2015年1月17日土曜日

本質は単純で美しい

最近、大きな企業の中枢を担っている人たちと話をする機会が多くありました。

日々の仕事として、所属する企業の将来に危機感を持ち、対策をしている人たちです。

たまに、話を聞いたり相談を受けたりしていると気がつかないのですが、短期間にまとめて異なる企業の話を聞くことになると、知らないうちに共通的な問題が見えきます。


それなりの立場におられる人たちですので、管掌分野は異なっても考えていることはほとんど同じようなことでした。

そこに至るアプローチもきわめて似通ったものです。

業界や業種による特性もほとんど見られません。

面白いなと感じましたので、その根底にある者を見つけてみたくなりました。


共通していることは、社会環境に対する認識と今までの変化の歴史から導き出される今後の変化に対しての認識があります。

比較的楽観的に考えている場合もあれば、かなり悲観的に考えて危機感を共有しようとする向きもあります。

程度と期間という基準を外してしまえは、ほとんどの人が今後の社会環境の変化に対して全く同じ方向を考えていることが分かります。


その変化した社会環境の中でも、今以上のポジションに自企業があるためには、どの様になければならないかを模索しています。

それぞれの現状によって、求めるポジションも変わってきますが、そのポジションがすべて現状の何らかの延長線上にあることがほとんどです。

かなりの規模の企業ですので、従業員数も多いですしほとんどの企業が日本全国をカバーしています。

歴史ある企業の方が多いので、なおさらその傾向が強いと思われますが、自社にとどまらず業界における影響力を持っている人がほとんどです。


行けるという実感を伴って日々の活動をしている人と、自分は意見を言う立場であってやるのは違う人という活動になっている人が明確に分かれます。

歴史ある大きな企業ほど、後者のタイプの人が多くいます。

組織や機能が硬直化してしまっているのでしょうが、その中で自分自身が同じように硬直化してしまっていることに気がつかないのです。


社会情背の把握や業界の動向などを元にして、自社の行くべき方向などを語りますが、できないのが全部、会社や部下や社員のせいのなっています。

どんなにうまい言葉を使っても、上手な言い回しをしていても、すべての帰結がそこに行っているのです。

時として、現実的な遅れを感じていたり改革を感じている分野の専門家によるサポートを依頼されたりしますが、結果が見えているので真に受けることはないです。


起業が大きくなって、役割分担されて機能分化していったことによって、欧米型の言語の感覚である、与えられた機能役割における自己完結自己責任の遂行がすべてになってきているのでしょう。

まさしく、大学卒業以降ずっと同じ企業のなかで何十年という社会人生活送っていくとこうならざるを得ないと思われます。


ところが、おなじような環境にあっても、自分たちが変化している実感を持って企業の変化を引っ張っている実感を持って活動している人たちが稀にいます。

企業を渡り歩いたわけでもなく、特別な教育環境にあったわけでもなく、よく途中で潰されなかったなあと思うような人がいらっしゃいます。

実は、その時々の環境に応じて、自分自身がより良い共生の方向で変化してきている人です。

その人たちに共通していることは、単純な論理としつこい行動です。

論理というのも大げさすぎるかもしれません、もっと単純な常識と言った方がいいのかもしれません。

公式とも言えるかもしれません。

いわゆる、1+1=2という当たり前の単純な理屈をベースにしていることです。


複雑な決済過程や説明を必要としない、誰が見ても意見や反論のしようもない常識なのです。

そして自分自身でそれを行っているのです。

単純ですから、周りの理解も早いです。

変な理屈はありませんから、説明もいりません。


当然行動として行うことも単純になりますので、結果がすぐにわかります。

結果がすぐにわかるから、予想したり違った結果が出たらすぐに再行動を採ることができます。

単純ですので、理解において齟齬が出ることもありません。


まさしく日本語が持っている感覚そのものなのです。

環境の変化に対して、共生していくために自ら適応していくことを地で行っているのです。

環境は常に変化してきますので、適応も常に変化していく必要があります。


欧米型感覚における組織は、日本で行われて運用されているよりもはるかにフレキシブルです。

日本語感覚では、役割分担して機能分化したことによって、固定化してしまったのです。

本来の日本語の感覚によれば、日本人はマルチあるいはハイブリッドに向いているのです。


自己を中心とした感覚によって、所属している機能部門を守ろうとしていることは、欧米型言語による感覚そのものとなります。

日本語の感覚は複数の環境の中で共生していくことを得意としています。

環境を自分で選んで変えていくことを得意としています。

変化しない、変化の少ない環境に閉じ込められることを善しとしていません。


じっくりと腰を落ち着けて、一つひとつと取り組んでいくことも大切なことですが、短期間に一気に取り組むことによって見えてくるものもあります。

常に同じ環境にいることが、日本語が持っている感覚を生かすことに対して決して役に立たないことがわかってきました。

自分から、共生したい環境を選び、その変化の中で自分を適応させながら、他の多くの環境の中でも共生している状態が刺激を与えるということではないでしょうか。

刺激を与えないと、活動はマンネリ化し習慣化し、意思のチカラや思考のチカラを必要としなくなってきます。

そうなると、いざ知的活動をするときにも質が落ちてくることは当たり前ですね。


環境を選んで共生のための適応努力をすることが、日本語の感覚が生かされていく条件のようですね。




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