(参照:紀貫之に見る洒落のセンス)
「短歌」と題しながらも「長歌」を示しており、デタラメと言ってもいいほどのことになっています。
しかも「短歌」の題で掲載された長歌は、支離滅裂であり稚拙そのものです。
後の、古今和歌集の研究家である、藤原定家や本居宣長までもが真面目にこの歌を解釈しようとしていますが、その稚拙さについては段違いであるとしています。
紀貫之(たち)にしたら、勅撰の和歌集のなかで思い切った覚悟を決めて行った遊びとしての洒落ではなかったのではないでしょうか。
参照のブログに見るように、どんな解釈をしてもナンセンスなのです。
勅撰集の「古今和歌集」は紀貫之たち編者にとっては、万葉集の後を受け継いだ和歌芸術の後継者であるとの認識が強かったと思われます。
素晴らしい歌をたくさん集めて、テーマによって巻を作成してありますが、「すべてがそんな素晴らしい歌ばかりではないのだよ、こんなわけのわからないものもあったのだよ。」と言う思いがあったのではないでしょうか。
勅撰和歌集として後世に残るものであることはわかっていたはずです。
それであるからこそ、余計にこんなものを掲載したかったのだと思います。
支離滅裂な長歌に対して、あえて「短歌」と題する。
しかも、題知らずの詠み人知らずです。
くそまじめに「古今和歌集」の解釈に取り組んだ人たちは、すべてこの歌の解釈に苦しんでいます。
紀貫之は「おい、石頭。洒落だよ洒落。」と言って笑っているのではないでしょうか。
この洒落を見抜いて理解していたと思われる人物がいます。
「源氏物語」を書いた紫式部です。
彼女は、「源氏物語」のなかで、ナンセンス和歌を作り出しているのです。
中途半端な教養を持ち、おてんば娘としてのキャラクターである「近江の君」を表すのに、ナンセンス和歌が使われているのです。
草わかい ひたちの浦の いかが崎 いかであい見ん たごの浦波
「わた草のように未熟な私ですが、日がたっていくことをいかがかと思っていますが、いかにしてもあなたに会いたいもので、田子の浦に返す波のように良いお返事を首を長くして待っています。」というような内容の歌です。
歌語や歌枕を多用してはいますが、支離滅裂な歌となっています。
「ひたちの浦」は茨城県、「いかが崎」は大阪府、「田子の浦」は静岡県にあり、歌枕の無用な一覧で一貫性がなくとんでもない歌となっているのです。
姉として登場している弘徽殿女御(こきでんのにょうご)は、しょうがないなあと苦笑しながら侍女に代わりに作らせて次の和歌を返します。
ひたちなる するがの海の すまの浦に なみ立ち出でよ 箱崎の松
これもでたらめです。
「ひたち」は茨城県、「するが」は静岡、「すまの浦」は神戸、「箱崎」は福岡です。
直接相手の歌を否定してはいませんが、同じように支離滅裂な内容で最後に「まつ」で、もう少し待っていなさいと伝えています。
ナンセンスにはナンセンスで応えて、笑って済ましてしまうしかないということでしょう。
この「近江の君」は、この和歌を作り出す前に、父親である内大臣に手紙を書いていますが、この内容が歌語・枕詞・和歌的な表現のオンパレードとなっておりほとんど意味をなしていません。
まさしく、古今和歌集巻十九「雑体」の「短歌」として登場させてもいいくらいのものです。
紀貫之が広げ始めた仮名文学が、大きく羽ばたいたのが女流作家たちによる仮名物語です。
その代表格が「源氏物語」です。
紀貫之たちが込めた洒落の思いは、紫式部によって引き継がれていき、物語の作品の中に笑いを導入したのではないでしょうか。
和歌集に比べたら、物語は笑いあり涙ありの方がふさわしいものです。
堅苦しいと思われている古典の中にも、ナンセンスや笑いの要素は昔からちりばめられていたのではないでしょうか。
今でいうところの、駄洒落に近いセンスではないでしょうか。
なんとなく、古典が身近に感じられるようになりませんか。
同じ日本語です、彼らの感覚は私たちにも伝わってきているのでしょうね。
楽しくなってきますね。
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