それは、きくべき対象が言語以外のところにあることが多いからです。
欧米型言語では、言葉が聞き取ることができれば、論理を聞き取ることができます。
論理を聞き取ることができれば、主張を聞き取ることができます。
ところが、先回も述べたように、日本語では言葉が聞き取れても、論理が聞き取れるとは限りません。
あまりにも豊かな表現力は、言葉の理解だけでは論理の理解につながらないのです。
しかし、論理を聞き取るためには、少なくとも言葉をしっかりと聞き取らなければ始まりません。
言葉さえ聞き取れれば、理解に結びつく欧米型言語による感覚とは大きく異なっているところです。
日本語でも、まずは言葉を聞き取らなけれななりません。
次には論理を聞き取る必要が出てきます。
さらには、その論理が展開されている環境を聞き取らなければいけません。
そして、論理を通して、その環境とどのような関係にあるのかを聞き取ります。
そのような関係にあることによって、どのような気持ちでいるのかを聞き取って、初めて理解したことになるのです。
欧米型言語のききかたは、言葉を聞き取ることで完結しますが、日本語のききかたは、環境における気持ちを理解することが必要になります。
欧米型言語においては、ここまでのことが全て言葉で表現されています。
しかもそのほとんどが定型的なパターンによって表現されているのです。
ですから、言葉を聞き取っただけで理解することが可能になっている言語なのです。
日本語の場合は、あまりに豊かな表現方法によって、言葉を聞き取っただけでは論理が分からなくなっています。
更には、語順の入れ替えや言葉の省略が、いたるところで起るために、言葉だけを理解しても論理を理解することが難しくなっています。
したがって、論理を理解したと思っても、その論理を展開している環境を理解しないと本意が分からないのです。
言葉ですべてを伝えようとする欧米型言語とは、言語の使われ方が異なっているのです。
環境を理解することによって初めて、どんな気持ちでその論理を展開しているのかが理解できるようになります。
日本語の場合は、最終的に聞いているのは話し手の気持ちになるのです。
それを理解するために、環境や論理や言葉を理解する必要があるのです。
欧米型言語の感覚では、論理的に納得をすれば、どのような感情にも優先してその論理を重要なものだとします。
日本語の感覚では、論理よりも感情が優先するのです。
そのために、話し手の気持ちを理解することが大切になります、気持ちが理解できないと内容を理解できたとは言えないのです。
日本語のききかたは、相手の気持ちをきくことにあります。
日本語の感覚には、現実的な言語以外に、日本語を母語として持っている人同士の感覚として、無意識の共有領域があることを指摘してきました。
(参照:日本語の向こうにあるモノ)
この領域があることによって、明確な論理ではなくとも、あるいはかなりの省略があっても、内容を理解することができることになります。
この領域が環境としてどの程度絞れるのかが、きくことの大きな目的になってくるのです。
そのためには、「ききかた」があります。
あえて、ひらがなで書いてきた意味がここにあります。
「きく」と読める漢字を書き出してみましょう。
聞く、聴く、利く、効く、訊くの五つが書き出せるのではないでしょうか。
この五つがすべてを語ってくれます。
もともと古代より伝承されてきた音である「きく」に対して、漢語を導入して発展させた文化によってできた言葉がこの五つの訓読み漢字となっています。
もともとあった「きく」にはこれら五つの言葉で表現された活動が、すべて含まれていたと考えることができます。
詳細については、1月29日(木)の「日本語のチカラ」実践セミナーでお知らせしたいと思います。
(実は、過去にこのブログでも何回か触れています。)
書き物を読んで理解することと、実際に経験することの違いを味わっていただきながら、ききかたの違いによる話し手の変化についても体験していただけるワークショップになります。
残席数は少ないですが、まだ参加できますので、下記のフェイスブック・イベントからお申し込みください。