2015年5月5日火曜日

言語のゴールデンエイジ

ゴールデンエイジという言葉をご存じでしょうか。

特に少年サッカーにおいて、ボール扱いを中心とした運動神経が一気に発達しテクニックが上達する時期のことを言うことから広まったものと言われています。

年齢的には9~12歳ころに相当し、ゴールデンエイジを迎える前の時期をプレ・ゴールデンエイジ、過ぎた後の時期をポスト・ゴールデンエイジと呼んでトレーニングプログラムを作成することに使われます。


また、この時期は単なる運動神経の発達だけではなく、記憶力を中心とした知的活動の機能の発達も今までとは違った形で一気に大人並みの機能に変化していく時期となっています。

少年サッカーの指導者でも優秀な指導者は、経験的にこのことをよく知っています。

知的活動の基本は言語による認識ですので、小学校に入ってからの国語の習得が大きな影響を与えることになります。


私も少年サッカーの指導をしていたことがありますので、この時期の子どもたちのあらゆる面での発展のスピードには、毎年のように驚かされていました。

どのようにゴールデンエイジを迎えさせてあげることが一番いいのかは、一人ひとりの子どもについて毎年頭を痛める問題でした。

ゴールデンエイジの迎え方や過ごし方をきちんとしてあげないと、せっかくの機会を中途半端なものとして終わらせてしまうことになります。


特に一番大切なことは、一つのことにこだわらないことが挙げられます。

サッカーは、野球ほどではありませんが体の使い方が偏った運動となっています。

この時期の特徴は、頭で考えることと体を動かすことが一致してくることです。


つまりは、教えられた型を真似することから、自分で判断しやってみることができるようになり、さらにそのこと自体がとても楽しく感じられる時期なのです。

この時期に型にはめてしまうことは簡単です。

決められた型はどんどん身につけていきますが、自分で考える判断力が付きません。


こういう場合はこうするという、決まりきった型は身に付きますが、独創性やゲームのなかでの判断力が養われなくなります。

この時期に大切なことは、瞬時の判断力によって体を動かすことに慣れることです。

1秒先、2秒先を予測して動くことです。


そのためには同じような場面での経験をたくさんしないと予測することができません。

実践形式での失敗をたくさんすることです。

そして、結果だけでなく指導者が狙った予測と結果が出た時に、思い切り褒めてあげることが大切になります。

決して失敗を責めてはいけません、それは対策を考える最高の場面であって最高の教材なのです。

「なぜうまくいかなかった」ではダメなのです、「どうしたらもっとうまくいくか」を自分で考えて行動することなのです。

それを瞬間で判断し行動できるようになるのがこの時です。

時には、指導者が予測できなかったような方法を生み出すこともありますが、この時こそ天才・奇跡として思い切り褒めてあげるのです。


基本的な動きや体の使い方は、この時期に身につけたものが本人の型となって財産となります。

利き手や利き足、体格やバランスによって動きに対してのより素早い対応の仕方が一人ずつ異なります。

一律の指導は一人ずつの発展の足かせになることが多くなります。


言語についても同じことが言えます。

9歳くらいまでに身につけてきた言語は、母語と基本的な国語です。

単に記憶として詰め込んだだけであり、自由に使いこなせる言語とはなっていません。


また、記憶の種類が異なってきており、記憶の保持期間もゴールデンエイジで大人とほとんど変わらないところまで来てしまいます。

それまでは断片的な記憶しか持てなかったのに対して、このころになると「いつ、どこで、だれと」という論理や思考のために必要な記憶の形で保持できるようになります。

エピソード記憶と言われるこの記憶の形態が、大人の持っている記憶の形態と同じになっているのです。

いわゆる、物心がつく時期と言われているのが、まさしくこの時期であることが確認できるのではないでしょうか。


エピソード記憶で保持されていない記憶は、フラッシュバック的によみがえるときはありますが、ほとんど記憶としては残っていないことになります。

小学校の3年生以前の記憶はほとんど残っていないのが当たり前であり、たまに思い出すことがあっても「いつ、どこで、だれと」が不鮮明であえうために、記憶としての精度に欠けることになるのです。


基本的な言語としては身についていますので、言語を使った活動が始まることになります。

まずは、授業中でもおしゃべりが多くなります。

学校の指導もあり、数多くの本を読むようになります。

詩を書いたり漫画を描いたり、交換日記を始めたりといった何かを表現することが始まります。


この時期にはめられた型が、将来的に大きく影響することになります。

禁欲的に何でも「ダメ」として教育された子は、いい子ではありますが冒険をしない規範に沿った者となっていきます。

いろんなことに手を出していたずらをしながら怒られながらもすり抜けてきた子は、要領の良い危険回避の上手な者となります。

規範に背くことをたくさんしながらも怒られることのなかった子は、悪いことをしても罪の意識を感じない者となります。

自分で考えて行動するとで失敗することを許容された子は、冒険心豊かで自分で考えて失敗を恐れない者となります。


この時期はあらゆることを経験するときですが、やってはいけないことの理由もわかりませんので間違いもたくさんする時期です。

この時期に怒られた言葉は深く印象に残ってしまいます。

怒られることも多くなりますので、嫌な感情を持つことも多くなります。

友達が怒られることを見ることも増えますので、嫌なことにに対しての学習能力が付き危険回避をすることを学びます。


この時期にどれだけ多くの経験と失敗をすることができたかは、人としての知的能力を格段に発展させるものとなります。

しかし、反対にそのことは学業としての評価には決していい影響を与えるとは限らなくなります。

この時期にどれだけ多くの経験をし、どれだけ許容されたかあるいはどれだけ怒られたかによって人としての大きさが決まってくるようです。


特にやっていいこといけないことは勿論ですが、感覚的にやってもなんとかなりそうなことである微妙な限界のニュアンスを自分でコントロールできるようになるのがこの時の経験によるものです。

社会見学や遠足、臨海学校や林間学校などの共同生活の経験などが一番生きてくるのがこの時期になります。

それまでは、自分の欲求だけ基づいて発していた言葉が、使っていい言葉とそうでない言葉として理解できてくる時期でもあります。

「ふさわしい」言葉としての感覚を経験によって身につけていくのがこの時期でもあります。


テレビで、スポーツのゴールデンエイジについて取り上げる機会が増えていると思います。

あらゆることでとても大切な時期でもあります。

知的活動においてもゴールデンエイジであることをもっと取り上げて欲しいですね。