2014年7月22日火曜日

文章こそ日本語が生きる

日本語は、話し言葉よりも文章にした方が理解しやすいものであることは何度か述べてきました。

それは、話し言葉としての表現はすべてが「ひらがな」になってしまうために、文字として持っている「ひらがな」「カタカナ」「漢字」「アルファベット」の使い分けのニュアンスが伝わりにくくなるためです。

文章として書かわれたものは、文字を見ることによってその文字が持っている意味やニュアンスを感じることができます。

ましてや、漢字は現存する言語のなかで唯一の表意文字と言われており、文字そのものに意味がありますので、話しこととしての音よりも文字として書かれたものの方がより多くのことを伝えてくれます。


最近では、物を書くことを商売としている人以外は、文章を書くことがほとんどなくなってきました。

また、文章を書くにしても、直接文字を書くという行為が極端に減ってきており、キーボードに入力するという行為に変わってきています。

このあたりについては文字を書くこととキーボードを打つことで述べていますので参考にしてください。
(参照:文字を書くこととキーボードを打つこと)


意味のある文字を書いていることは、それだけで思考が刺激されていますので、書きながらも書いている文字からいろいろな刺激を受けています。

一文字の部首による刺激や読みによる刺激、熟語としての文字の組み合わせによる刺激などを、手を動かすことや目で見ることで常に受けながら文章を書いていることになります。

これは、関連する記憶の掘り起こしや、発想の広がりを思い切り助けてくれるものです。


構想が何もなかったまま書き始めたものが、いざ書き始めてみると次から次へと書くことが浮かんでくることはよくあることです。

作家が、一度書き始めるとその瞬間の着想を無駄にしないために、一気に寝るのもいとわずに書き進めるのもこの影響があると言われています。

始めからきちんとした構想と目次ができている場合は、全体としての流れもまとまりもあったものが出来上がりますが、脱線による面白さや広がりが見られずに、安定した定型パターンになりがちです。

また、推敲の入っていないものになってしまうと、時系列や人の関係などがわかりにくくなってしまい、理解しにくくなってしまいます。


書くことにおける、二つの知的活動を一度にしているからこうなるのですね。

構想ができずに書き出す場合は、アイデアフラッシュ的な内容となり、人に伝えるために表現するよりは、自分で思考するために書くということになります。

知的活動としては思考活動に当たります。


構想と目次ができているばあには、伝えるために、読んでもらうために書くという表現活動をすることになります。

そのためには、内容についての思考活動はほぼ完了しており、その内容をどう表現するかということが中心に行われていることになります。


書くことは、表現することだけではなく、思考活動にとってもとても有効な行為です。

もう一つの知的活動である、認知活動においても、認知内容を確認したり誰かと認知活動を共有したりする場合には、書くことはとても有効な行為になります。

実は当たり前のことなんですが、書くという行為は日本語を使う場合には話す行為よりも、より正確に感覚を伝えることができる行為となっています。


何も書かないよりは、キーボード入力であっても打ったほうがいいのでしょうが、実際に文字を書くことに比べると、その効果はかなり下回るものと思われます。

さらに、ローマ字入力やひらがな入力にしても、実際に書いている文字とは違うものを入力していますので、書きたい文字を書くという行為に対する集中力が分散されてしまいます。

入力された結果だけを見ていれば、同じことかもしれませんが、文字を書いている過程にこその効果があるのですから、キーボードでの入力は文字を書くという行為と比べると、かなり知的活動に対する効果が低いものということができるでしょう。


さらに日本語は、他の言語に比べると文法による語順の規制がとても緩くなっています。

自由になっているといってもいいくらいです。

さらには、かなりの頻度で主語や述語を省略することが可能となっています。

これは、書いて伝えるという能力が相当に高くないと、その内容をきちんと伝えられないことを意味しています。


書いて表現をするということは、通行の場合は、その場での質疑を想定してない一方的な伝達方法です。

どのように伝わったのかを確認する術がありません。

したがって、伝える方は、本当に正確に伝えたいことについては、かなり繰り返して表現をします。


伝えるべき相手を想定し、相手の理解レベルを想定して表現をしていきます。

そこでこそ、日本語の持っている文字の種類が大いに役に立つことになります。


「アイデア」という言葉があります。

「idea」「アイデア」「発想」「思いつき」「おもいつき」のどれを使うのか、それとも着想とでもした方がいいのか、あるいは「アイデア」(おもいつき)とした方がいいのかは伝えたい相手による伝え方の感性ではないでしょうか。


これが文章としての全体の語感を生み出します。

文章を書きなれていない人の文章は、パートによって語感が異なってしまっていることが多く見受けられます。

語感は、文章全体で統一されていた方が、読み手にとっては苦労なく抵抗なく読み進むことができます。


すべての人にわかりやすい文章を書くことは誰にでもできます。

「ひらがな」での表現をたくさん使うことです。

「ひらがな」しか習っていない小学校一年生でも理解できる文章にすることです。


そのためには漢字の音読みをそのまま「ひらがな」で書いても意味が分かりません。

その漢字の意味を「ひらがな」で説明しなければなりません。

とても難しい表現になります。

しかし、これが伝えるための表現の原点です。


基本的な共通語である「国語」の基礎が身につくのが小学校の四年生頃です。

このころまでに習った表現で、表現できることが理想だと思います。

難しい感じの意味や、難しい言葉の意味を、小学生の「国語」の言葉で表現することが最高の表現力でしょう。


日本語を習っている外人や、本当に誰でもわかる日本語にするには、さらにすべてを「ひらがな」で表現できる力が必要になります。

意識しないとできません。

専門用語でも、略語でもそのまま使った方がはるかに楽です。

でも、その意味は伝わっていますか、自分自身が説明できますか?

「ひらがな」で表現しなおしてみてください。

わかっているつもりでもわかっていない言葉ってたくさんありますよ。


書かれた文章を一目見れば、どんな対象に向けて書かれているのかがすぐにわかると思います。

その語感は、自分が受け入れられるものかどうか、好きなものであるかどうかはすぐにわかると思います。

作家による好き嫌いは、こんなところに原因があるのだと思います。


ベストセラーだが、どうも読みにくいものは自分の語感と合わないことがほとんどです。

より多くの文章を書くことによって、五感が磨かれます。

より多くの文章を読むことによって、自分の好きな語感がわかってきます。

語感は、後天的なものですから変わっていきます。


伝える相手をできるだけ具体的に想定することによって、はっきりとした語感の使い分けができるようになります。

これだけたくさんの文字を操らなければならない日本語は、人の数だけ語感があるといってもいいかもしれません。

いろんな文章を書いて語感を磨いていきましょう。




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