更にその母語は、母親を中心とした伝承言語であり、きわめて個人的な言語であることにも触れてきました。
世界の言語が統一言語となっていない限りは、常に言語は変化していきます。
また、新しい文化や新しい概念が生まれてくると、それを表現するための新しい言語が必要となってきます。
つまり、言語は日々日変化していることになります。
基礎言語である母語がきわめて個人的な言語であるために、人が生きていくための最低限の知識とルールを身につけるための共通言語が必要になります。
共通言語がないと、同じ言葉に対して理解する内容が異なってしまい、法律をはじめとする共通ルールや共通理解ができないことになります。
その言語を使う人が誰でも同じ理解できるように、義務教育において学習をするための共通言語としての国語を身につけることになります。
母語は国語を身につけるために必要な基礎言語であるとともに、その言語を聞いたり話したりしながら知的活動のための基礎となる各器官の機能を発達される役割を持ったものです。
幼児期は活動範囲も狭く、ほとんどが母親とのコミュニケーションさえできれば問題なく生活できる期間です。
必要な言語は母親から伝承された母語だけで十分な期間です。
やがて、社会で生活するための準備期間として義務教育の期間を迎えます。
学校と家庭が生活の中心となりますので、母語+国語の習得で十分な期間です。
そして、社会との触れ合いが増えていくことによって、社会で使われている環境言語である生活語が必要になってきます。
自分が生活する社会によって、使用されている言語が異なってくる環境になります。
母語の段階では、母親とのコミュニケーションのための言語であり、母語の習得が進んでくると、同世代とのコミュニケーションが必要になってきます。
二世代のコミュニケーションのための言語として母語が存在することになります。
同世代とのコミュニケーションは、その後の言語習得に応じて自然に身につけていきますが、二世代間の言語は母語が中心となります。
それでも、世代間を問わずに設定された共通語が国語でありますので、国語の習得によって世代間のコミュニケーションもスムースになっていきます。
義務教育の期間を離れてからの時間が多くなると、環境言語である生活語を使用しての活動が多くなります。
特に社会に出ていくことになると、その社会独特の言語が存在するために持っている言語や使用する言語は、生活語の割合が多くなっていきます。
母親から伝えられる伝承言語は、母語+国語+生活語の混ざった言語となっているのです。
それでも母親の年代を考えると、持っている言語の中心は国語であるということができるでしょう。
年を取ればとるほど、よほど本人が意識をしない限りは生活語の割合が多くなってきます。
また、本来の共通語である国語自体が時代に合わせて見直しをされていますので、世代によっては同じ国語であっても異なったいることもあります。
文化の伝承は、一般的には三世代の間に渡って行われます。
つまりは、三世代の間に通用する共通語が必要になってくるのです。
三世代間の共通語が、間違いなく共通語として機能していないと、文化の伝承に欠損や誤解が生じることになります。
国語しか知らない子供たちと、生活語がほとんどとなっている老人の間では共通語を見つけることが難しくなってきています。
母語は、このギャップを埋めるための機能も持っていることになります。
少なくとも三世代間のコミュニケーションがスムースに取れる環境があることが、文化の継承には必要になります。
それ以上の文化を研究したければ、自らがより古典に近い言語の理解をできるようになる必要があります。
幼児期に祖父母との会話ができる環境にあった子どもと、そうでない子供ではその後のあらゆる面の発育に差が出ることが報告されています。
三世代は、自分の置かれた位置によっても変わってきます。
子どものときには、同世代に加えること親世代と祖父母世代です。
自分が子どもを持つような世代になると、同世代以外には子ども世代と親世代が対象となってきます。
やがて、自分より上の世代が減ってきたり孫が増えてきたりすると、子ども世代と孫世代が対象となってくるのです。
同世代や親子の関係だけでは文化の伝承が途絶えてしまうのです。
三世代間のコミュニケーションを意識していないと、平気で「今の若い奴らは」という一言で自ら断絶を作ってしまうことになります。
特に仕事を持った人たちは、生活語だけの環境に陥りがちです。
仕事を離れたころには、すでに共通語を持っていなことが考えられるのです。
自分の子どもとも共通語が少なっている場面も決して少なくありません。
三世代共通語の存在は、生きていくための基本のようです。
そのもとは、国語にあります。
子どもや孫が教わっている国語にもっと興味を持ってもいいのではないでしょうか。
二世代までは、直接にかかわっていますので感覚的に理解し合うことが可能です。
三世代目との共通語を、お互いが意識する必要があると思われます。
日本語というとてつもなく大きな言語は、一人ひとりが持っている日本語においてもかなり異なったものとなっています。
三世代間で理解し合うためには、双方がそれなりの母語の感覚に頼らないとできないことだと思います。
三世代がコミュニケーションをする必要のある環境を、意識してでも作る必要があるのではないでしょうか。
世界でもきわめて特徴的な、言語と文化を継承していくためにも。
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