だいぶ秋らしくなってきました。
たまに暑い日があっても、空気が乾いていますので爽やかさを感じますね。
台風の話が多いのも秋らしいですが、今年の天候被害は大きいです、被害がないように祈るばかりですね。
さて、思いつくままに秋の言葉を探してみました。
厳しさを越えた後の、ほっとするような言葉が多いですね。
まずは、時雨(しぐれ)の三連発からです。
秋時雨(あきしぐれ)
秋の終わりころに降る雨で、降ってはすぐ止んでしまう雨のこと。
平野部から山間部の裾にかけて降ることが多く、晴れているのに降っていたりします。
さっと上がって虹を見せたりしてくれる雨です。
虫時雨(むししぐれ)
秋の盛りのころに、ちょっと喧騒を離れたところで聞こえる虫の大合唱です。
何種類もの虫が、一斉に鳴いているやかましいくらいの感じを表現した言葉です。
夏の蝉しぐれは厳しい夏を思わせますが、秋の虫時雨はどこかもの悲しさを含んでいますね。
露時雨(つゆしぐれ)
雨が降ったわけではないのですが、朝の草木にたくさんの露がついて、時雨が降ったようになってることを言います。
風のない晴れた夜の放射冷却によって、明け方の寒さでたくさんの水滴がつきます。
そこを歩くと思ったよりもびっしょりになりますね。
虫合わせ(むしあわせ)
いろいろな虫を持ち寄っては、その音色や姿などを競い合う遊びのこと。
貝合わせや絵合わせなどと同じように、それぞれが持ち寄ったものを比べて優劣を競う遊びの一種です。
生きた虫を持ち寄った遊びがあったとは知りませんでした。
後の衣替え(のちのころもがえ)
初夏の夏物への衣替えに対して、晩秋に袷(あわせ)から綿入れに替えることを言います。
今どき綿入りを着る人はまずいませんから、薄手の地のものから厚手の地の長袖のようなものに着替える切り替えの時季と考えてよいでしょう。
半袖から長袖や上着への入れ替えですね。
簾名残(すだれなごり)
すだれを外そうと思っていたけれど、西日の強さになかなか外すことができなかった感じですね。
陽の落ちるのが早くなって、西日の強さよりもすだれの影の方が暗く気になりだしたということでしょうか。
延ばし延ばしにしてきたけれどいよいよという感じが伝わりますね。
宵闇(よいやみ)
太陽が落ちてから月がのぼるまでの、空に光がない闇の時間帯のことを言います。
中秋の名月は、太陽が落ちてからすぐに上りますが、それから日が経つにつれてだんだんと月の出が遅くなります。
二十日月(更待月)になると満月よりも三時間程度遅くなってきます。
この間の月の出までの闇のことです。
弓張月(ゆみはりずき)
七日から八日にかけての上弦の月と、二十二日から二十三日の下弦の月のことを、弓のように沿っている形からこのように呼んだものです。
すべての季節で見ることができる形ですが、秋には特に澄んではっきりとみることができます。
一年中を通して使うこともありますね。
水澄む(みずすむ)
秋の長い秋霖(しゅうりん)も過ぎ、台風も日本本土から遠ざかる頃の川や海の透明さを、水澄むとしています。
海や湖沼といった自然界に限らず、そこに透明さ感じます。
台風も過ぎ去った後のすべてのものが冬に向かってじっとしてく様子が伝わります。
燕帰る(つばめかえる)
渡り鳥の北から渡ってくる雁や鴨と入れ替わるように、燕は南に帰って行きます。
燕は春の社日(しゃにち:雑節で春秋のお彼岸のころ)のころやってきて、秋の社日の頃帰るところから、社日のことを社燕(しゃえん)ともいわれています。
初鴨(はつがも)
渡り鳥である鴨は、秋の終わりのころから数羽ずつの群れで飛んできます。
この中で一番最初にやってくる、鴨の群れのことをこのように呼びます。
そぞろ寒(そぞろさむ)
なんとなく寒かったり、わけもなく寒かったりという感覚が「そぞろ寒」になります。
秋だけではなく早春の肌寒さにも使われていますが、季語としては秋に定着しています。
うそ寒(うそさむ)
「うそ」は「薄」から転じた接頭語ですから、「うそ寒」と言えば、何となく寒いとか、どことなく寒いという風に、特定できない寒さを差しています。
私たちの日常使っている言葉の中では「うすら寒い」の語感がこの季語に一番近いかも知れません。