2015年3月16日月曜日

お母さんになるための日本語(2)・・・賢い子を育てる方法

人の知的活動は言語によって行なわれてることが分かっています。

知的活動の質の高さを「賢さ」と呼ぶのであれば、「賢さ」は言語によって作られていることとなります。

一人ひとりの持っている言語が異なっていることが、「賢さ」に差が出る大きな要因だと思われます。


専門家というのは、一種の「賢さ」の典型と思われますが、専門家とは専門とする分野における言語をよりたくさん持っていて使うことができる人ということができます。

「賢さ」で評価されることは、決して人としてのすべてではないと思いますが、より賢いと評価される方が生きていくうえで有利であることは間違いのないことのようです。

その典型が、学歴になるのではないでしょうか。

より高学歴で社会から賢いと評価される大学とそうでない大学では、大学卒業時の進路においてその選択肢に明らかに差ができているのが現実です。

学歴の評価に対しては批判的な意見もありますが、実社会では明らかな差別となっていることも現実ではないでしょうか。

大学に対する評価はそのまま、高校以下の学校のついても同じようについて回ることになります。


社会に出てからの個人としての生き方において、どこまで学歴が影響してくるかは分かりませんが、初めて社会に出ていく就職においては学歴によって現実的に多きな差があることは誰もが認めることでしょう。

東京大学を卒業した者と名前を聞いたこともない私立の大学を卒業した者とでは、明らかに就職における選択肢に差があります。

誰しもが、できるだけ自分に利のある選択肢を求めることになりますので、できる限り社会的に評価の高い大学を目指すこととなります。

やりたいことや専門性が明らかでない者ほど、より多くの選択肢を求めることになります。

そのためには少しでも良い学歴を追い求めることになります。


本当の「賢さ」は自力で社会を生き抜いていく力であることは、誰もがわかっているのですが、その力を身につけることなく社会に出てく現状では社会から評価されている大学に入学し卒業することが「賢さ」の基準となっていると思われます。

そのための関門を通り抜ける力のことを「賢い」として表現しているのだと思います。

そうは言っても、この「賢さ」も知的活動であることに変わりはありません。


とりあえずは、分かりやすくするために、より社会から評価されている大学に入学する力を「賢さ」と呼ぶことにしましょう。

もっとわかり易く言えば、難しい大学の入学試験に合格する能力と言ってもいいかもしれません。

そのほとんどが、認知能力と記憶力に頼っていることは明白なのですが、それでも知的活動の一部あることに変わりはありません。


社会で生き抜いていくための能力と難しい大学に合格するために必要な能力は異なっているのに、親としては社会を生き抜いていく能力よりも大学に合格する能力の方を重視してしまうことになります。

大学を出すまでが親の仕事であり、自分で稼ぐことを始めてからは自力で社会を生きていくというルールがいつの間にか出来上がってしまっているようです。

したがって、「賢い」子どもに育てるためには認知力と記憶力を高めればいいことになります。

社会を生き抜いていくために必要な能力の基本が、思考力と表現力であることに比べるとかなりのギャップがありますが、これが現実だと思われます。

大学卒業し、社会生活を始めるまでの「賢い」という評価が、社会を生き抜いていくときにはほとんど役に立たなくなるのは、このせいだと思われます。


それでも、初めて社会に出た時の選択が、その後の社会生活において大きな影響を与えることから考えれば、「賢さ」の追及は仕方のないことなのかもしれません。

見てきたように「賢さ」の基本はすべて知的活動です。

つまりは言語による活動となっているのです。


「賢さ」を作り上げるのは、子どもの基礎言語としての母語をどのように形成していくかが大きな影響力を持っています。

母語は、母親からの伝承言語であり、子どもが選んだり自発的に学んだりできるものではありません。

母親が持っている言語がすべてであり、その一部が母語として子どもに伝承されることになります。


短大卒で家事見習いから結婚して子供を持った母親と、大卒で就職して社会人生活を10年も送って子どもを持った母親では、持っている言語にかなりの差があることになります。

社会経験の長い方が沢山の言葉を持っていますが、それがそのまま子どもに伝わるわけではありません。

また、社会経験で身につけた言語は、専門用語化したものが多くなりますので、共通語としての国語からはかなりかけ離れた言語となっています。

子どもとの接し方によっても、伝わる言語に大きな差が出ます。

早めに職場に復帰して、幼児期に子どもとの接触時間が少ない場合は、母親の持っている言語の伝わり方が少なくなります。


特に、生まれてから18ヶ月は母親との接触しかできませんので、ここで語りかけることや触れ合うことがとても大切だと言われています。

常に母親と接していることによる、絶対的な安心安全の感覚が健全な発達の最大の要素だと言われています。


子どもが生まれてから言語を身につけても役に立ちません。

その前に、本を読むことが一番現実的な方法だと言えるでしょう。

妊娠中に読む本は、深い思考を必要とするようなものは向きません。

思考に集中できる環境にないからです。


もう一つは文字や文を書くことです。

日記的な物でもいいのではないでしょうか。

ただし、書き方があります。

できるだけ、漢字の音読み熟語を使わないように書きます。

つまりは、ひらがなと漢字の訓読みだけで書くようにするのです。

すぐには難しいことになりますので、音読み熟語を使った場合にはひらがなで言い換えてみることがいい訓練になります。

思わず出てきてしまう、音読みの熟語はひらがな言葉で言い換えることでより鮮明な理解につながっていきます。


アルファベットやアラビア数字もなるべく使わないようにします。

この表現が日本語のエキスなのです。

意識をしなくとも、ひらがなと訓読み漢字で書く練習をしていると、日本語の基本的な感覚が磨かれるのです。

この感覚を、子どもに伝えることが「賢さ」につながるのです。
(参照:「現代やまとことば」

子どもが生まれてしまってからでは難しいことになります。

そして、できることならば、日常生活における会話もできるだけ音読み熟語を使わないようにすることができるともっと効果が上がることでしょう。

母語の伝承は、具体的には言葉によって行われていますが、そこで伝承されているのが言語としての感覚になると思われます。

それぞれの言語のが持っている独特の感覚を伝えるために、言語の伝承が行なわれていると思われます。


幼児期健忘によって、具体挺幼児期言葉をほとんど失っても基本的な言語感覚が残っていると考えられています。
(参照:幼児期健忘について

これが、そのあとの学習言語である国語の習得へと素直につながっていくこととなります。


次回は、母語としての具体的な言語の伝え方に焦点を当ててみたいと思います。


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