2015年3月11日水曜日

日本人が喜ぶ表現

日本語が持っている基本的な感覚と、その感覚が出来上がってきた環境についてはかなり詳細に見てきました。
(参照:日本語の感覚に迫る など)

その中で強調してきたことは、環境とのかかわり方です。

お互いが相手の環境を理解し合うことと、その環境と相手との関係性が日本語の感覚にとってとても大切な要素となります。


直接的な表現や、Yes or No 的な表現を好まない日本語の感覚からすると、直接的に褒められたりすることに対しての反応が苦手になっています。

自分ではそれだけの力があると思っていても、「そんなことありません」などと謙遜して見せることが、日本語の持っている感覚となっているのです。

そのことを理解していると、相手を褒めたたえる時の表現が変わって来ます。


表彰式のスピーチなどにおいても、明らかに実力で獲得したものであっても援助者をたたえ、表彰者に対して感謝の意を伝えることになります。

その方が好感をもたれ、自分中心の感覚を持たれずに済むからですが、より受け入れてもらいやすいことをわかっているからです。


日本語の持っている感覚に照らし合わせて、一番効果的に相手を賞賛する方法は、そのことを成し遂げた環境を賞賛することです。

沢山の環境があるはずです。

その環境との関係性にまで触れることができればベストだということになります。


環境を賞賛されることによって、賞賛された方は本当に自分のことをよく理解して賞賛してくれているものと感じることになります。

同じ「おめでとう」を言うに際しても、成果に結びつく環境を見つけたり作り出したりしたことに対してのささやかな付けたしが、「ありがとう」の効果をさらに大きくします。


自分自身が賞賛されることよりも、息子が賞賛されることの方がうれしいのです。

それは、息子が賞賛に値する環境を作ったことに、自分自身が大きくかかわっているからです。


日本語の感覚からすると、あらゆる能力を兼ね備えたナンバー1よりも、神輿を担いで表面には出なくともナンバー1にした環境を作ったナンバー2であったり、右腕左腕と言った存在の方が評価されるのです。

絶対的なナンバー1を日本語の感覚は好まないのです。


これは、畑で野菜を作ることによく似ています。

商品として売り物になったり、食料として実際の役に立つのは野菜そのものですが、その野菜の出来の良し悪しは畑の土によることが大きいからです。

更には、激しく変わる天候に対応しながらその時々の最良の手間を掛けなければならないからです。

作ろうとする野菜に対して最良の環境を維持する努力を怠るわけにはいかないのです。


土づくりが野菜作りのための最大の要素となっていますので、出来上がった野菜を褒められることよりもその野菜を収穫できた土を賞賛されることの方がはるかにうれしいのです。

種を植えて収穫までの期間は限られていますが、土作りは一年中怠ることができないものです。

日本語の感覚は、野菜としての人が土という環境によって初めて存在していることをわかっている感覚なのです。


相手を喜ばせたいときは、直接的な褒め言葉や賞賛は時として逆効果になることがあります。

特に日本語の感覚では、面と向かってマイナスの感情を表すことを嫌いますので、その場では反応を確認することがとても難しくなります。

間違えのない賞賛方法は、どんなに細やかなことでもいいので環境を褒めることです。

他の人が気がつかない、ほんの小さな環境であるほどいいのです。


それによって、相手は自分のことをそこまで理解してくれているのかという感情を抱くことになります。

家を褒め、車をほ褒め、子どもを褒め、というのはその昔にセールストークで教わったことですが、直接的に本人を賞賛することよりも効果があることは間違いのないことでしょう。

ただし、人の褒め方はとても難しいものがありますので、一つ間違えると嫌味となって禍根を残すことにもなります。

環境をほめることが身についてくると、人との付き合いにおいて環境を見ることが習慣になってきます。

ちょっとしたことから、環境を伺うことが増えてきます。


初めて会った人や名刺交換の時に話題にしようとしていることは、まさしくこの環境に他ならないのです。

その環境を作り上げたり見つけたりしてきたことが賞賛に値することだと言う感覚を持って伝えることができれば最高です。

その結果として、このように素晴らしい成果に結び付いたということになります。


私もやってみましたが、ちょっと意識しただけで簡単にできるようです。

ただ、意識することを忘れてしまっていることが多いのですが・・・

更にいいことは、直接的な賞賛は伝える方にも照れくささやもどかしが伴いがちですが、環境を賞賛することはとても素直にきわめてストレートに表現できることに気がつきました。


周りをよく見ていると、これの上手な人が必ずいます。

嫌味にならない賞賛の典型ですね。


その人のアウトプットや目に見えるものを賞賛することよりも、環境を賞賛することの方が日本語の感覚に合っているのですね。

確かに、実際に言われてみるとその差が歴然と感じることができます。

このことは、落ち込んだ相手を慰める時にも使うことができます。


「元気を出せ」や「頑張れ」といった本人のアウトプットを応援するのではなく、「私は、応援しているよ」や「友達が待っているよ」の方が日本語の感覚なのです。

日本語の持っている表現力からしたらどんな表現でもできそうですね。

ぜひ、使ってみてください。


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