文字のない、話し言葉だけの時代から歌い継がれてきたものが、漢語という表示方法によって表現されたときには、どんな感覚を持って迎えられたのでしょうか。
その漢語から、和歌を表記するための文字として仮名を生み出した能力は、一種の奇跡と言ってもいいものだと思われます。
文字のなかった文化に入ってきた、文字を持った高等文化はすべてを席巻するに相応しいものであったと思われます。
それにもかかわらず、入ってきた文字を使って、話し言葉しかなかった言語を表示するための文字を新たに生み出してしまった技術は、見事というほかはありません。
漢語の音のみを利用して、今まで文字のなかった言葉に対して充て字を使用するところまでは、なんとなく想像ができることです。
しかし、その文字をより広い層の人が使えるように簡素化して、日常使用のレベルまで持っていくことは、誰かが狙ってやったことだとしたら、途方もない遠大な計画であったろうと思われます。
しかも、一般の日常使用文字として定着するまでには、千年以上の時間を必要としていたのですから、とても計画的な活動とは思えません。
仮名と漢字という元を同じくする二つの文字種が、日本語という言語に表現の豊かさと懐の広さを与えていることは間違いのないことだと思います。
他のどんな言語よりも数の少ない基本音で、他のどんな言語よりも豊かな表現力を持つ日本語は、話し言葉と文字が協力し合ってさらに豊かな表現を実現しているものと言えるでしょう。
現在確認されている言語に使用されている文字で、文字に意味がある表意文字は漢字だけだと言われています。
文字として表現することによって、その意味するところがより明確に伝わるものとなっています。
それ以外の文字については、言葉としての音を表す表音文字と言われるものです。
表音文字は文字にした場合よりも、話し言葉として伝えたほうが意味が明確に伝わるものとなっています。
文字で書いても、その文字を音として出さなければ、意味が伝わりにくいものとなっていることになります。
したがって、表音文字を記す目的は、確認のために記録することがその大きな目的となります。
文字を見てもすぐに意味が把握できない文字もあり、頭の中で話ことばとしての音に置き換えてみて初めて意味が理解できることになります。
文字は一つひとつの言葉に対して表記の仕方がきちんと決まっており、方言であろうと専門用語であろうと間違えようがありません。
話し言葉は、聞き間違えや癖・方言などによって聞き間違えが起こります。
そのために音声言語は、音で区別するために多数の音を持つことになります。
結果として、このことが聞きなれない人にとっては更なる聞き間違いを誘発することになります。
アメリカ人の友人に映画の英語がよく聞き取れるなと聞いた時の返事は、「guess」している部分もかなりあると言うことでした。
モノによっては半分程度は「guess」している作品に出会うこともあるそうです。
その「guess」の内容は、ほとんどの場合、聞き間違えまでにはならないということでした。
つまりは、表現の方法もかなりパターン化されており、全部が聞き取れなくては理解できないようなものはほとんどないということです。
そして、受けてきた教育のレベルによってその表現のパターンや使う言葉が、かなり特徴つけられているということです。
少し日本語を使えるようになった彼らが、語彙を増やすための方法としてとても喜んでくれたことがあります。
いわゆる、おやじギャグです。
もう少し、良い言い方をすると語呂合わせです。
習い始めのころは、日本語の同音異義語はとて鬱陶しいものだそうです。
ひらがなで覚えた言葉が、漢字にしたとたんにたくさんの意味を持つ言葉が出てきてしまいます。
また、日本人のような平たい発音が苦手ですので、どこかでアクセントをつけてしまうために、自分の思った言葉とは違ったものとして伝わってしまうことがあるからです。
ところが、ある程度日本語になじんでくると、おやじギャグによって一気に語彙を増やしていくことが可能になるようです。
外人であっても、日本語のおやじギャグが使える人は、かなりレベルが高い人ということができます。
しかも、おやじギャグはその瞬間が勝負です。
間が空いてしまっては、ギャグにならないのですから、一瞬の思い付きが勝負になります。
これは、頭のいろいろなところが刺激されている活動になります。
単なる語呂合わせに始まって、考え落ちやブラックに近いものなど、いろいろな観点から作ることが可能です。
少し前に流行った言葉に「おもてなし」があります。
「やっぱり、ウラばっかりですか。」
「どうして?」
「だって、おもて(表)なし、なんでしょ?」
定番中の定番ですね。
正確に表現すべき時は、ほとんど文字で表現することになるのが日本語の特徴です。
話し言葉だけでは、正確さに掛けるのです。
話しながら正確さが必要な場合は、文字で補ったり、わかりやすく言い換えたりする必要があるのです。
ネットの普及で、実際に文字を書く場面は極端に減ってきました。
その分、キーボードを打つ機会は激増しています。
キーボード入力は、文字を書いているのとは異なりますので、日本語を鍛えるには向かない行為です。
日本語を鍛えるのは、手で文字や文章を書くことです。
SNSやメールなど短い文章を書く機会は、以前より多くなっていませんか。
そのことを文字を書いている思ってしまうと、どんどん日本語が退化していきます。
書けない漢字が増えていませんか?
漢字変換したときもどの漢字かわからなくなる時がありませんか?
おやじギャグと川柳を書くことが日本語を楽しむいい方法のようです。
サラリーマン川柳の上をいって、おやじ川柳でもやってみましょうか。
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