日本語の中だけに浸っていては、その特殊性に気がつくことはなかなか困難なことです。
世界の、特に先進文化圏と言われる国の言語と比較したときに、日本語の特殊性がより鮮明になってくるのではないかと思います。
その日本語が持っている特殊性にも、おおもとの根源があります。
それは、言語としての日本語が確立される前から築かれ継承してきたものだと思われます。
それこそが日本語の持っている根源的な感覚ではないでしょうか。
(参照:日本語の特殊性を知る)
今の世界の情勢では、まさしくその日本語の感覚が求められているのではないでしょうか。
参考にできる事例があります。
第二次世界大戦後に、戦後処理を中心とした戦勝国の機関として国連が設立されました。
その設立当時からの国連の公用語は、英語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語の五ヶ国語でした。
その後の世界の情勢からアラビア語が追加されました。
設立当時の公用語である五ヶ国語のうち、スペイン語を除く四つの言語はすべて戦勝国の言語です。
スペインは第二次世界大戦においては中立国であり、決して戦勝国ではありません。
スペイン語が国連の公用語として採用された大きな理由は、戦時中の活動にありました。
それについては参照のブログで確認いただきたいと思います。
(参照:戦勝国ではないスペイン語が国連公用語のわけ)
今の世界は欧米型の言語の感覚によって発展をしてきました。
その感覚が、所々で軋轢を生み出したり紛争を生み出したり、その処理でさらに問題を大きくしたりしています。
スペインが第二次大戦に行なっていた行為は、自国は戦争には参加しません、しかし戦争によって当事国以外であっても様々な人道的な不都合が起こることに対してサポートをするということでした。
第二次大戦の敗戦国であり、世界で唯一の原爆被害国であり、侵略するための軍隊を持たない日本だからこそできることがあるのではないでしょうか。
そして、それこそがまさしく日本語の持っている根源的な感覚なのではないでしょうか。
紛争自体は、個としての人が中心にる限り、そのぶっつかり合いの中で避けることができないことかもしれません。
それを解決し得るものは、より大きな自然との共生において、不都合を自らが解消していくことではないでしょうか。
紛争当事国のどちらにも加担することなく、すべての揉め事に対して中立の立場を取りながら、自然環境との共生のために適応することをひたすら活動し続けることこそ、日本語の感覚に沿った行動と言えるのではないでしょうか。
持てる技術や知恵は、そのために使われてこそ意味のあるものとなるのではないでしょうか。
現代文明の先端を走っている国はほとんどが、この感覚を持っていません。
気がついていても、自分たちの感覚ではそれを行動することができないのです。
世界に対しての日本語の持っている感覚を自信を持って発信していってもいいのではないでしょうか。
「もったいない」の感覚がノーベル平和賞につながりました。
世界は、まだまだ日本語の持っている感覚に気づいていないのです。
何となく違うことは感じていても、その根源となるものについては理解していないのです。
これからの時代こそ、日本語の感覚が求められているのではないでしょうか。
自分たちが思っている以上に、日本語の果たすべき役割は大きなものだと思います。
日本語の感覚に素直に、自然に従った行動をしていくことが、その役割を果たしていくことになるのではないでしょうか。
自然を最大の脅威と感じてきたことによって築き上げられた感覚は、人を脅威と感じる感覚よりもより平和的な本質的なものだと思われます。
変化し続ける自然環境に対して、自らを適応させることによって共生していく感覚は、あらゆることに通ずるものではないでしょうか。
欧米型言語の感覚によって引き起こされた問題に対して、一つの明確な回答を投げかけることができるのではないでしょうか。
小さな活動である個人の活動から、日本語の感覚をもっと大切にしていくことが求められていると思います。
自身を持って、日本語の感覚に従って活動していいのではないでしょうか。
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