2014年7月23日水曜日

絶対に敗者になるな!

敗者には二種類の敗者があるようです。

負けるべくして負けるものと、勝つべきものが細やかなことで足元をすくわれて負けるものです。

前者を無謀と言い、後者を油断と言います。


勝つべき力を持った者が、その確率を上げるための行動をしていれば、まず負けることはありません。

その本来すべき努力を怠ったがために、勝つべき戦に敗れた例は実はそんなに多くはないのです。

多くの場合は、強大な力持った勢力の指揮命令系統や情報伝達に齟齬が生じたことによる連係ミスによるものです。


小さな方(弱者)の戦法はたった一つです。

相手の何らかの情報寸断を狙ったうえでの、極地戦における短期決戦での勝利です。

その極地は、最前線のこともあれば、中枢部のこともあるでしょう。


ひとたび敗れた経験をした軍隊を率いることは、戦いの未経験の軍隊を率いることよりも難しいと言われています。

あきらめること、途中でやめること知ってしまったからです。

戦いに敗れた場合には、ほとんどの場合は命を失います。

自分だけでなく、一族を含めて命の存続が危うくなります。

仮に生き残ったとしても、周りではそのようなことが当たり前になっています。

生き残るためには「敗れる」という判断を早くして、そのあとに生きることに備えなければいけません。


敗戦を知った兵は、「敗れる」ことに対しての見切りが速くなります。

敗れて生き残った兵は、そのたびに見切りが速くなります。


このことの天才だった人物がいます。

中国の三国志に登場する、劉備玄徳です。

日本版の三国志には、諸葛亮とともに素晴らしい人物のように扱われていますが、中国での評価はかなり異なるようです。


劉備玄徳は、ほとんどの戦で勝ったことがありません。

負けながら、恥も外聞もなく時の強者を頼り、命をつないでいくのです。

時には、目の前で負けた相手にすら命乞いをして、ひたすら命をつないでいきます。


その結果として、曹操の魏、孫権の呉の間に蜀を定着させるわけですから、半端な生き延び戦略ではありません。

中国での評価は、腹黒さの曹操に対して、厚かましさの劉備として定着しており、それぞれの生き方は一つの英雄の成功例として見習うべき対象ともなっているようです。


我々には、劉備のような能力はありませんし、そこまで腹をくくった厚かましさの技術も持ち合わせていません。

つまりは、ひとたび負けてしまうと、敗戦を経験した兵のようになってしまうのが普通のことなのです。

やがては、自分の勝手な想像だけで戦いすら避けるようになります。


ビジネスをやるということは、負けても命を取られないだけであって、全く同じことのようです。

そして、敗戦からあきらめたり止めるということを学ばない限り、なん度でも敗者復活戦があるのです。


あきらめずにずっと続けていったらどうなるでしょうか。

最後は望みの物を手にするのではないでしょうか。

時間軸は関係ありません。


細やかな敗戦や思い通りにならないことから、「あきらめる」ことを学んでしまった場合だけが本当の敗者になってしまうのです。

そのためには、どんな小さなことでも「敗れる」ことをしないことです。

変化の激しい世の中ですので、人は一発一中で必勝法を求めますが、そんなものは存在しません。

それでも必勝法を求めて、時間を浪費してしまいます。


必勝法はなくとも、「負けない法」はできるのです。

ビジネス上で万人が認める完全な「勝ち負け」が付くことは極めて稀なことです。

数年後に立場が逆転することもよくあることです。


「負けない法」は極めて簡単なことです。

自分で「敗けた」と思わないことです。

「敗けた」と思うから、「あきらめる」ことをするのです。

「ようし、ここからだぞ。」と思えばさらに前に進むのです。


「敗ける」とは人が決めることではありません。

自分が決めることです。


劉備は戦に敗れたとしても「敗けた」とは思っていなかったのでしょうね。

どんな手を使ってでも生き抜いて、やることがあったのです。

想像するには、「これはうまくいかなかったな、今回は誰を頼ろうか、次はどうやろうか。」くらいのことを逃げ伸びながら考えていたんではないでしょうか。


敗者だと思うから、あきらめが始まります。

失敗だと思うから、そこでやめてしまいます。

結果として、行動しなくなってしまいますから、そのことについては何の変化も訪れることはありません。

失敗としての記憶だけが刻まれることになります。


愚者は他者の失敗を取り上げ話題にすることが大好きです。

それを話題にすることによって、自分の優位を感じることが大好きです。

他者のうまくいった話を聞くことが嫌いです。

それを話題にすることによって、自分の劣位を感じることが大嫌いです。


賢者は事実を検証することが大好きです。

失敗も成功も全く同じことであることをわかっています。

行動した結果が、自分の思った通りになったのかどうかだけの違いであることをわかっています。

行動すること、働きかけることによってしか自分が変化しないことがわかっています。


同じことをやって、同じ結果としての事実がそこにあっても、愚者は「失敗」としてそこであきらめてしまいます。

賢者は、その瞬間から次の行動をしています。


敗者癖のついている人は、自分でもわからないうちに敗者になっています。

仲間と話してみるとわかる時がありますね、知らない間に愚痴を言って人を批判しているんですね。


そんな時は歯医者にでも行って少しだけ敗者について考えてみるのもいいのではないでしょうか。

痛くなってから行く歯医者とは、少し趣が異なると思いますよ。

最後は、おやじギャグでした。





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