言語はそれぞれの生活環境や文化環境のなかで生き抜いていくために相応しい形で変化してきたものと言えると思われます。
現存する世界の言語を大きく分けると、ラテン語起源の言語とそれ以外の言語と分けることができます。
ラテン語起源の言語は世界の文明と技術を引っ張ってきたものであり、力による植民地政策や新大陸の開拓によってその言語文化を世界委中に広げていったものです。
その言語の性格はキリスト教という精神的なパートナーを伴って、それぞれの性格にとって都合のいいように解釈をして利用していきます。
ラテン語起源の言語の中でも、語彙としては様々な言語間の行き来をしながらもそれぞれの語順を作っていきます。
特に主語と動詞とその他の語の並びを見ていくと、言語の性格を映していることが分かります。
厳格にSVOを守っている言語の典型が英語になります。
常に主語を必要とし、動詞が主語につづいて大変重要な働きをします。
そのために論理が明確になり、主張が明確になります。
個人の主張と説得に重点が置かれた言語ということができます。
ラテン語起源の言語であっても、スペイン語やポルトガル語については語順がとても自由になっています。
特にスペイン語においては、基本形はSVOなのですが、どのような順番になっても正しい文として成り立っておりとても自由な構文となっています。
さらには、主語によって動詞の変化があるために動詞だけ存在すれば主語がなくとも理解するうえでは問題のない文となります。
そのために、主語が省略されることも頻繁にあります。
わたしたちが知っている、英国の厳格さやスペインの奔放さに通じるところがあるのではないでしょうか。
ラテン語起源の言語でない言語で話者の多いものが中国語です。
中国も広大な国土における侵略の歴史を繰り返してきており、使用している文字は漢字という歴史的な独自の文字を使用しているものの、語順については英語なみの厳格さを持った構文となっています。
国体として個の感覚に慣れていないために、英語圏の国ほどの社会と個の間を厳格に規定された法律制度はありませんが、感覚としては近いものがあります。
目的達成のためには力ずくで達成を最優先するという目標指向型の性格を備えているものと言えます。
日本語は、アジアの果ての小さな島国でほとんど世界の勢力図には現れることがなく独自の文化言語を熟成することができたものです。
国としての存在が脅かされるような侵略に晒されることもほとんどなく、世界大戦の敗戦国となりながらも基本的な精神文化伝統を維持することができたために独自の文化言語を継承し続けることができました。
言語の語順を見てみると、SOVが基本となり文の最後に結論としての動詞が来ることになります。
スペイン語同様に、主語が省略されることが頻繁に起こります。
修飾語が豊富にありいくらでもつなぐことができるために、修飾語と被修飾語の関係を読み取るのが大変になります。
語順も状況に応じてかなり自由に変化することがあります。
ラテン語を起源としているスペイン語の用法とは、かなり近いものがあるのではないかと思われます。
語順が厳格に運用される言語である英語や中国語の性格が目標指向型であることに対して、日本語やスペイン語は環境の変化に自在に対応して自己を変化させていくことで対応する状況対応型の言語であると言えると思われます。
目標指向型が、明確な目標を立ててそこに至るベストの選択肢を選んで達成することに重きを置くことに対して、状況対応型は比較的抽象的な目標であっても現状を把握し対応することに重きを置くことになります。
目標指向型が目標を達成することに最大の価値を見出すことに対して、状況対応型は現実的な状況においてその都度適応していくことを重視しているのです。
目標指向型においては、環境は目標を達成するために利用すべきものであることになり、状況対応型においては環境は常に適応すべき対象となるものになります。
わたしたちが、その国の民族の特徴だと思っていたことはその民族が持っている言語の特徴そのものではないでしょうか。
言語は時代によって変化していくものでもありますが、基本的な感覚や性格はそれほど簡単に変わるものではありません。
使用している文字や発音は違っていても、日常的に使われている語順や構文を知ることによって言語の持っている基本的な性格がわかると思われます。
近代社会を作ってきた文化と技術は目標指向型の言語によってなされてきました。
目標指向型によって作られた社会は、地球という環境を目標達成のために利用してきました。
その社会に継続性がないことをみんなが分かってきましたが、目標指向型では次に進むべき目標が定められていないのです。
明確な目標が定められない目標指向型はストレスを募らせることになります。
やるべきことが分からないのに募るストレスはいろいろな場面で拙僧なく爆発してしまいます。
これを解消するには状況対応型の思考と活動が必要なのです。
目標指向型の言語感覚が苦しんでいる現在は、状況対応型の言語感覚が求められているのです。
「Que Será, Será」(ケ セラ セラ)の感覚が大切な時代になっているのではないでしょうか。
状況対応型の言語をもった国の人たちが、もっと積極的に発言をしていく時なのかもしれませんね。
お互いの解決しにくいところに対してより良い選択肢を提供できることも性格が違っていることのメリットではないでしょうか。
目標指向型一辺倒で来てしまった世界に、少しでも状況対応型を入れることでより良い方向性が見いだせると思われます。
個人の持っている性格とともに言語の持っている基本的な性格も理解しておく必要がありそうですね。