目に見えてたくさんのことができるようになるこの時期は、いろいろなことが自分で考えるようになる時期でもあります。
一番大きな変化は、意思をもって表現することが始まることではないでしょうか。
それ以前の表現は、半本能的な生きていくために必要な表現だったものが、自分の意思を伝えるようになり様々な表現手段を使うようになってきます。
詩を書き始めたり、漫画を描き始めたり、日記をつけ始めたり、絵を描き始めたりするのはこのころから始まります。
きっかけは学校の教科であったかもしれませんが、それまで受動的に行っていた行動が自分の意思で、好きや楽しいという感覚を伴って行われるようになるのです。
それは自分の意思の表現に他なりません。
初めは模倣から入ると思われます。
それでも好きなものややって楽しいということがきっかけになっているのではないでしょうか。
わずかな時間を使いながらもどんどんとその表現力を磨いていき、気づいた時には驚くような能力と感じるかもしれません。
全ての子どもに起こることであり、たまたま変化の大きさに気づいた時に感じるだけのことです。
この時期は9歳ころから12歳ころに当たり、小学校の学習の過程においてもとても重要な時期となっています。
いわゆる「できる子」が明確になってくる時期であり、苦手科目がはっきりとしてくる時期でもあります。
肉体的にも運動神経的にも大きな成長がある時期であり、放っておいても勝手に何らかの能力開花や成長を見せる時期となっています。
この時期に交換日記が流行ることも決して偶然ではないのです。
ある程度の基本的な言語を身につけた子供たちが、その言語による表現を行ない始める時期となっているからです。
学校の授業内容も教科によって専門性を増してきており、理解することも多くなってくるころとなっています。
それまで、知識やルールを身につけるための道具でしかなかった言語を、自分の意思で表現しようとすることが起きてきます。
絵画で表現しようとする子どもは、更に言葉以外での表現も使おうとしているのです。
図工の時間が楽しく感じるのは、このころが一番ではないでしょうか。
創造的な活動は、表現したい気持ちをとても刺激して満足させるものになるからです。
この時期に思いきりいろいろな表現をさせてあげることは、子どもの表現力を磨くことにとても役に立ちます。
子役が一気に役者らしくなっていくのもこのころからです。
この時期に枠をはめをしまうと、その感覚は生涯ついてくることになります。
本人の記憶は薄れたとしても、一種の固定観念として刻まれることになります。
しかし、完全に自由奔放に許してしまうと、いわゆるわがままが出来上がってしまい社会や周りとの協調性を失ってしまうことにもなりかねません。
親が枠をはめることは、思っている以上に強力な固定観念として残ります。
理想は、自分で経験していくことでぶつかって痛い目にも合っていくことで理解していくことになります。
そのための調整力が一番発達する時期でもあるのです。
周りから見ると、鬱陶しいガキだなと思うような場面もたくさんあると思いますが、そういう時期なのです。
ここでたくさんの経験をした方がより高い調整能力を身につけることになり、そのことが交渉力や指導力の源泉となっていくのです。
「できる子」の源泉は国語力であり日本語力です。
この力はあらゆる分野に有効なものです。
小学校時代の「できる子」は一種のスーパーマンではなかったでしょうか。
または、そのように感じることはなかったでしょうか。
ゴールデンエイジはあらゆる可能性の塊です。
あらゆる可能性にトライをさせてあげたいものです。
ぶつかって失敗して調整力を身につける一番いい時期なのです。
この時期を逃すと身につけることが難しいものがたくさんあります。
その原動力なっているのが、国語であり日本語なのです。
国語から外れた日本語をたくさん持っている方が、いろいろな冒険ができるのです。
冒険の数だけ能力が開発されていくのです。
ゴールデンエイジにの迎え方が注目されています。
ゴールデンエイジに入っている子どもたちには、よほどのことがない限りあらゆる冒険を経験させてあげることが大切になります。
そういえば、臨海学校も林間学校もゴールデンエイジに行われていましたよね。
初めての一人旅や記憶に残る旅行があるのはこの時期ではありませんか。
ゴールデンエイジは、いろいろなことで表現を始めるころなのです。
そのためにいろいろなことで周りとの大小のトラブルが出てくる時なのです。
小さな冒険をたくさんする時なのです。
たくさんの冒険をさせてあげられる環境を作ってあげたいものですね。