他の言語と比べた時の日本語の特徴について知っておくことは、思った以上に日常生活でも効果があるようです。
昨日行なった、「日本語のチカラ」実践編セミナーでも改めて感じることができました。
日本語についての新しい切り口や発見については、このブログでずっと取り上げていますが、それが実生活の中でどのように生かせるのかは自分にとっても大きな課題でした。
日本語は日本人にしか通用しない、世界から見たらきわめて特殊な言語となっています。
日本人であっても世界へ表現するときには、日本語では全く通用しません。
世界どころか、隣の国においても通用しません。
個人においても情報網の広がりによって、日本語だけで生活できるとは言えなくなってきました。
現在の世界の共通語は英語です。
世界に対して何かを発信しようとするときには、英語が必要になります。
それでも日本語は1500年の歴史を超える中で醸成された、独特の文化の賜物です。
母語として日本語を持っていることは、日本後の感覚を自然と持っていることになります。
知的活動も母語で行われることが、一番質が高くなることが分かっています。
現在の日本の環境においても、欧米型言語の感覚が溢れています。
そもそも学校教育で身につけてくる論理や知識は、そのほとんどが欧米型言語の感覚によるものとなっています。
それ以上に、社会に出てからの環境である企業や取引の環境はまさしく欧米型言語の感覚の集まりと言っていいのではないでしょうか。
その中でも、少しずつ昔ながらの日本語の感覚を取り入れようとする動きがあります。
組織の考え方や人事考課の考え方などはには、ずいぶん日本語の感覚が取り入れられてきています。
どうやら、社会の求める環境も欧米型言語の感覚だけではうまくいかないことを経験してきているのではないでしょうか。
日本語の特徴はその日本語を使用している人の知的活動において現れます。
全てが日本の感覚の中だけならば、日本語の感覚について意識する必要はありませんが、知らない間に欧米型の言語の感覚がはびこっていることが分かってきました。
考えてみれば当たり前のことでして、明治維新以降は欧米型言語の感覚によって作り上げられた技術や論理をひたすら取り込んできたからです。
そして知らない間に、日本語の感覚との間にある不自然さや違和感をストレスとしてため込んできたのではないでしょうか。
他の言語の感覚と比較できる場面において初めて日本語の特徴が生かされると思い込んでいましたが、現実には欧米型言語の感覚があらゆるところにあり、それすらも日本語の感覚と勘違いしていることもあることがわかりました。
今回で実践編のセミナーは2回目になります。
一回目は「交渉力」として、日本語の独特の感覚でおこなう交渉力についてのワークショップを行いました。
今回は「きくチカラ」として、日本語の感覚で「きく」ということがどういうことなのかを、おなじようにワークショップで経験してもらいしました。
自分たちが本来持っている感覚を自然に出すだけのことですので、欧米型言語の感覚の様に理論を覚えたり技術を学んだりする必要が全くありません。
自然な形に気がつくだけのことです。
不自然さや違和感をそのまま感じてしまえばいいだけのことなのです。
実践編はいろいろな切り口からできることが分かりましたので、これからもより多くの人たちに経験してもらいたいと思っています。
欧米型言語の感覚と日本語の感覚と、どちらが良いとか悪いとかという問題ではありません。
日本語を母語として持っている以上、日本語の感覚にすべてが馴染むようになっているのです。
更には、言語の持っている感覚が大きく異なっている以上、無理に他の言語の感覚に合わせようとするとストレスが溜まってしまうのです。
自分の持っている感覚は自分ではなかなか分かりません。
わかり易い何かと比較したときに初めて気がつくものです。
そのきっかけになるような実践編セミナーにしていきたいですね。