです。
文字としての読み書きを身につけながら、言葉を身につけて、文法を身につけて、すべての日本語を学ぶ人にとっての共通語として国語を身につけていきます。
そして、この国語によってさまざまな分野の知識やルールを身にてけていくことになります。
ルールの解釈や基本的な知識が、同じ表現に対して受け取り方が違ってしまっては大変ですので、国語という一定の規則で決められた言語によって、同じ表現に対しては同じ理解ができるように教育をされていきます。
それでも母語や生活語の影響で、理解に違いが出てしまうこともありますが、それ以降の学習のための共通言語として、厳格に国語が徹底されていくことになります。
この段階で、国語の習得に遅れが出ると、すべての教科に影響が出てきます。
算数が算数らしくなってくると授業についてこれない場合などが出てきます。
そんな時は、算数が理解できないのではなく、算数を説明している国語が理解できていないことがほとんどですので、国語をしっかりとやり直すことが大切になります。
小学校中学年を担当している先生は、ほとんどその事をわかっていると思われます。
国語を身につけた段階で、言語の習得が終わっていれば、すべての世代間で国語によるコミュニケーションがスムースに成り立つはずです。
しかし、実際には二世代間はまだしも、三世代間になるとかなりの言語ギャップが存在しています。
これは義務教育以降の、言語環境のばらつきによるものです。
高等教育以降では専門性が高まってくるために、それぞれの分野において専門用語的な要素が増えていきます。
社会との接触も増えてくるために、置かれた社会環境によっては異なる言語や異なる使い方が出てきます。
更には、その中には同じ言葉であってもその意味するところが異なったものも多数出てくることになります。
学校というほとんど閉鎖的な環境においてだけ共通語として通用すればよかった言語から、生活環境において使用されている言葉が異なる言語への調整が必要になってくるのです。
生活する環境によって言語が異なることがいたるところで出てくるのです。
生活をするためには環境に適応していかなければなりませんので、自分の生活する環境の言語を身につけていくことになります。
やがて、学生生活を卒業すると社会環境の中での新たな言語の中での生活が待っています。
生活環境が変わるたびに、その環境に適応していくための言語が必要になってくるのです。
学生のときは高等教育や大学教育、専門教育においても分野こそ違っても教育を受ける環境や、年代や時間帯はほとんど同じようなものでした。
そこにおける言語の差は、分野による用語の違い程度で済んでいたと思われます。
社会に出るとそれが一変します。
世代の違いや主客の違い、主従や上下の違いなど分野以外にも言語の違う世界となっています。
更には、同じことを意味する言葉であっても、関係性によって使い分けをしなければならない場面も出てきます。
属する組織や団体によって独特の文化や用語もあり、一人ひとりの持つ言語の差は一段と大きくなっていくのです。
そんな言語は三世代を通じての共通語とはなり得ません。
なまじ言葉として同じものがあったとしても、その解釈が異なればかえって誤解を生むもとともなりかねません。
三世代を通じて理解できる言語は、国語に戻らなければならないのです。
国語も時代によって変化します。
特に言葉の使い方の違いについては、同じ言葉を使っているだけに余計に厄介なものとなります。
言葉によっては、全く反対の意味となってしまうものもあります。
国語の原点にまで戻る必要があります。
国語の一番の原点はひらがなです。
読み書きを含めて、小学校一年生の2ヶ月足らずのトータルで24時間程度で習得を終わってしまう言語です。
日本語のすべてはひらがなで表すことができます。
ひらがなは話し言葉も書き言葉も同じレベルで理解が可能なものです。
ひらがな言葉はすべての世代で理解できる言葉となっています。
誰でもが理解できる言語として、共通語としての適性を持っているのがひらがな言葉です。
ひらがな言葉は文字のなかった時代の言葉から継承されている言葉が多くあります。
ひらがな言葉は昔からの日本語である「やまとことば」を継承しながらできてきたものです。
ひらがな言葉に文字として漢字を当てたものが、漢字の訓読みになります。
漢字の訓読みは、読みとしての音はひらがなになります。
どんなに難しい言葉や専門用語であっても、ひらがな言葉で説明することが可能です。
それができるのが日本語の特徴でもあります。
全てのひらがな言葉を漢字で説明することは出来ませんが、すべての漢字をひらがな言葉で説明することは出来るのです。
難しい言葉や音読み漢字の熟語を専門用語としてそのまま使うことは、慣れれば誰でもできるようにあります。
しかし、その言葉に対する理解はひらがな言葉によって説明できることで、初めて自分の物となります。
その言葉を理解してもらおうと説明するのは、ひらがな言葉になるからです。
(参照:「ひらがな」のすすめ、「ひらがな」の位置付け など)
聞きなれない言葉を、上手にひらがな言葉で説明されると、説明された方はきちんと共通の理解をすることができます。
三世代のための共通言語はひらがな言葉になるのです。
ひらがな言葉で説明ができない言葉は、自分自身できちんと解釈ができていない言葉なのです。
自分で試してみるとよくわかります。
ひらがな言葉できちんと説明できない言葉は、その意味を自分自身がしっかりと把握していないことがわかるはずです。
話し言葉としてのひらがな言葉と、書き言葉としての訓読み漢字とひらがな言葉。
これらを合わせたものを「現代やまとことば」と呼んでいます。
これこそが、日本語としての世代を超えた共通語としての役割を果たすものではないでしょうか。
(参照:「現代やまとことば」を使おう)
専門用語や難しい感じ言葉を使う場合には、しっかりとひらがな言葉で説明できるまでの理解ができているかどうかは、とても役に立つチェックになります。
ひらがな言葉で自分自身で説明できない場合は、人にいくら説明してもわかってもらえません。
本当にその言葉を理解しているかどうかを確認するためにも、「現代やまとことば」による言い換えはとてもいい訓練になります。
しっかりとした理解をしていないのに使っている言葉が、思った以上に多いことに気がつきますよ。
自分の言語に合わせろという前に、自分の使っている言語が相手に伝わるものかどうかを確認することが必要ですね。
「現代やまとことば」での理解と表現は、そのためにもとても役に立つものです。
自分の持っている言語が、世代を超えて理解されるものかどうかはとても大きな意味を持つことになります。
狭い社会の狭い組織の中の専門用語が自分の言語になっていませんか?
気をつけないと言葉の通じない人になってしまいますよ。
「現代やまとことば」で確認してみてください。