第五段階の「きく」は「訊く」になります。
説明としては「話し手の本意をきく」ことになります。
第四段階の「効く」で行なったことは「話し手の気持ちをきく」ことでした。
気持ちには場面ごとの気持ちや全体を通じて流れている気持ちや話している内容とは関係のない気持ちなども含まれることになります。
ある言葉を伝えようとしている時の気持ちを推測することで、その言葉や理論に対するより的確な理解につなけることができることになります。
しかし、話し手には言葉によって伝えたい本意があるはずです。
話し手の意図と言ってもいいのかもしれません。
どんなことを伝えたくて話をしているのかという本意をきき手が推測しなければならないことになります。
それはあくまでも「ひらがなの音」を手掛かりとしたり話し手の態度を手掛かりとしたきき手による勝手な推測となります。
直接的な言語表現として表れていることもあれば言語としての解釈からは理解しにくい場合もあります。
とくに、話の上手な人がよく使う「わたしがお伝えしたいのは」は、確かに伝えたいことではあるのですが決して本意であるとは限らないことが多いのです。
つまり、本意はまさしく言葉通りのものかどうかがとても分かりにくいものとなっているのです。
更には、きき手が複数いる場合には全ての人に本意を伝えたいと話し手が思っているとは限らないのです。
限定したきき手や特定のきき手に対してのみ本音を分かってもらおうとして話をしていることの方が多いのではないでしょうしょうか。
あるいは、話の途中の段階では本当に伝えたい本音を伝えるべききき手をセレクトしている場合もあります。
多数を相手に話しをしている場合には、すべてのきき手に対して同じように本音を理解してほしいとは思っていないことは経験したことがある人は簡単に理解できるのではないでしょうか。
その場合の話し手はきき手の反応や態度をよく見ています。
話し手側から見るときき手の反応は多数であってもよく見えるものです。
きき手がどの様な推測をして論理や話し手の気持ちや本音を解釈しているのかは話し手からは分かりませんので、反応や態度を手掛かりとして理解しようとしているのです。
それによっては、話している途中であっても話し手は気持ちや本音までも変えることがあります。
したがって、本意は推測だけではなく確かめる必要があることになります。
それが「訊く」ことになるのです。
講演会のようにきき手にとっては「訊く」機会がないような場面では一方的な推測ができるだけで終わってしまいます。
推測した話し手の本意を確認することができません。
その時にこそタイトルやテーマが大切になってきます。
「訊く」が今まで見てきた「きく」と大きく異なっていることは、相手に対して「きく」ことであり一方的な受け身としての知的活動である推測だけではないことです。
活動としては話し手に対して話すという行為になります。
今までの「きく」はきき手の中での単独の知的活動でしたが、「訊く」にいたってはそれまでの活動で出来上がった推測を確認するという話し手に投げかける行為になります。
「訊く」は推測が出来上がった最後の段階だけではなく、今まで見てきた各段階においても確認をするために行なうことができる行為です。
しかし、「聞く」や「聴く」、「利く」の段階では「ひらがなの音」がきちんと受け取れているかどうかの確認であり、推測をより確かなものとするための行為とは異なった単純な確認になります。
「効く」についての確認が一番難しいことになりますが、そこには「訊き方」も磨く必要が出てくることになります。
伝える主体が話し手ある以上は、きき手ができる「訊く」ための機会は潤沢にあるとは言えないからです。
場面によっては自分自身で直接「訊く」ことができない場面もあると思われますし、確認した内容を再確認する機会はないこともあります。
あるいは、直接的に本意を確認することがはばかられるような場面も少なくありません。
「訊く」は行為としては話すことに含まれることもあるものとなっています。
その場面だけを見ていたら発信側と受信側が逆転していると思われても仕方のないところではないでしょうか。
また、「訊く」活動は言語による質問だけではありません。
態度や目線だけでも「訊く」活動ができる場面もあります。
むしろ、直接的に確認することがふさわしくない場面においてはこちらの方が有効であることが多いこともあるのではないでしょうか。
更には、その場での確認だけではなくいわゆる「場をあらためて」や「日をあらためて」という「訊き方」もあることになります。
推測を推測のままに終わらせないための「訊く」活動は、きき手の勝手な憶測を防ぐためには欠かせない活動となります。
話し手が伝えた内容がきき手にとって勝手に解釈して終わらせても構わないことだけとは限りません。
話し手に対しての何らかの行動を採る必要がある場合もあるのではないでしょうか。
そこでの本意の取り間違いは結果としての行動の間違いにつながることになります。
話し手が実際に伝えることができるのが「ひらがなの音」である以上、それを言葉として理解するためにはきき手の知的活動が必要になります。
しかも、「ひらがなの音」でしか伝わっていないことを話し手もきき手も意識していることはほとんどなく、無意識のうちに言葉として伝えて言葉として受け取っていると勘違いしていることが多くなっています。
それだけに「ひらがなの音」を手掛かりとした推測には「訊く」という確認活動が大切になってくることになります。
話し手ができることはきちんと伝わる「ひらがなの音」を発信することと、きき手の推測の精度を上げるための手助けすることだけです。
それ以外の「きく」活動はすべてがきき手が単独で行なっている活動であり、話し手が手助けすることができないものとなっているのです。
せめて、きき手が行なっている「きく」活動を理解しておくことが話し手としての大切なことになります。
「きく」という活動を見るために漢字で表記してみることがとても役に立ちました。
同じ訓読みを持った漢字表記は語源を共有している可能性が高いものです。
他の行為についても見てみたいですね。
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