先進文化圏と言われる国の言語は、そのほとんどが欧米型の言語に属しています。
その特徴の最たるところは、論理性とその論理による説明・説得性にあります。
先進文化圏に属しながらも、極めて特殊な言語を持っているのが日本です。
欧米の言語は言葉としての言語がわかれば、その論理性と説明性により、とても理解しやすいものとなります。
日本語は、言葉が分かっても、あまりにも豊かな表現力によって、相手の伝えたいことを理解するまでには簡単には行けません。
ネイティブ同士の会話を理解しようとすると、すべての言葉を聞き取ることができることを前提としても、言語によって理解できる内容が大きく異なってきます。
フランス語同士の会話の90%を理解しようとするには、2,000語のフランス語を覚えていれば可能だと言われています。
英語では、3,000語の単語を覚えて聞き取れれば、ネイティブの会話の90%以上を理解できるようです。
会話が理解できるということは、その論理が理解できるということに他なりません。
同じ条件で、日本語同士の会話の90%以上を理解しようとすると、10,000語以上の単語を覚えていないとできないとされています。
このことは、日本語においては、言葉が理解できても論理を理解するためには更なる語彙が必要であることを物語っています。
見方を変えてみれば、欧米型言語は論理性を明確にするために、決まった表現の方法があることになります。
誰が聞いても同じ論理として理解できるための、固定的な論理表現がほとんどであることになります。
対して、日本語は固定的な論理表現がほとんどありません。
欧米型言語のように、ある種の単語から論理そのものが想像できることはほとんどありません。
肯定なのか否定なのか、事実なのか推測なのか、ほとんどの場合は最後の最後まで聞かないとわかりません。
あるいは、話の途中で論理のすり替えや飛躍が頻繁に起こります。
日本語は、あまりの表現の豊かさゆえに、論理性においては理解しにくい言語となっているのです。
そんな日本語はどのようにきくことが良いのでしょうか。
聞くべき対象が論理だけではないようです。
論理を聞くためには、言葉を聞き取らなければいけません。
言葉を聞き、論理を聞き、気持ちを聞き、環境を聞くことになります。
日本語の感覚の根本にあるものについては何度か触れてきました。
自然とのかかわり方が、他の言語とは決定的に違っていることを確認してきました。
そのために、論理だけでは相手を理解できないことにつながっているのです。
日本語の感覚では、論理よりも感情の方が重きを持ってしまうようになっているのです。
日本語において相手を理解するためには、相手が共生しようとしている環境を理解することが必要になってくるのです。
そのためには、言葉が理解できなければいけません、論理が理解できなければいけません、気持ちが理解できなければいけません、それらの結果としてどんな環境と共生しようとしているのかを理解することが大切になります。
「ききかた」と敢えてひらがなで書いていることにも意味があります。
「きく」という動詞を、漢字を使って書き出してみてください。
そこに書かれた五つの言葉が、やるべき「ききかた」を意味しているのです。
1月29日(木)の「日本語のチカラ」実践セミナーでは、このことについてのワークショップを通じて、日本語独特の特徴に対応した「ききかた」を学んでいきたいと思います。
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きっと、うれしいお土産を持って帰れますよ。