事実を表現する方法は、思ったよりも少ないことに気がつくと、一気に視界が開けてくることがあります。
開眼するとか、悟りを開くとかということは、事実をしっかりと抜き出して把握できるレベルを示しているのではないでしょうか。
論理だとか、思考だとかという知的活動は、すべてが頭の中で行われている仮想・仮説に過ぎません。
そのために、実験によって現実にそうなるのかどうかを事実として確認する必要が出てくるわけです。
そしてその事実を確認することによって、さらなる思考や論理がなされていくことになります。
あらゆる論理や思考は、何らかの事実の一面をとらえることによってはじまると思われます。
その事実に対してどの様な捉え方をするのかは、視点や観点、分析上のカテゴリーなどによって変わってくることになります。
事実そのものはなんの位置付けもないものであり、自然の法則に従ってただそこに存在しているだけのことです。
これに対して、人間がそれぞれの立場からそれぞれの視点で評価をするのです。
自分や所属する組織にとって、利となるのか不利となるのかによって、同じ事実に対しての評価が良いこととも悪いことともなってしまうのです。
そこに存在している事実のすべてを把握することは、人間にはできません。
したがって、自分にかかわりのありそうな事実のみを切り取って評価することになります。
そしてほとんどの場合は、自分にとって都合の悪い評価となる事実については無視することが行なわれます。
自分にとって都合の良い事実のみを取り上げて、評価することをします。
KPIとか言って、評価の良い悪いは別にして、自分にとって評価するのに都合の良い・役に立ちそうなことだけを取り上げて扱うことは、優れ技術であると思われていたりもしています。
評価をわかりやすくしているだけのことであり、他の事実に目をつぶることをしているにすぎません。
つまりは、そこで起きている現象をいかに単純化して評価しているかということになるのです。
事実は、単独では存在しません。
その時そこにある事実は、過去の事実からの変化での結果であり、あらゆる事実が存在している中で、自分たちの見える範囲の事実が起きているにすぎないのです。
評価や意見や思考は、個人のものであり一人ひとりが好き勝手にできることです。
それが、何らかの組織になるとこれらに対して枠をはめます。
その枠にはまったことが、その組織として受け入れることができるものとなります。
人は何らかの組織に所属することによって生きていきます。
常に、一つの組織とは限らず、さまざまな分野のさまざまな階層の組織に属しながら、また、その組織の間を移動しながら生きていきます。
組織が違えば、同じ事実に対する評価の仕方や結果が異なってきます。
さらには、評価対象とする事実そのものが異なってくることもあります。
全ての交渉事や共有事について基本となることは、対象とする事実の共有です。
事実を表現しようとするとどんな表現方法になるでしょうか。
「何がどうした。」こんな表現がたくさん並ぶことになりませんか。
切り取った瞬間に起きている事実を、すべて把握したり表現したりすることは不可能です。
どんなことをしようとも、評価の対象としたい事実だけを対象としてしまうことが起きます。
客観的になるということは、評価の対象以外の事実についても目を向けるということであり、事実に対しての評価を公平に行うということではないのです。
これらの事実の関係を表現することは、事実を表現することになりません。
関係を人が論理つけしているのであって、事実はただ単に存在しているだけです。
原因と結果は、人が勝手に論理つけしていることであって、事実とは異なります。
事実を表現することは、起きている現象をそのまま事実に即した言葉で表現することになります。
対象物があるならば、どこまでその対象物を特定できるかが表現のチカラになります。
変化をしているならば、その変化をどこまで忠実に表現できるかになります。
評価や感想・関係などは一切不要です。
事実のみを表現することを訓練することは、とても役に立ちます。
人の行っていることのどこまでが事実なのか、どこまでが事実に基づいた話しなのかが、瞬時に分かるようになります。
そうなると、評価と事実の区別がはっきりしてきますので、相手の評価の観点や基準が見えてきます。
交渉のうまい人は、自然とこの技術を身につけています。
同じ事実に対して違う見方を提供して、相手の評価の基準を動かしてしまいます。
相手が現状を変えるために、新たな事実を要求してきているのに、事実に対する見方を変えただけで相手を納得させてしまうのです。
これが最強の交渉力です。
現状を変えたくて、交渉してきた相手に対して、全く現状を変えることなく、事実に対する見方を変えることによって評価を変えさせてしまうのです。
かつての仕事仲間にこのことが得意な人がいました。
ややこしい交渉で長期戦になってしまった時に、よく声を掛けられた人です。
ほとんど何の準備もなく、今までの進展の状況も聞かずに交渉に行きます。
とにかく相手の主張を聞きます。
そして、「それはお困りですね、何とか協力して差し上げたいですね。」と言い出します。
相手は今までさんざん、自分たちの要求を押し付けようとしていたので拍子抜けです。
すかさず、「まずは、いくつか事実を確認させて下さい。」と続きます。
お互いにわかっている、間違いのない当たり前の事実ばかりです。
こちらのミスに基づく事実については丁寧にお詫びをします、相手のミスに基づく事実についても指摘をして相手も納得をします。
最後は、相手の押し付けてきた要求だけではない解決の方法があることをお互いに認めてしまっています。
そして、その方法について一緒に検討してみましょうとなってしまいます。
一種のマジックかとも思いましたが、彼にとっては当たり前のことなのです。
彼の研究室での仕事のほとんどは、決められた時間での実験状況のレポートだったそうです。
明確な目的のある実験が少なかったために、あらゆる変化を記録する必要があったそうです。
事実のみを的確に表現することに慣れていたのです。
彼は精確という言葉を使います、正確かつ精密ということだそうです。
習っておけば良かった何と思っています。
「日本語のチカラ」がEラーニングで格安に受講できます。
ブログの内容についてのご相談・お問合せを無料でお受けしています。
お気軽にご連絡ください。