2015年4月2日木曜日

サクラを詠んだ感覚

万葉集以来、数多くのサクラを詠んだ歌があります。

万葉集の編纂された年代は不明ですが、のちの史料などから奈良時代(710~794年)の末期ではなかったと言われているものです。

収められている歌も、長歌がほとんどになっており、短歌の方が少なくなっています。

万葉集の中でもサクラを詠んだ歌は数多くあり、おそらくは花としては一番多く詠まれているものではないでしょうか。


その中でも特徴的な歌として、以下の短歌を一つ上げておきたいと思います。

梅の花咲きて散りなば桜花継ぎて咲くべくなりにてあらずや
(うめのはな さきてちりばな さくらばな つぎてさくべく なりにてあらずや)

梅の花が咲いて散ったら、すぐにサクラの花が咲きそうになっていると言った意味になります。


奈良時代には、花と言えば梅や萩を指すことが多く、今のようにサクラに対して大騒ぎをして花見をするような習慣はまだなかったようです。

春を代表する花としては、梅がその象徴のように扱われていたようです。


時代とともにサクラが春の花の代表のようになっていきます。

サクラを詠んだ歌人の代表としては西行法師が挙げられるのではないでしょうか。


願わくば花の下にて春死なむその如月の望月の頃

西行法師の辞世の句として詠まれたものですが、死ぬときにもなんとか桜の花の下で死にたいものだと詠んでいます。


西行法師は、奥吉野の金峯神社の近くに庵を結んで、三年間桜の園の中に埋もれるように暮らしたと言われています。

現在でもその跡が西行庵として残っています。

吉野山の麓から咲き始めたサクラは、徐々に標高の高い方に向かって花を咲かせていたと思われます。

西行庵があった場所は、吉野山でも一番最後に桜が咲いたあたりだとも言われています。


平安時代の貴族たちは、サクラを春の花の代表として愛でて、歌を詠み花見の宴を開いたと言われています。

このころからサクラが春を代表する花となっていったのではないでしょうか。

花見と言えばサクラのことを指すようになり、サクラ以外の花を見る時には「梅見」「観梅」「観菊」などと花の名前を入れて表したようです。


サクラの語源に一つにこんなものがあります。

「サ」は田の神様のことを表すのであり、「クラ」は神様の座る場所を表すのもであると言うものです。

サクラは田の神様が山から下りて来る時に、いったん留まるところであるとされていたそうです。

山岳信仰にも通じるところがあり、春の田起しが始まる前に、神の留まっているサクラに料理や酒を収めて豊作を祈ったことが、一般に広まったとのではないかと言われていることです。


今のサクラの主流はソメイヨシノですが、この種は江戸時代の末期に染井村(今の豊島区駒込あたり)の植木屋が、大島桜と江戸彼岸桜を交配して観賞用に作り出したものと言われています。

始めのうちはサクラの名所にちなんで吉野桜と名付けられたようですが、吉野の山桜と間違われないように染井吉野(ソメイヨシノ)となったそうです。

大島桜の特徴である、花が大きく香りもよい華やかさと、花が咲き切った後で葉が出てくる江戸彼岸桜の特徴が引き立ったために、一躍人気の品種となったと言われています。

十年ほどすれば立派な木になるために、明治期以降は学校や公園や川沿いなど次々に植えられて主流となりました。


ソメイヨシノは自力で繁殖できず、接ぎ木や挿し木で増やされるために同じ条件下で一斉に花が開きます。

一斉に咲いて一斉に散るのは、個体差が少ないからでもあります。

100年以上も咲き続けているものもありますが、寿命もあり一斉に植えられたところでは、新しいサクラへの植え替えも始まっています。


その寿命が、人の寿命と近いことも人気の理由の一つかもしれませんね。

人知れぬ場所で見つけたサクラが満開の姿を見つけた時は、何とも言えぬ嬉しさを覚えるものです。

みんなでする花見も楽しいものですが、一人だけの静かな花見も格別のものがあります。


命のはかなさと同時に、繰り返される命の活動を身近に感じることができる、数少ない機会なのではないでしょうか。


ながむとて花にもいたく馴れぬれば散る別れこそ悲しかりけれ

ずっと花を眺めているせいか、花に情が移ってしまい、花たちと散り分かれてゆくのが悲しく思われることだと詠んだ西行法師の歌です。

咲き方が見事であればあるほど、見とれると同時に感情が移るのが日本語の感覚です。

そうなれば余計に、散り分かれゆくことが悲しく感じることになりますね。


更には、グダグダと別れの感傷に浸る間もなく一気に散っていく潔さには、見ているだけで理想の生き方を映してしまうのではないでしょうか。

我も生きたやサクラのように。

そのように生きることが難しくなればなるほど、際立ってくるようですね。

まさしく、江戸後期の武士道の有様と似ているのではないでしょうか。


あなたは、サクラに何を例えますか?