その際にご案内した言葉は、「使徒イエス(シトイエス)」「ヤアエ」「モセス」「神子入れり(ミコイレリ)」や「巌となて(イハホトナテ)」などでしたが、これらがどこに隠れているのかというものでした。
「いろは」歌に隠されたキリストの話は、個人的には有名な話だと思っていたので軽く流してしまったのがいけなかったようです。
現存する最古の「いろは」の表示形式である一行七文字による表記の中に隠された言葉たちを改めてみてみることにしました。
ヒントは折句と言われる日本の言葉遊びの技術にあります。
一定のルールに従って並べられた文字列を、標準的な読みである縦書きの右から左へ読むこと以外の読み方で普通に呼んでは気がつかない言葉を隠すものです。
よくある方法としては、並べられた文字の横一列の中に文字を隠す方法があります。
最もよく使われるのが先頭の横一行の中に隠す場合です。
全ての文字を使う場合もあれば一部を使う場合もありますし何文字か空けながらに使う場合もあります。
また、同じように縦の行や斜めの行を使用することもあります。
斜めの行を使用する場合には、総文字数が縦横とも同じ文字数で方陣に表記することが多くなります。
一行七文字の「いろは」も空欄を含めてみてみれば七文字×七文字の方陣となっており、斜め読みの可能性を感じさせるものとなっています。
更には、縦横の組み合わせやジグザグや一文字抜きなどの方法が複合的にとられている場合もあります。
「使徒イエス(シトイエス)」は「いろは」の角をすべて使ったものとなります。
七文字の方陣と空欄まで考慮に入れた場合には角が五つあることになります。
「シ」から始まって反時計回りに角の文字を追っていくと「シトイエス」(使徒イエス)となります。
これだけでも、方陣の角を「使徒イエス」で押さえている何かしらの意図を感じることができるのではないでしょうか。
また、「ヤアエ」と「モセス」についても、縦横の違いはありますが同じようなルールで見つけることができます。
ここまで来ると、同じルールで並んでいる「ナカト」や「ハロイ」にも何か意味があるのではないかと思ってしまいますが、今のところはそれらしい言葉は見つかっていません。
最古の「いろは」が掲載されている書物が書かれたのが1079年とされており、「古今和歌集」が書かれたのが905年頃と言われています。
「いろは」が確定したころには和歌の五七五七七の形式は確立されていたものと考えることができます。
素直に右角の「イ」を起点として横・斜め・横・斜めを走ると、五七五七七調で音を読み取ることができるものとなっています。
最後の七音(六音)だけは戻った右角から一文字ずつ飛ばして縦・横と読ませると意味がありそうです。
「いちよらや あえさけいつわ とかなくて しすみこいれり いはほとなて」と読むことができます。
ここで登場するのが、「咎なくて死す」であり「巌となりて」なのです。
現代風に意味を考えてみれば「素晴らしき神の人は 八重のサクラに隠された逸話となり 咎なくて死んだ御子イエスこそ 救いを完結する印となる」とすることができます。
そこまでの解釈をするにはどうしても旧約聖書時代から使われているヘブライ語のサポートが必要になりますが、ヘブライ語を語源とする言葉やそのものの言葉が多く見えることも確かなようです。
江戸時代の庶民にまで知れ渡っていた「咎なくて死す」は、もはや暗号の範疇を超えるものではなかったと思われます。
「いろは」四十七文字のすべてを一回ずつ使いながら意味のある歌にすることだけでも大変な能力です。
その中にさらに折句を仕込むなどと言う芸当は半端な知識ではできないことではないでしょうか。
どこまで暗号として読み取るかは趣味の領域であるかもしれませんが、興味をひかれることに間違いはないでしょう。
時代背景や歴史的な環境を知りたくなるのも当然のことと言えます。
知的遊戯としてはこれほど楽しいものもないのではないでしょうか。