世界の共通語と言うと何を思い浮かべるでしょうか。
一番単純に考えれば、公用語として最も広く使われている英語ということになりますね。
人によっては、最近すっかり聞かなくなったエスペラント語を思い浮かべる人もいるかもしれませんね。
エスペラント語は開発者の呼び名を取ってつけられた名前です。
現在でも100万人近くの人がエスペラン語を話すと言われています。
特に、英語が世界共通語としての立場を強固にすることに対して面白くない人々は、エスペラント語を世界共通語として推すことに力を入れてきました。
中国では「国際語」と呼んだりもしています。
しかし、エスペラント語の位置付けは、すべての言語にとっての第二言語でありしかも人工的に作られた言語であるために、基本的な言語感覚というものが存在していません。
全ての人にとって母語ではない言語で、そのうえに感覚の分からない言語でコミュニケーションを取ることになりますので、表面的なコミュニケーションしか取れないことになります。
例え自分の母語ではなかったとしても、どこかで母語として存在している言語であればその言語が持っている基本的な感覚を知ることは可能になりますが、エスペラント語についてはその感覚がない言語となっているのです。
少なくとも言語は歴史文化が反映されて作り上げられてきたものです。
エスペラント語には、それがありませんのでエスペラント語を母語とすることはないのではないかと思われます。
現在、世界の共通語としての地位を得ているのが英語です。
これはますます強固なものとなっていくと思われます。
しかし、世界の共通語となっている英語は、イギリス英語でもアメリカ英語でもカナダ英語でもオーストラリア英語でもないものとなっています。
しいて世界共通語としての英語を設定して呼び名をつけるとすれば、国連英語となるのではないでしょうか。
国連英語の感覚は、英語の基本的な感覚を含んでいますが、それぞれの国や民族で英語を母語とする人たちの英語とは微妙に異なっています。
その異なり方が、イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリアのそれぞれの英語の異なり方と同じ程度ですので、英語を母語として持っている人にとってはその違いをほとんど意識することがないものとなっているのです。
同じ英語であっても、イギリス・アメリカ・カナダ・オーストラリアでは感覚が違います。
さらに、言語はそれぞれの国でも個人によっても感覚が微妙に異なるものとなっています。
この異なり方は、敢えて取りあげなくとも通常のコミュニケーションのなかで、調整できる程度のものとなっています。
厳格な表現をするときに調整が必要になる程度であり、日常においてはほとんど意識する必要のないものとなっています。
英語を母語としない者にとっては、英語を避けて通ることができない時代となっています。
私たちが義務教育で習得した英語は、実際の場面では役に立たないか、おかしな英語となっていることが多くなっています。
言語は日々変化していきますが、口頭言語である英語は文字よりも会話に重きがありますので、その変化の仕方はさらに早いということができます。
私たちは、世界の共通語としてはどんな英語を習得したらいいのでしょうか。
実はどんな英語であっても構わないのです。
どんな英語であっても英語として持っている基本的な感覚に変わりはないからです。
英語同士のなかでの感覚の違いなど、母語として英語を持っている者以外には必要ないからです。
どんな英語であっても世界の共通語としては役に立つのですから、共通語としての位置付けではどんな英語でもいいことになります。
また、英語は口頭言語ですので、コミュニケーションのほとんどが会話で行なわれる事になります。
英語を母語としている人たちは、聴いて理解することに慣れていますので、かなりのズレまでも修正して聞き取ってもらうことができます。
しかも、理解できなかったことに対してそのままにしておくことが苦手ですので、ほとんどの場合はその場で聞き直してきます。
こちらが、できる限りの表現で伝えていれば大概のことは理解してもらうことが可能なのです。
日本人にとって、会話としての英語が習得しやすいのは、かなりブロークンであっても理解してもらうことが可能だからです。
日本人にとっては、母語として持っている日本語の特徴が染みついていますので、英語の基本的な感覚との違いを理解できれば十分なのです。
そのためにはどんな英語であっても構わないのです。
英語は口頭言語ですので、聞き取れることが最初の関門になります。
言語の使用している周波数帯でも見てきましたが、日本語が持っている周波数帯は他の言語に比べてかなり低い領域に集中しています。
(参照:周波数から見てみた言語)
母語として日本語を持っている私たちは、日本語以外の周波数帯を言語として捉えることが苦手になっています。
そのことだけから見たら、アメリカ英語が一番適しているのではないでしょうか。
イギリス英語は、使用している周波数帯がほとんど日本語とは重なっている領域がないからです。
いずれにしても、日本語を母語としている者にとっては世界の共通語は感覚の異なる言語になります。
しかもその共通語を理解するのも日本語で行なわれることになります。
意識をしないと、使っている言語は英語なのですがその感覚は日本語となってしまうのです。
英語の感覚からするとあり得ない表現や「?」となることがたくさん出てきてしまうのです。
大切なのは、直訳的な単語やセンテンスを身につけることではありません。
英語の持っている言語としての基本的な感覚を知ることです。
それさえできれば、実際に英語が使えなくとも全く問題がないのです。
日本語を使って、英語感覚の表現がいくらでも可能だからです。
英語の感覚に合わせた日本語表現は、誰が英語に訳したとしても意図や主旨がブレることはありません。
自動翻訳でも問題がないことになります。
日本語の持っている表現の豊かさにかかれば、簡単にできることなのです。
言語としての英語を身につけることよりも、英語が持っている基本的な言語感覚を身につける方が、国際人として通用するのではないでしょうか。
世界の共通語としての英語のポジションは、ますます確固たるものとなっていくと思われます。
知らないうちに世界に放り出されている環境になりつつあります。
言語感覚の違いをしっかりと知っておく必要がありますね。
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