言語がその起源を同じにしていたり、近い感覚を持っているもの同士であれば、ストレスとならないこともたくさんありますが、日本語と欧米型言語においては、今まで見てきたように正反対の感覚と言っていいほどの違いがあります。
(参照:日本語 vs 英語 など)
人の持っている感覚としては母語の感覚がその基本となりますので、母語の持っている感覚に沿った生活が一番ストレスのない生活となります。
欧米型言語を母語として持ってい人たちにとっては、きわめて自然な何のストレスもない生活も、日本語を母語として持っている私たちにとっては自然とストレスをため込んでいることになるのです。
日常生活の中で浸っている欧米型言語の感覚は、特にビジネス上や社会生活において大きな領域を占めています。
ビジネスの世界や社会構造そのものが、欧米型言語の感覚で作られているからです。
社会を離れた、個人としての地域生活においては、比較的日本語の感覚で作られていることが多くなっています。
欧米人に比べた時に、仕事に出かけることがある種の義務感とともに地域生活との切り替えが必要になってくるのは、そんな感覚の違いによる要因も大きいと思われます。
彼らは、毎日仕事に出かける時も、日本人ほど思い切って切り替えているわけではありません。
日々の生活のそのものとして、特に意識することなく仕事に向かっています。
日本語の感覚においては、現代の企業での社会生活そのものが不自然であり、どこかに感覚としての違和感を抱えて送っていることになります。
その結果、知らないうちにストレスを抱え込んでしまい、どこかの時点で抱え込んだストレスが飽和して、目に見えるものとなってくるのではないでしょうか。
日常的な感覚として、日本語の感覚を維持できているのか、違和感を感じつつも知らないうちに欧米型言語の感覚を撰ばなければならなくなっているのかを知る簡単な方法があります。
是非とも、毎日のようにやってみてもいいのではないでしょうか。
このブログでも何度か登場してきている写真です。
「ウシ」の仲間として、パッと頭に浮かんで結びつくのは「牧草」か「ニワトリ」かというテストです。
自然と「牧草」を選んでいることが、日本語の感覚が中心になっていることを示しています。
食物連鎖における関係性から見つけられた仲間であり、対象の関係に対して焦点が向けられています。
一方、「ニワトリ」を選んでいる場合は、いわゆる動物としてのカテゴリーにおける同族としての分類によるものです。
そこには関係性は考慮されていません。
客観的な論理と分類という、欧米型言語の感覚そのものになります。
その時々の感覚によって、選択するものが異なるのも面白いところです。
休日に、家でのんびりしながらやる場合と、会社で仕事に追われているときにやる場合では、同じ人でも撰ぶものが変わってくることが多いようです。
次に、こんなチェックがあります。
渡し船があります。
船頭はいませんがセルフで運用できる短い渡し船です。
とても一回で乗り切れないほどの人が、乗ろうとして群がっています。
たまたま、あなたの目の前で乗船が始まります。
あなたはどうしますか。
①.先に乗って、満員になるまで後から乗る人を手伝ってあげる。
②.岸にいて、満員になるまで乗る人を手伝って送り出す。
①が欧米型言語の感覚になります。
まずは自分が乗ることが最優先されるのです。
②は、自分は乗れるかどうかが分からないのです。
ここで、自分が乗れれば②を選ぶという条件付けが出てくることがあります。
その条件付けそのものが、すでに欧米型言語の感覚となっているのです。
自分が乗れるかどうかわからないし、その場の状況によってどうなるかわからないが、とりあえずは乗ること自体が安全にできるように助けるのが日本語の感覚と言えます。
自己犠牲でも何でもないのです。
日本語という言語が持っている感覚から、行動するとこのようになるだろうと言うことです。
だから、順番を守らない場合には腹が立つのです、詰めないで一人で場所を取っている場合には頭に来るのです。
これもまた、その時の自分の環境や置かれている立場によって選択が変わってきます。
①を選ばなければならない環境にあるときは、ストレスが蓄積されているときだと思っていいのではないでしょうか。
欧米型言語の感覚と日本語の感覚の違いには、お互いが自然にそれぞれの感覚に従って行動したときには、他の言語の感覚からすると頭にくる行動となることがままあります。
日本においては、教育から欧米型言語の感覚を植え付けられているものがたくさん存在します。
「いいから、この通りにやりなさい。」を日本語の感覚は受け入れることができます。
しかし、感覚的なズレがあれば、受け入れた後ででもストレスとなっているのも事実です。
時間をかけて日本語の感覚に融合してきたものもありますが、これだけの年月を経過して、ストレスを感じるものは、もはや違和感そのものとなっているのではないでしょうか。
素直にその違和感に従ってもいいのではないでしょうか。
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