2016年2月9日火曜日

性をもつ言語、もたない言語

言語によっては名詞そのものに雌雄があっても表現上の区別をしないもの多く存在します。

日本語や中国語はその典型と言えるでしょう。

雌雄によって冠詞が変わったり動詞が変わったりすることはありません。


一方では、フランス語やロシア語のように名詞そのものが文法上の性を持っており、それに伴って動詞や形容詞までが変化する言語もあります。

英語はその成り立ちを見ればラテン語の影響を強く受けており本来は文法上の性があったと思われますしその名残もあります。

しかし、現在の英語は文法上の性を持たない言語として位置付けられています。


グレヴィル・コーベット (Corbett 2011) は世界257の言語について、性がいくつあるか調査しました。
それによると、性を持たない言語が約半数で145、性が二つある言語が50、三つあるのが26言語、四つが12言語、五つ以上持つ言語は24あったと報告されています。

下の地図はそのエリアの言語が文法上の性をいくつ持っているかを示したものです。



代表的な言語では、男性、女性、中性の全てを区別している言語はドイツ語、スラブ語、ラテン語などがあります。
このうちスラブ語(ロシア語、チェコ語など)は男性がさらに細分化されていています。

ラテン語から派生した言語でもフランス語、スペイン語は男性と女性の二つの区分であって中性は男性に吸収された形となっています。
ヘブライ語も男性、女性の二つの区分があります。

デンマーク語、スウェーデン語、オランダ語においては、女性と男性が融合して「通性」となっており、文法上の性は通性と中性の二種類となっています。


どの言語においても共通しているのは、実際の動物のように本来の雌雄がある対象に対しても持っている雌雄とは関係なく名詞としての文法上の性が定められており性別上の性とは区別されたものとなっています。

したがって、同じ対象物であっても言語によっては文法上の性が異なるものが数多く存在しており、文法上の性を持たない言語から見るととても複雑な様相となっています。

興味のある方はいろいろな研究が発表されていますので参考にしていただいたら面白いと思います。


ここでは、文法上の性を持つ言語が共通の特性を持っているのではないかという仮説を立ててみたいと思います。

コーベットの調査によると半数が文法上の性を持たない言語となっており、その典型が英語、中国語、日本語となっています。

言語の持っている性格を人の持っている性格としてのバースデーサイエンス(バースデーサイエンス研究所)で分類することを試してみました。
(参照:バースデーサイエンス⇒母語が決める後天的性格

どうやら上手くいきそうです。


英語と中国語は結果重視型の性格を持った言語であり、文の構成や語彙などもそのために向いている構造となっています。

結果重視型の思考をする場合には英語や中国による展開はとてもスムースに運びます。

結果を意識した表現や、まずは結果を表現してから論理を展開するにはとても適した言語となっていることが分かります。


一方、日本語は直感重視型の性格を持った言語と言えるでしょう。

明確な論理性を表現することが苦手であり、その場その場のひらめきで話をつないでいくのには適した言語となっています。

論理構成が苦手であり浮かんでくる想いを次から次へと羅列していくことに向いている言語となっています。


そこで、文法上の性を持った言語を見てみましょう。

結論的には人柄重視型の言語と言えるのだと思われます。

それでも、文法上の性の扱い方によってその強弱があるのではないかと思われます。


明確に男性と女性の二つに分けられているものはかなりこの傾向が強い性格を持っているのではないかと思われます。

中性の言語が多かったり性の分類が多かったりするととこの傾向が弱くなっているのではないでしょうか。

人柄重視の傾向があまり強く見らない言語においては結果重視/直感重視の傾向の方が強く見られる場合もあると思われます。


言語が基本的に持っている正確や傾向があるだろうということはかなり前から感じていました。

同じことを日本語で考えたり討論したりする場合と英語でやってみたりした場合では、結論はおろか論理の展開や検証の方法まで違ってくることが分かっていたからです。

しかも、母語として持っている言語の影響は拭いがたいものがあって、ちょっと難しいことを考えると他の言語を意識していても必ず母語で行なってしまうことことになっていました。

これはかなりレベルの高いマルチリンガルの人でも同じことが起きていることが確認できています。


日本語を母語としている人がなんとか英語を使いこなして表現しようとしても、思考の過程はすべてが日本語で行なわれており最後の表現のところだけで英語に翻訳されているのが実際の行動のようです。

使い慣れたちょっとしたことは英語の感覚で対応できても、よく考えなければならないような難しいことは自然と母語で行なわれているようです。


言語はその民族の長い歴史の中で変化し削ぎ落されて現在の形になっているものです。

その民族の感覚の典型ではないでしょうか。

当然、言語によってその傾向や性格を持っていることは考えられることではないでしょうか。

生まれてからその言語に触れることによって母語となっていきます。


母語が持っている傾向や性格によって大きな影響を受けていると思われます。

人の性格や人格形成において後天的に母語の持っている影響力はとても大きなものだと言えるのではないでしょうか。


言語の持っている性格も絶対的なものではありません。

異なる言語を母語とする者同士が向き合った時に相対的に現れてくる正確や傾向が出てくるものだと思われます。

知っているだけでも使い道がありそうですね。


特に人の性格や傾向と合わさった時にはさらに顕著に出てくるのではないでしょうか。

そのために相手に合わせた言語の使い方も可能になってくると思われます。

意識しないで使っている言語だけに、その傾向にはかなり影響されているのでしょうね。

知るだけでも面白くなりそうです。




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