2015年12月17日木曜日

規則が増えると違反が増える

規則や法律の主な目的の一つに違反の抑制があります。

違反をさせないために禁止事項を定めたものが規則となることになります。

さらに厳しさを求める場合にはその規則を犯したことにに対して罰を設けることもあります。


規則の表現の仕方によっては求めている姿を規定することもありますが、画一的に求めている姿を具体的に表現することは難しくどうしても抽象的なものとなってしまい現実的ではなくなってしまうことが多くなります。

キチンと守って欲しい規則を設定する場合にはどうしても禁止事項について具体的に規定することが多くなってしまうのはこのためです。



違反者を減らすためには規則についての理解を深めるためにしっかりと規則を覚えてもらう必要があります。

つまり、具体的にやってはいけないことを覚えることになります。

しかも、それは統一的な表現によって具体的な行動を規制する内容を覚えることになります。


具体的的な行動を禁止するための規則は、すでに起きていたりその可能性のある迷惑な行動を規制することになります。

その行動は規則で規定しないと人として行なってしまう可能性が比較的高いことを意味しています。

あるいは、可能性は低いものの起きてしっまった場合には大きな影響を与えてしまうものが対象となります。


やってもらい求めている姿を具体的に規定することはとても難しいことになります。

その姿は画一的な具体的な姿で表現することができないからです。

ある程度の幅を持った姿や例として表現することができないために具体性を欠くことになっていしまい現実味がなくなってしまうからです。


昔のようにほとんどの人が同じような生活環境で生きていた時代では、その姿もある程度画一的に描くことも可能だったと思われますが、現在のように様々な多様性の中ではどうしても抽象的なものとならざるを得ません。


例えば、「ハンカチを持ってくること」という極めて具体的な規定を設けたとしても「どうして」という素直な疑問に対しては「洗った手を拭くため」となってしまいます。

「洗った手を拭く」ことができるならばハンカチに限定される必要はなくなります。

本来の目的のためには丸めてポケットに入れっぱなしのハンカチよりも毎日取り替えられた手ぬぐいや使い捨てのウェットティッシュの方が適していることもあります。

きちんと規則の主旨を守る必要があるのであれば規則の表現は的確にされなければなりません。

あってほしい求める姿を描くことよりも本来の趣旨のために妨げとなる禁止事項を具体的に表現した方が現実的な規則となることになります。


ところが、この現実的な禁止事項が違反を増やすことにつながっているのです。

規則を守らせようとすればするほど違反は減らなくなるのです。

規則を守る姿勢が強いほど規則そのものを意識する時間や場面が増えることになります。

また、そうなるように覚えこませたり学習させたりすることになります。


つまり、規則が狙っている本来の主旨よりもやってはいけない禁止事項の方に注意が向けられることになっていくのです。

その禁止事項に該当する場面に出くわし、禁止事項を避ける経験を重ねることによって行為そのものは習慣化されていきます。

しかし、その経験の過程においてはやってはいけない内容が常に意識されていることになります。


やってはいけないこととして意識していたとしてもその行為は具体的なものとしてインプットされています。

行為そのものに対して注意が向いてしまっていることになります。

やってはいけないことを具体的にすればするほどその行為を意識することが強くなってしまうことになります。


社会にはたくさんの数えきれないほどの規則やルールが存在しています。

その多くのものが禁止事項と罰則規定によって表現されています。

そんなことばかりを刷り込まれていくと、具体的なやってはいけない行為に注意が向いてしまいやがては意識しなくともその行為について注意が向けられていくことになってしまいます。


やってはいけないことに出会った時にやってはいけないことを回避するには行動を停止することになります。

何も行動できなくなることになります。

避けるという行動もできずに単に停止するという活動になります。


意識をしていなくとも刷り込まれた行為には注意が向いていますので、ふとした時にその行為が浮かんだり気になったりしてしまいます。

やってはいけない行為にばかりに注意が向いていますのでその行為ばかりがたくさん引出しにあることになります。

禁止をして強調すればするほどその行為を意識させることになってしまうのです。


酔っぱらった時になぜ違反を犯すことが多くなるのでしょうか。

人に迷惑をかける行為になっていない限りにおいては酔っぱらいは決して悪いことではありません。

酔っぱらって禁止を意識することが弱くなると、引出にたくさん詰まったやってはいけない行為に自然に意識が行ってしまうからではないでしょうか。


小さな子供に、やってはいけないことをダメだと注意するとそればかりやろうとしませんか。

叱ったり注意したりすることによって、かえってそのことに対して意識をさせてしまうことになるからです。

規則やルールで規制すること、しかも具体的な禁止事項を規定することによってかえってその内容を意識させることになってしまうことになるのです。

それは、繰り返し経験することによって潜在的な言葉として意識をしなくとも自然に注意が向いてしまうことになるのです。


そこで行動までしてしまうのかどうかは紙一重の状況ではないでしょうか。

意識が向いているのは同じことです。

社会環境的にさらされているストレスの多さや現実逃避の意識が強いほど違反が増えることは当たり前だと思われています。


しかし、そのような状況にあった時に無意識に浮かぶ行為が禁止事項ではなかったとしたらどうなるのでしょうか。

多くの成功者は禁止事項ではなく独特の行動基事項を持っています。

意思が弱った時でも行動できる具体的な行動を持っています。

それはほとんどの場面で通用する禁止事項の回避行動にもなっています。


本人は禁止事項を全く意識してません。

ダメな結果で停止してしまうことが、単なる時間の無駄であることに気づいているからです。

〇〇禁止は結果として〇〇を意識させてしまうことが分かっているのでしょうね。