2015年4月3日金曜日

書くことでわかるもの

私達の知識のほとんどは、書かれたものから得ていると思われます。

映像や音声による知識は確実に増えてきていますが、書かれたもよりもずっと少ないものとなっています。

また、映像や音声による知識であっても、その確認のために書かれたもので補なうことは日常的に行われていることです。


書いてあることから読み取ることを学習の中心としてきた私たちは、文字を読むことについては決して苦痛ではないものとなっています。

理解しにくい文章や分かりにくい言葉が並んだものでない限りは、読むことについては大きな抵抗がありません。

ほとんど理解できるものであればかなりのスピードで読んでいくことが可能になっています。


ところが、文字的な意味としては理解できても、なぜそのように書かれているのかということになると理解が難しい部分が出てくることがよくあります。

前後の脈絡や背景を想像しても、なかなか理解が難しいような場合です。

具体例としては、江戸期の地図を挙げてみます。

文字そのものは漢字とカナで書かれており、読めないものはほとんどありません。

このころの日本の地図は西洋の地図と異なって、北を上にして表記する方法を採っていません。

御城という字が江戸城の位置にかかれていますが、今の基準に従ってほぼ北を上にするとこのような配置になります。

御城の文字を基準にきちんと向きを合わせると、90度左に回転することになりますが、そのようにしてもすべての文字が同じ方向に揃うわけではありません。


一つずつの文字の並びを見ていった時に、何らかの法則性はあると思われるのですが、それが見つかりません。

普通に考えれば、全体としての向きはともかくとしても、すべての文字を同じ方向で書いた方が書きやすかったはずです。

または、御城を中心に意識したいのであれば、御城から放射線状に記載する方法のほうがよかったはずです。

よく見ると、四方向のすべてに文字が表記されていることが分かります。


なぜこのような表記の方法を採ったのでしょうか。

表記できるスペースに対して、いかに効率よく名前を入れるかと考えても、これだけ文字の大きさを使いこなすことができるのなら、特に問題にはならなかったろうと思えます。

一つひとつの文字の向きが何かのルールによって決まっているように思えますが、そのルールが理解できませんでした。

これだけ文字の向きがバラバラだと、大きな地図をいちいち向きを変えて回しながら見ていかないと、文字が読み取りづらくなっています。

作る方も、これだけ文字の向きを書き換えるのは大変だったと思われます。


古地図を手に入れてから、しばらくは興味を持ってみていたのですが、目的の屋敷を探すのが非常に大変なためにだんだん見なくなってしまいました。

それでも、地図に記載された文字の向きが気になっていました。

コピーを取って持ち歩いて眺めたりもしていました。


この文字の並び方がよく分からないのです。

何となく同じ区画にある名前は、同じ方向に書かれているなとは思うのですが、端の名前だけ向きが違っていたりするのです。


少しまとまった時間がとれたある時に、一部を拡大コピーしてみました。

そして、路と区画を残して名前をすべて消してみました。

すっきりして、現代の地図とほとんど変わらないようなものになりました。

何となくホッとしたのを覚えています。


そして、元の地図を見ながらそこに書いてある名前を同じように向きも合わせて書いてみました。

書いているうちになんとなくわかったように思えるものがありました。


四方を路に囲まれた大きな区画の屋敷は、たとえ隣同士であっても書かれている文字の向きがバラバラです。

四方を道で囲まれた区画の中をさらに細かく分けられているものについては、文字の向きが同じものが多いのです。

そして書き続けてみると、すべての名前が路に対して垂直に書かれていることが分かってきました。

いくつか並んだ名前の端だけが向きが違うのは、端の土地が角地であり2つの路に囲まれているからだとわかりました。


そこでまた疑問が出てきます。

では2つ以上の路に囲まれた土地は、どの路に対して垂直に書けばいいのでしょうか。

これがわかりませんでした。

四方を路に囲まれた屋敷を中心に見てみましたが、どうも規則性が見つけられません。


あきらめかけていた時に、東京駅の本屋で古地図の展示会がありました。

私が持っている元禄初期の地図と同じものも展示されていて、それ以外に江戸期の古地図が年代順に10点以上展示されていました。

見逃すわけにはいきません。


どの地図も文字の向きが四方にありますので、見ているだけでも首がつかれます。

ふと、1枚の地図の前で視線が止まりました。

視線の先にあったのは増上寺です。

さすがに徳川家の寺です、異様なくらい丁寧に色つきで書かれています。


ここで目が行ったのがお寺の門でした。

現在の正門の位置とは異なっていますが、丁寧に門が書かれています。

建物も木の生え方も書かれている文字も、すべて正門から見た位置関係になっているのです。

一気にすべてが解決しました。


江戸城の御城という文字も、江戸城の正門から見た時の配置になっているのです。

その門は半蔵門なのです。

決して大手門や今の丸の内側にある門ではなかったのです。


地図に書かれている名前は、すべてその家や屋敷の正門や入口から見た向きに書かれていたのです。

なんという正確さでしょうか。

わたしは、この増上寺の門が書かれた地図を買おうとしていつの時代のものか確認をしてみました。

なんと、私の持っている元禄初期の地図そのものだったのです。

見慣れた感じがしたのはそのせいだったのでしょう。

一番よく見ていたはずの地図で、最後のきっかけを見落としているのです。


まずは地図を作った人の気持ちになるように同じように名前を書くことをしてみました。

ここから始まったことです。

しかし地図を理解するには、文字だけではダメなのですね。

もし、増上寺の地図をそのまま書き写していたら、その時に気がついていたかもしれません。


でも、おかげで江戸期の地図の見方は人にも語れるくらいの自信がつきました。

書くことでわかることは、思った以上にあると思いますね。