2014年7月24日木曜日

言葉のチカラ

言葉そのものに何らかのチカラがあるのだろうか?

いまだに方向性すら見つからないテーマです。


明らかに言葉のチカラだなと感じる時もあるし、言葉そのものにはチカラはなく、それを与えているのは人だと感じることも決して少なくありません。

上手いコピーライターの文章を見たりすると、言葉のチカラを感じることもあるし、反対にうまく言葉のチカラを引き出していると感じることもあります。

そのそも言葉そのものに何らかのチカラはあるのでしょうか。


言霊(ことだま)という言葉があります。

言魂とも書くことがあります。

一般的な解釈としては、言葉に宿る霊的な力のことを言うようです。

この霊的な力とはなんでしょうか。

恐らくは、物理的な力に対する表現だと思われますが、言霊という文字が霊的なものと結び付けられる原因だと思われます。


昔から使われたある種の言葉には、言葉そのものに何らかのチカラがあるとする考え方と、すべての言葉には何らかのチカラがあるとする考え方があります。

チカラとは、自然科学上では物体の形態を変化させることのできる作用という言い方がされていますし、物理的なこと以外でも何かを動かしあるいは変化させることができる作用という捉え方がされています。

つまり言葉のチカラとは、その言葉によって今ある状態を変化させることができることを意味するものだと言うことができます。


しかし、チカラが存在すれば必ず変化が起きるとは限りません。

チカラは存在するが変化が起きない場面もあります。

作用すべき対象がないと変化は起きません。

また、対象があってもきっかけがないと変化は起きません。


言葉にチカラがあるのかどうかを感じるのは人です。

つまりは、言葉のチカラとは人の想像力によって出来上がっていると言えるのではないでしょうか。

ただ単に言葉を見たり聞いたりしただけでは、チカラを感じることはできません。

その言葉から、何かを想像したときに、きっかけとなった言葉にチカラを感じることになるのではないでしょうか。


「林」(はやし)という言葉があります。

何も意識せずに聞いたり読んだりしている限りにおいては、「林」です。

しかし、「林」によって刺激をされる想像力があります。

「森」がすぐ浮かぶ人もいるのではないでしょうか、知人の「林さん」を思い浮かべる人もいるかもしれません。


想像力によって引き出されることは、経験や環境によってさまざまです。

しかし、ある程度共通して引き出されるイメージもあります。


「林」になんとなくざわめくイメージを感じたり、風がスッと吹き抜けるイメージを感じたりすることはありませんか。

無意識のうちに引き出されるイメージではないでしょうか。

先ほどの「森」が自然と導き出されるのは、見た目の文字から来るイメージです。

木が二つで林になっていますので、自然に木が三つの森をイメージしやすくなっているのです。


ざわめくイメージや風が吹き抜けるイメージは、「林」の音から来るものです。

「はやし」が祭囃子(まつりばやし)やお囃子(おはやし)の賑やかしさをイメージしやすくなるのです。

「はやし」が早し(速し)のさっと過ぎることをイメージしやすくなるのです。


見た目の文字の共通性や、言葉の音としての共通性は、一つのきっかけとなって、自分の頭の中にあるものを引き出します。

その中には、日本語を母語として持っていることによる共通のイメージも数多く存在することになります。


言葉のプロは、言葉が武器になることを知っています。

人を傷つけることもあれば、自分を傷つけることもあることをわかっています。

村上春樹さんが以下のようなことを言われています。

文章というのは怖いものです。とても鋭い武器になります。
時として相手を傷つけるし、自分をも傷つけます。
扱いには気をつけた方がいい。
言葉に関しては僕はプロだけど、その怖さは身にしみて知っています。


彼は、まぎれもなく言葉のプロです。

プロであるから怖さを身近に感じているのではないでしょうか。

恐らく世界で最も多くの人に文章を読まれている作家としては、この姿勢を保つことは並大抵のことではないと思います。


そして、別の場面では親切心という言葉を使って以下のようにも言われています。

文章を書くときには、できるだけ読者に大して親切になろうと、ない知恵をしぼり、力をつくしています。
エッセイであれ小説であれ、文章にとって親切心はすごく大事な要素だ。
少しでも相手がわかりやすく、そして理解しやすい文章をかくこと。


言葉には、一つひとつ人に対して想像力を働かせるチカラがあります。

その力を、わかりやすく理解しやすい方に向けるのが文章です。

言葉が独り歩きすることの怖さを十分に知った作家であるからこそ、文章によるの表現の大切さを述べてるのではないでしょうか。


話しの内容でも、文章であっても、自分の意図しないところにスポットが当たってしまい、意図しない解釈がなされていることがたくさんあります。

ある種のマスコミは、意図的にそういう場面を作り出していることも確かです。

確認と修正は怠るわけにはいきせん。


確認まではできても、修正ができる機会は極めて少ないのが現実ですね。

それだけに、最初の発信には細心の注意を払いたいものですね。

しっかりとした意図を持った文章を発していきたいですね。




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