2015年4月1日水曜日

生き抜くための日本語

今年は、桜が満開の状態で4月1日を迎えました。

多くの学生が社会へと出ていく日でもあります。

3月中に入社式を済ませた企業もありますが、やはり4月1日の方がピンと来るのは感覚が古いのでしょうか?


今年、社会人となる何人かと話をする機会がありました。

私たちのようなバブルからリーマン・震災などを大きな波のような経験をしているわけではないので、どうしてもおとなしそうに見えてしまうのは仕方のないことだと思います。

それ以前に、数年前に社会に送り出した自分の子どもたちよりもさらに若いわけですから、なかなか会話がかみ合いません。


特に意識するのが、同じ言葉に対して持っているイメージがかなり異なることです。

同じ学生であっても、同じ言葉に対して説明してもらうとかなり違うイメージになっていることが分かります。

それは、それぞれの専門分野においてですら現れています。


初めて彼らと話をするときには、共通話題を見つけるのに苦労をします。

こちらが見つけて話を広げても、彼らから見たら共通話題ではなく話を合わせていることが多いこともよく分かりました。

素直に、いま何に関心や興味があるか聞くことが一番スムースに話ができることが分かりました。


地頭の良い学生が多かったせいか、知識においては専門的なものから一般的な時事的なものまでかなり持っていると思われました。

就活用に仕入れたものかもしれませんね。

それでも、凝り固まった固定観念を押し付けつる中堅社会人よりは、よほど身になる会話ができました。


やはり、きっかけは「現代やまとことば」でした。

こちらが父親以上の年齢ですので、初めのうちはかなりの緊張感を持って接していますが、自分の興味や関心のあることに対しては積極的に絡んできます。

それでも知恵よりは知識が中心になっているので、知っていることや読んだこと聞いたことが中心になっていることは仕方がありません。


彼らが皆、素直であったのでしょう、持っている言葉を「現代やまとことば」で表現してみることについては、全員が興味を持っていました。

目の前でやって見せてもくれました。

ひらがなと訓読み漢字だけで表現することで、自分が本当に理解できている言葉かどうかがよくわかります。

完全に理解していると思っていた言葉であっても、いざ「現代やまとことば」で表現してみると上手くできないことがよくあります。

しかも、日常的に頻繁に使っている言葉で、誰もが分かっているだろうと思った言葉が沢山あるのです。


若い者は吸収力があります。

目の前で、自分たちで「現代やまとことば」による表現遊びを始めてしまいました。

辞書にあるような表現ではなく、自分がその言葉に対して持っているイメージを苦労して表現することは、結果としてその人の人となりがよく現れてきます。

「現代やまとことば」で表現したつもりが、その中にも音読み漢字や熟語やアルファベットが含まれてくることがよくあります。


それを指摘し合って非難するのではなく、いい方に表現しなおしてみる姿勢があります。

知識の詰め込みは、知恵を使ったゲーム的な場を減らしていたのかもしれませんね。

答えのないものを探していくことに対しては、かなり興味を持ったように思えました。


その中の一人が、私が伝えたいことに気がつきました。

みんなが「現代やまとことば」を意識したら、コミュニケーションギャップが激減するのではないかと言い出したのです。

こんなことは、どこでも教わったこともないと言い出す者もいました。


一人の知識や知恵では生き抜いていくためには限界があります。

他人の知識や知恵はそのままでは役に立ちません。

他人の知識や知恵に触発されて、自分の知恵となった時に初めて生き抜いていくために役に立つものとなります。


共通言語は小さな固定した社会を作ります。

専門用語の世界は、それが共通語となる社会を固定化してしまいます。

そのことが一般社会とは異なった特殊な社会に属しているという優越感につながることもあります。


言葉は敵味方を見分ける大きな要素です。

言葉の違いは距離を産みます。

より多くの多様性に触れようとしたら、言葉を変えなければなりません。

より多くの知識や知恵に触れようとしたら、言葉を選ばなければなりません。


同じ日本語とはいっても、通じない言葉はいたるところにあふれています。

同じ社会のなかで活動しているときは、専門用語の方が上手くいくことがあるでしょう。

一歩離れたいときや、殻を破らなければならないとき、固定概念を外したいときなどには、いつもの言葉と違った言葉を使ってみることはとてもいいきっかっけになります。


相手の言葉が分からないとき「現代やまとことば」はとても役に立ちます。

属している環境が異なる大勢に対してもとても役に立つ言葉です。

あらためて、新入社員になろうとする若者たちに教えてもらいました。