2014年10月21日火曜日

ヘイト・クライム

最近よく聞くようになった言葉に、「ヘイト・スピーチ」があります。

昨日の橋下徹大阪市長と在特会(在日特権を許さない市民の会)の桜井誠会長の面談の様子が、ニコニコ動画で配信されていました。

何ともお粗末な面談で、どちらから仕掛けた面談かわかりませんが、最悪の結果になったと思います。


ここで最悪と言っているのは、中身が何にもなく、両者の意見すらもまともに発せられないだけでなく、この面談の効果として、それまであまり知られていなかった在特会という存在を大いに世間に宣伝してしまったことです。

いろいろな人がコメントや意見を寄せていますが、NPO法人「コリアNGOセンター」(大阪市生野区)の金光敏事務局長の意見が一番的を射ていたものではないでしょうか。

「何のための面談か全く意味が分からなかった。在特会の社会的認知を高めただけ。市民の代表の市長が公の場で罵倒される姿に不快な感じがした」と話した内容は、すべてを代表したものではないでしょうか。


ヘイト・クライム(hate crime)は呼んだ通りに英語ですので、アメリカで生まれた概念です。

日本語に訳すると直訳的には憎悪犯罪とでもされていることが多いようですが、憎悪犯罪で理解できますか?

なるべく具体的に表現してみると、人種、民族、宗教、性的指向などに係る特定の属性を有する個人や集団に対する偏見や憎悪が元で引き起こされる暴行等の犯罪行為のこととでもなるのではないでしょうか。

つまりは、犯罪の原因が個人の感情にあるわけで、個人の感情だけで犯罪として成立することはありません。

殺してやりたいほど憎いと思っていても、それだけでは犯罪として成立しないことと同じです。

行為としてなされたものが、具体的な犯罪の要件を満たしている場合にのみ犯罪として成立します。


特定の民族や人種に対して憎悪を抱く人たちが集まって相談していても、具体的に他の人に迷惑をかける行為がなければ犯罪にはなりません。

思想の自由や言論の自由という基本的な人権との関係で、扱いがとても難しい分野となっています。


ヘイト・スピーチは民族や人種、性別など、自分で変更するのが難しい属性に対する憎悪表現を指します。

そうした言葉で世の中をあおり立て、差別や偏見を助長するのがヘイトスピーチと言われていますが、判断が難しいのが「世の中をあおり立て」「差別や偏見を助長する」ことをどうやって確認するのかということになります。

ヘイト・クライムが具体的な犯罪行為を対象としているのに対して、ヘイト・スピーチは表現を対象としています。

まさしく基本的な人権として万人に保障されている表現の自由との関係が難しいことになります。


韓国や中国による慰安婦問題についての発言や行動は、史実と大きく離れているだけに頭にきている人がたくさんいることも事実ですが、それだけで罪に問うことはできません。

具体的な被害があって初めて、名誉棄損その他の罪に問うことが可能となるだけです。


それに対して何かの反論をしたいという気持ちは、ある意味では素直であり当たり前のことだと思います。

それが彼らの在日特権の認めないという方向にいくのかどうかは、難しいところになるでしょう。


世相やニュースとして取り上げることが、このような団体の活動を助長することになることも間違いありません。

私自身も在特会の存在そのものも今回のことで初めて知ったところです。


在特会は、国連、アメリカ、日本警察の三者においてヘイト・クライムに相当する組織として監視対象となっているところです。

このような対象に対しての扱い方が、日本は本当にうまくないです。

報道が取り上げれば取り上げるほど、彼らの存在を世の中に対して宣伝していることになります。

今回のような面談を行えば、各メディアがこぞって取り上げるようになります。

これを規制することは、報道の自由との関係が出てきます。


どうやら日本全体が、今までの法律や規制の範囲では健全社会を維持していくことができない環境になっているのではないでしょうか。

憲法九条の解釈や自衛権の解釈の問題もその一部ではないでしょうか。

今までの規定ではカバーできない犯罪が増えてきています。

そこを狙ってくる犯罪もあります。

影響を及ぼした結果の割には、それに対する罪があまりにも小さいものもあります。


そこで考えるべきは、新たな規制ではなく、そもそもの立法したときの主旨ではないでしょうか。

法律や規制には必ずその目的があります。

代表的なものは、日本国憲法の前文です。

憲法の各条項がすべて、この前文のために規定されているものです。


目的が明確にされていれば、具体的な行為を特定することによって、司法側で判断することが可能ではないでしょうか。

アメリカのように文字に書かれえたものがすべてであり、そこにないことについてはわかっていても問われることのない文化とは異なるのです。

あらためて、今存在してる膨大な法律や規制のそれぞれの目的について、規定しなおしてみることはとても有意義なことではないでしょうか。


文字や文章になっていること以外のことについても、共通認識を持っている分野が沢山あるのが日本人です。

これ以上沢山の法律や規制ができても、運用できるのでしょうか。

法律が適正であるかどうかの判断基準は、憲法の主旨にずれていないかどうかです。

つまりは、憲法の主旨さえ理解していたら、細かな法律や規則は知らなくとも抵触することはないということになります。


ヘイト・クライムは完全なる犯罪ですが、ヘイト・スピーチをどう規制するかはとても難しいことだと思います。

人を殺してやろうと考えることは罪にはなりません。

殺してやろうと思って行動することが罪になることになります。


アメリカでは、州の法律では国旗を燃やすと罪に問われることがあります。

ところが州で有罪となっても連邦裁判所にまでいくと、それだけだったら必ず無罪になります。

国旗を燃やしたことによって、誰かに迷惑をかけたとしたら別ですが、自分の国旗を何らかの抗議行動として燃やしても罪に問われることはないのです。

連邦においては、たとえ国がどんな状況にあっても、個人の意見や意思を規制することは出来ないとなっているからです。


こういうアメリカは、私は好きです。

ほかは、あまり好きなところはないのですが・・・

こういうところは大いに手本にしたいところだと思います。

ヘイト・クライム、ヘイト・スピーチへの対応は、今までとは違ったことが求められていると感じています。

どの様な対応をしていくのか、見ていきたいと思います。





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