五回にわたって「きく」時に行なっている知的活動を見てみました。
(参照:「きく」の五段階活用(1)・・・聞く)
想像しているよりもはるかに大変な知的活動をしている事を理解してもらえたのではないかと思います。
これは日本語という言語だからこその独特な解釈するための知的活動となっているのです。
その大きな原因は使用している文字にあります。
同じ音としての言葉であっても文字として表記するときには、ひらがな、カタカナ、漢字、アルファベットと選択することができるからです。
しかも表記文字を変えることでその言葉の持っている意味が使っている人の感覚で微妙に異なっていくことになるのです。
しかも、漢字で書けることを敢えてひらがなで表記することはかなりの勇気を必要としていることでもあります。
そこでは、「こんな漢字も書けないのか」という漢字優位の感覚が根付いてしまっているからです。
その異なり方が人によって微妙に異なっていますので持たせている意味も異なっているのです。
これはきき手として話し言葉として伝わった音を理解するときには、話し手がどんな文字を意図しているのかを考えなければならないことになり、大変な労力が必要になります。
話し言葉は受け取った瞬間に言葉から意味までの認知をしていかないとなりません。
次から次へと新しい言葉が投げかけられてきますので、新しい言葉をとらえながら瞬間的に認知の処理をしていかないとならなくなります。
認知が上手くいかなかった言葉にこだわってしまい推測のために時間をかけてしまうと、次の言葉をつかみ損なうことが起こるのもそのためです。
前後の言葉がつかめないと認知が上手くいかなかった言葉を推測するための根拠も減ることになります。
きき手の持っている言葉にほとんど影響されないで認知がしやすい言葉が存在しています。
ひらがなでしか表記できない言葉です。
文字としての表記方法がひらがなでしか行なわれない言葉です。
どんな言葉があるか見てみましょう。
標準的な日本語の表記方法は和漢混淆文であり漢字とひらがなの混用表記です。
カタカナやアルファベットはある種の特殊表記と言ってもいいのではないでしょうか。
一般的に使われる言葉の中で漢字で表記できない言葉が、ひらがなでしか表記が行なわれない言葉ということができます。
具体的には品詞との関係で見てみると分かり易いかもしれないです。
助詞と言えばひらがな一文字で表記することがい多いのではないでしょうか。
動詞や形容詞の語幹を除いた語尾の変化部分もひらがなです。
接続詞も基本表記はひらがなではないでしょうか。
きいている方にとっては表記文字における意味の違いを考える必要のない言葉になります。
言葉として持っている意味や役割が限定されたものしかなく誰が聞いても「ひらがなの音」さえ認知できれば同じ理解ができる言葉になります。
これらの言葉は話の内容や理論を理解するためにも大切な役割を持った言葉であり日本語の核となっていることばです。
言葉と言うとどうしても熟語や名詞を思い浮かべてしまいがちになりますが、これらの言葉は時代や環境によって常に変化している言葉です。
日本語における基本の言葉は使われれ方や意味が固定化されているひらがなの言葉なのです。
他の文化の影響を受けたり限定された分野において使われたりする変化の大きな言葉はそのほとんどが名詞なのです。
「やまとことば」の影響を一番受けていない言葉が名詞になります。
「やまとことば」は日本語の基本的な部分に継承されて来ていることばです。
最も日本語的な言葉とも言うことができるのではないでしょうか。
それは基本動詞であり言葉同士のつながりを作ってきた助詞や語尾の変化なのです。
そして日本語が最も得意とする心情を表す言葉としての形容詞なのです。
「きく」の五段階で見てきたように、「聞く」「聴く」「利く」「効く」「訊く」についてはすべて「やまとことば」としての「きく」に宛てられた漢字表記です。
それぞれの漢字によって意味するところの違いがありますが、話し言葉として使われるときにはそのすべてに対して「きく」というひらがの動詞として理解してまったく問題のないものとなっています。
どの漢字の「きく」を意図して話し手が発したとしても、「きく」として受け取ることさえできればその意図を理解することは漢字を思い浮かべなくとも簡単にできるようになっています。
これが訓読み漢字の効果です。
音読み漢字ではそうはいきません。
言葉としての音に意味がないからです。
「かんき」という「ひらがなの音」で表される漢字の言葉は20種類ではとどまらない数となっています。
喚起、乾季、換気、乾期、寒気、官記、還気、歓喜、簡記、刊記、勘気、少し見ただけでも嫌になるほど候補があります。
全ての表記に共通した意味などありません。
語源としての共通した「やまとことば」があるわけでもありません。
音読み言葉では「ひらがなの音」ではそのままの意味が理解ができないものとなっているのです。
これが動詞でも使うことにしてしまったのが「する」という万能動詞です。
名詞であっても「する」を付けることで動詞になってしまうのです。
喚起する、換気する、何とも便利な動詞ですが本来の動詞は「する」だけです。
ここまで書いてくると、言いたいことが「現代やまとことば」であることはお分かりいただけるのではないでしょうか。
(参照:「現代やまとことば」を経験する(1))
きき手が行なっている知的活動はものすごく大変なことをやっていることが分かってきました。
長時間の「きく」活動はとても労力の多い活動であることになります。
きき手に対してやさしい話の方が理解してもらいやすいことは誰もが理解できることです。
そのためにすべきことが見えているのではないでしょうか。
やさしい話とは音読み言葉が少ない話し方となるのです。
「現代やまとことば」は「ひらがなことば」と置き換えることもできます。
実際に使うときには音読み漢字に気をつけるだけです。
思わず使ってしまった音読み漢字の言葉は「現代やまとことば」でもう一度置き換えて言い直してみればよいだけです。
そうすれば自然に「〇〇する」という音読み漢字を使った動詞も減ってくることになります。
どうしても「〇〇する」を使わなければならないときには「〇〇をする」と言った方が伝わりやすくなります。
音読み漢字の言葉は「ひらがなの音」だけではなく文字までも認知しないと意味が理解でないことになるのです。
単純に、きき手に対して文字を同定してもらうという知的行為を追加でさせることになるのです。
当然のように、「ひらがなの音」だけで意味まで理解できる「現代やまとことば」に比べればかなり多くの労を強いることになるわけですから、その結果としての理解の精度も下がることになります。
本当に伝えたいことがあれば伝え方を工夫するのは当たり前のことです。
それは視覚的なことや内容の工夫などいろいろなことに向けられると思います。
その一つに日本語そのものを考えることも加えておきたいですね。
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