「利き腕」や「鼻が利く」などと使われる「利く」ですね。
この段階で行なう活動は、第二段階の「聴く」 で音として認知することができた言葉に対して意味を与えることになります。
同じ言葉でも使い方や場面によってはたくさんの意味の中からより適切なものを選択しなければなりません。
一つひとつの言葉の意味を適切なものとしながらも、それらの言葉がいろいろな利用のされ方をして関係づけされていることを理解していくことになります。
結果として「話し手の理論をきく」ことを行なうことになるのがこの段階になります。
大まかな段階としては一つひとつ音として認知できた言葉に対して意味を与えることが行なわれ、そのあとで言葉同士の関係を理解することで話し手より与えられた理論を理解していくことになると思われます。
しかし、現実的には言葉同士の関係を想定することによって改めて個別の言葉の意味を選択しなおすことも同じように行なわれていることになります。
このために言葉としての理解と理論としての理解を同じ段階に設定しています。
第二段階の「聴く」において言葉を認知するための手掛かりとなったものは話し手より発せられる「ひらがなの音」でした。
「利く」の段階では認知された言葉の一つひとつが理論のなかでどのように使われているのか(利用されているのか)を確認していく活動になります。
そこでも手掛かりとなるものは話し手より発せられた「ひらがなの音」になります。
というよりも、話し手より発せられているものは「ひらがなの音」だけであり、それに対して話し手の工夫として加えられているものは音同士の間であったり強弱であったりすることになります。
言葉の認知の時に行なっていることはきき手の持っている言葉の音と話し手から受け取った「ひらがなの音」の同定でした。
合致することを確認していることだけであって取り立てて知的活動と呼ぶには当たらない活動だったかもしれません。
しかし、この「利く」の段階になると一つの言葉に対してもいくつも持っている意味の中から適切な意味を選ぶことをしなければならなくなります。
まさしく、どの様に利用されいるのかを「きく」ことになります。
これは知的活動と呼ぶのにふさわしい活動であると言えます。
いくつかある意味の中からいろいろなことをヒントに話し手が与えていると思われるその言葉に最も適切な意味を選ぶことになります。
日本語の言葉には一つの言葉にたくさんの意味が与えられています。
同じ言葉であっても一人ひとりの持っている意味は微妙に異なったものとなっており、全く同じ意味として持っているものは極めて少ないと言えるのではないでしょうか。
一般的な意味として辞書的に与えられている意味も一つの言葉に対して正反対の内容を含む複数の意味も多く存在しており、言葉単独の使われ方だけでは意味を特定することも難しいこととなっています。
言葉によっては第二段階の「聴く」において音によって同定された言葉からそのまま意味まで同定できる場合もあります。
しかし、同音異義語や多くの意味を持つ言葉など単純な言葉の音からだけでは意味が決められない言葉も多く存在しています。
また、使われ方によっては同じ言葉でも意味が違ってくるものもたくさんあります。
そこでは、理論の方から言葉の意味を推測してみたり同じように使われている言葉から推測してみたりするという知的活動が行なわれることになります。
その時に手掛かりとなるものが同じ「ひらがなの音」で同定される接続詞や助詞などの言葉同士の関係を表す言葉たちです。
多くの場合には同じ「ひらがなの音」であっても文字表記自体もひらがなで行なわれている語尾の変化や「は」「が」「の」などの助詞が大きな助けになってくれるものとなります。
理論を組み立てているのもこれらの「ひらがなことば」であり、「ひらがなの音」の連続から認知できた言葉たちをつないでいるものです。
それぞれの言葉がどのように利用されているのか、そしてその言葉同士がどのような関係をもっているのかを確認することが理論を理解することになります。
まさしく言葉がどのように利用されているのかを確認する活動が「利く」ことになります。
音としての言葉が理解できただけでは単に音としての言葉の同定ができただけであり、話の内容を理解したことにはなりません。
同定できた音としての言葉がどのような意味で使われているのかという意味の同定が行なわれることが必要になりますし、その意味がどのような理論になっているのかを確認できて初めて内容を理解できたことになるのではないでしょうか。
一つずつの単語としては理解できても単語同士のつながりや関係が理解できていないと理論としては理解できないことになるからです。
無意識に行なっていることですが、接続詞や語尾の変化の形や助詞の使われ方などから論理を導いているのです。
単語単位での関係もあれば文単位での関係や段落単位での関係もあります。
話し手の発する「ひらがなの音」を手掛かりとして、一語一語の言葉の同定を行ないながら話し手の理論を理解しようとする段階が「利く」という知的活動になります。
話し手ができることは「ひらがなの音」を伝えることしかありません。
そこでは話し手が持っている言葉の意味も論理も直接伝えることはできません。
「ひらがなの音」として伝えるための工夫をすることしかできないのです。
ひとたび「ひらがなの音」として話し手から発せられた以降はきき手の解釈に任せることしかできません。
話し手が「ひらがなの音」に込めた言葉の意味や理論がそのままきき手の理解と合致する可能性はかなり低いということができるのではないでしょうか。
「利く」という段階になって初めて話し手の内容を理解するという行為になるのではないでしょうか。
それでも、この段階では音として拾うことができた言葉とその関係に対してきき手の持っている解釈を当てはめたものでしかないことになります。
具体的に音として伝わってきたものを言語というツールで解釈をしたという行為になります。
全ての人が共通に一つの言葉に対して一つの意味しか持っておらず、接続詞や助詞などの使われ方が一通りしかない場合においては、これでも話し手が伝えたいことを理解することも可能かもしれません。
しかし、現実では話し手ときき手のそれぞれが持っている言葉の意味や使い方が全く同じということはありえないことになります。
そのために、単なる言葉上の意味における選択や理論としてだけでなく、話し手の発しているときの気持ちやその内容を伝えているときの気持ちを考慮するようになります。
また、話し手の気持ちを考慮することで言葉の意味や理論についてさらに的確な解釈をしようとすることが行なわれます。
これが次の段階の「効く」になります。
「ひらがなの音」の伝え方がどのようにきき手に対して「効いて」いるのかを確認したいのが話し手の立場です。
きき手の側からすると話し手の「ひらがなの音」の伝え方をどのように「効く」のかということになります。
ここからはまさしく行間を読むという行為にもなるのでしょうね。
次は、第四段階としての「効く」を見ていきます。
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