幕末の開国以来、初めて触れるヨーロッパ文明に圧倒された日本は、彼らの文化に追いつくためにあらゆることを模倣から始めることになりました。
それは単なる文化の模倣にとどまらず、国づくりそのものをどの国を手本として行なっていくかということでもありました。
そのために派遣された遣欧使節は途轍もなく大きな責任を背負っていたことでしょう。
ヨーロッパ列強の影響力が世界に広がる中で、植民地として彼らの支配下に組み入れられてしまうのかどうかといった分岐点でもありました。
少しでも早く彼らの影響力を排除できるだけの、対等的な国力をつけなければならなくなってしまったのです。
模倣をしながら国としての基礎力を付けている間にも実際の交渉は行なわれていくことになります。
交渉ができる人材すらも限られた者しかいなかったと思われます。
それでも何とか植民地化の危機を脱した日本は、ヨーロッパの先進文化を模倣しながらもなんとか日本文化との融合を図っていくことになります。
国としての運営の仕方や教育制度、国家の軸としての産業の育成などを中心に、世界の潮流から何とか落ちこぼれずに最後の帝国として世界へ向かっていくことになります。
太平洋戦争まで80年弱という期間の中で、列強と渡り合おうとするまでのものを作り上げてきたのです。
したがって、社会の仕組みのほとんどはヨーロッパ社会の模倣であり、情報の伝達速度も遅かったために軍需産業や国家の軸となる産業のない地方においては昔ながらの日本の文かも色濃く残っていたと思われます。
戦争という国家総動員の一大活動によって、地方までもがその機能として組み込まれていきました。
それでも、社会の構造は地方と都会では大きな開きがあったと思われます。
都会においてはヨーロッパの産業や技術を模倣した社会が定着しつつありましたが、地方では昔ながらの農業を中心とした社会が築かれていたと思われます。
太平洋戦争後の占領軍による統治においても、地方は直接的な影響を受けることはほとんどなかったと言えます。
戦後の体制として中央で決められた政策が実施されたことで影響を受けることがほとんどであり、地方における社会の構造が直接的に占領軍の影響を受けることは少なかったと思われます。
戦後は一段と情報の伝達速度が上がります。
アメリカ型の社会が構築されていくなかで、世界との交易が増えていくことによってさらにアメリカ型の構造の方が都合のいいことが分かってきます。
戦後の企業で我武者羅に世界に打って出ていく環境にあった時は、きわめて有効に機能していたのではないでしょうか。
この社会は具体的な目標を立ててその結果を達成し続けることに適した社会でした。
この感覚は、アメリカの社会の感覚そのものです。
アメリカ英語の持っている感覚そのものでもあります。
アメリカ英語はイギリス英語ともその感覚を異にしています。
他の言語のと感覚の違いから見れば小さな差だと思われますが、両者の間には同じ英語であっても感覚に違いがあるのです。
それはイギリス社会とアメリカ社会の歴史文化的な感覚の差を反映したものとなっているのです。
その差が言語の感覚の違いとして継承されていくことになります。
日本語にも独特の感覚があります。
本来ならば、この日本語独特の感覚が反映された社会が作られていくのが自然な流れです。
しかし、明治維新や太平洋戦争を経験して結果としてアメリカ型の社会を作り上げてきた日本では、言語の持っている感覚と社会の構造が合っていないものとなっているのです。
言語の感覚は人の知的活動のみならず精神活動にも大きな影響を与えいています。
その日本語の感覚持った人が一番生きる社会は、日本語の感覚を持った社会であるはずです。
戦後70年を迎えて社会の構造の基盤であるアメリカ型の感覚と精神文化の基盤である日本語の感覚との間にあるズレが現実化してきているのではないでしょうか。
(参照:言語と社会のズレ)
それは、アメリカ英語の持っている感覚と日本語が持っている言語の感覚としても反映されていることになります。
目標志向型の典型であるアメリカ英語は状況対応型の典型である日本語の感覚とは対極にあるものとなっています。
(参照:目標志向と状況対応)
明治維新における模倣先も自分たちの意思で選択した日本は、国家社会の体制や構造について押し付けられたたことはありませんでした。
太平洋戦後の戦勝国代表としてのアメリカによる統治が初めての経験だったのです。
そんな中で1500年を超えて継承された来た日本語の持っている感覚は、イギリスから移り住んで独立して250年程度の間で効率的な産業社会を作り上げたアメリカ英語とは異なった感覚を持ったものとなっているのです。
これから日本が向う方向は、日本語の感覚に合った社会への修正ではないでしょうか。
言語の感覚と社会の構図が合っていないと、そこにはストレスが生まれることになります。
言語の感覚を知ることによって、社会の構造を見直すこともできそうですね。
世界でも有数のストレス社会となっている日本は、まだまだやれることがたくさんありそうです。