2017年9月21日木曜日

今月の現代やまとことば・・・「はなす」

新しい言葉は常に生まれては消えていっていますが、日本語の根幹をなす基本語の中には遠く古代の文字のなかった時代の言葉につながっているものがあります。

漢字の音読みは導入された時代における中国語の読みかたである呉音、唐音、漢音などの音を真似たものです。

古代より「やまとことば」として存在していた音しか持たなかった原始日本語とはその起源を一緒にするものではではありません。

特に、人の基本的な活動を表す言葉としては文字のなかった時代においてもしっかり存在しており、その言葉をたどることは日本独特の生活文化を推測するためにけっして無駄なことではないと思われます。

文字のなかった古代の「やまとことば」を知ることは日本語の原点、ひいては日本文化の原点を知ることにつながります。


現代の言葉の中から漢字で表記された上に読み方として音読みしか持たない言葉は「やまとことば」とは一線を画したものであり、漢字を利用することができるようになってから作り出された新しい言葉であるということができます。

現代の言葉であっても訓読みやひらがな表記しか持たない言葉は持っている音が「やまとことば」につながっている可能性があります。

そんな言葉のことを「現代やまとことば」と呼んでいます。

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「現代やまとことば」の類語を見ていくことによって古代の「やまとことば」を感じることができるのではないかと考えています。

そこには日常的に気軽に使っている意味合いよりもより深遠な日本語の精神文化としての歴史が含まれていることが多くなっています。

特殊な言葉ではなく日常的に使われているきわめて当たり前の基本語にこそより古い時代から使われてきた歴史が蓄積されているものと思われます。

そんな言葉たちを使うことで日本語の持つ歴史文化をよりうまく表現できるのではないか、より日本人の心に伝わる表現ができるのではないかと考えています。

また、「現代やまとことば」を使うことで自然に日本語の持つ伝統的な感覚に馴染んでいけると思われます。


理屈をこねるよりも具体的な言葉を追っていくことで感じていくことができると思いますので、まずは今回取り上げる基本語を紹介します。

言葉について書いているブログですので最初に取り上げる基本語は「はなす」(話す)にしたいと思います。


「はなす」という「ことば」は文字のなかった時代においても使われていたものだと推測することができます。

「はなす」ということばが先にあって導入された漢字の中で「話」という文字が「はなす」と同様の意味を表す漢字だと理解されたので「話す」という表記が生まれたことになります。


それでは「はなす」の類義語を音読み言葉を使わない言葉から探してみたいと思います。

「しゃべる」(喋る)、「かたる」(語る)、「のべる」(述べる)、「つぐ」(告ぐ)、「いう」(言う)、「くちにする[くちをきく]」(口にする[口を利く])
最後の言葉にいたってはもはや基本語とは言えないようですね。


実は最後の「口にする」はとても重要な言葉となっています。

人の持っている重要な機能についてはほとんど使える表現なんですね。

「耳にする」「目にする」「鼻にする」「手にする」など人の部位が持っている基本的な機能を生かすという行為を表すものとなります。

さらにはそこから転じてより抽象的な広い意味を持たせていることもあるんですね。

「手にする」などは実際に手に触れることから転じて自分のものにするといった意味にまで広がっていることになります。

この「~にする」の使い方はある程度言葉が定着して抽象的な概念も言葉で表すことができるようになって行なわれるようになったものと思われます。

当然「やまとことば」だけの時代にはなかった使い方ということができるでしょう。

この「する」や「利く」の使い方についてはあらためて触れる機会もあると思いますのでここではこの程度にしておきたいと思います。


それでは「はなす」「しゃべる」「かたる」「のべる」「つぐ」「いう」の使われるようになった順番はどのようになっているのでしょうか。

すべてが「現代やまとことば」であることは明白ですが文字のなかった時代の「やまとことば」より継承されてきている「ことば」を探してみたいと思います。

話しことばしかなかった頃のことですので現代において残されている書物から探すことは不可能です。

最古の書物といわれる「古事記」ですら稗田阿礼が暗唱していたものを太安万侶が漢字の音を使って記録したものといわれています。

しかし、確認するためには書物として残っている記録に頼らざるを得ません。


「古事記」の中に現れていることばは「いう」があります。

文字としては「云」や「曰」などが使われています。

「言」は神が何かを伝えるときに使われた文字のようで人が何かを話すときには使われなかったようです。


「はなす」は時代が下がってもなかなか見つけられません。

名詞の「はなし」としての「話」は見つけることができても動詞としての「はなす」を限られた資料の中から見つけることはできませんでした。

「はなつ」として「放」を見つけることはできましたが、現在の私たちが使っているような「はなす」(話す)とのつながりを見つけるまでには至りませんでした。


「かたる」については「(もの)かたる」として見ることができます。

物語という名称も平安期には多数見ることができます。

「はなす」よりも前から使われたと考えることができます。


これらのことばのなかでいちばん新しいものは「しゃべる」だと思われます。

音としての「しゃべる」からは他のことばのように音から動きを想像することができにくくなっています。

それは「つぐ」にもいえることです。

「しゃべる」は言葉を発するといった以外の意味を持たない言葉となっています。

他の意味から転じてきたという可能性が極めて低い言葉となっています。

それに対して「つぐ」は中心的な意味が言葉を発すること以外にも「つなぐ」などと同じ意味を持つことから転じてきた可能性が高いことばとなっています。

今では「つぐ」よりも「つげる」(告げる)としての利用法が多いのではないでしょうか。


「はなす」ということばはとてもよく使われる言葉でありその分だけ非常に広い意味を持っている言葉となっています。

つまりは人によって場面によって「はなす」に持たせている意味合いが非常に多岐にわたっていることがあることになります。

古くからより数多く使われることによって使われる場面がどんどん広がっていた言葉であることが伺えます。


「はなす」が「やまとことば」であったかどうかは明確な根拠が見つかりません。

私が確認したのは限られた資料ではありますが、おそらくは「やまとことば」そのものではなかったのではないかと思われます。

音としての「はなす」は「やまとことば」としてあった可能性はとても高いですが、その意味が「話す」という行為であったかどうかはとても微妙なところだと思います。


本来ならば間違いのない「やまとことば」だけを選び出して日本語の基本的な感覚を見つけ出したいと思うのですが、「はなす」のように「現代やまとことば」ではありながら「やまとことば」かどうかが判断できにくい言葉がとてもたくさん存在しています。

したがって基準のはっきりしている「現代やまとことば」から文字を持たなかった「やまとことば」の感覚を想像することが精一杯の活動となると思います。


音としての「はなす」が持っている現代的な意味合いとしては「話す」「放す」「離す」などを挙げることができます。

人の行なう行動としてこれらの三つに共通の行為を見ることはできないでしょうか。

その共通性に日本語の感覚の基本的なものを見ることはできないでしょうか。


「現代やまとことば」から「やまとことば」を想像して、その裏に潜んでいる日本語の基本的な精神文化的な背景を見ていきたいと思います。

きっと現代生活にも役に立つものを見つけていくことができると思います。


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