2014年7月25日金曜日

思考を助ける「第三の視点」

自分一人で何らかの思考活動をする時に、「第三の視点」ということを意識すると、客観性を確保することができます。

昔のセールス研修で、顧客に何かを売り込むときは、売りたいもの以外に当て馬を2つ用意しろと教わったことがあります。

詳細は忘れましたが、一応は人の心理に基づいて説明を受けた記憶があります。


それによれば、売りたいものを一つだけ相手に薦めても、押し売りになってしまって拒否されるし、断る理由はいくらでも顧客側で見つけることができる。
二者択一の形で売り込むと、その場ではどちらかに決めたとしても、あとで他の選択肢の可能性に気付いた時に後悔が残ってしまう。
3つの中から選択したという感覚を残せると、一通りの検討と決定に対する安心感が生まれる。

というようなものだったと思います。


特に、協力者がなくて一人で思考活動を行なっているような場合では、なかなか3つ以上の選択肢を設定することができません。

2つは比較的簡単に設定することができます。

日本人の得意な「逆」の発想から、瞬時に対抗馬としての2つ目の選択肢を設定することができるのではないでしょうか。
(参照:秩序と混沌


ところが、2つの選択肢からの決定を続けていっても、なかなか思うような結果にたどり着ないことがよくあります。

そんな時に、ほかの人の意見やアドバイスで新たな選択肢を見つけることができ、結果的にこれがいい方向へ導いてくれることがあります。

これを、一人でもなんとかやることができないものかと考えてきました。


その時見つけた方法が、簡単に「第三の視点」を見つける方法です。

一人で思考活動に没頭しているときに陥りやすいことが、手段と目的の入れ替わりです。

理屈では十分にわかっているし、人がその状態になっていることはすぐに気がつくのですが、自分一人で没頭しているときには、知らないうちに手段が目的になってしまっていることが多いものです。


ある目的達成のための手段として目先の問題解決をやっているのに、そのことに没頭してしまうことによって、目先の問題解決そのものが目的になってしまうのです。

その問題解決そのものに全力投入してしまい、こだわる必要もないことにこだわりすぎたりしてしまいます。

何とか問題が解決したときには、その達成感で満足してしまい、本来の目的がなんであったかすら忘れてしまっていることがあります。

一生懸命にまじめに取り組む人によく見られる現象ですし、誰もが必ず陥る現象です。

これを避けるためには、没頭している忙しい時ほど無理をしてでも人に会うことを勧めています。
(参照:忙しい時ほど、多くの人に会え

現実の対面している問題について話をすることではなくとも、人と話すことによって、自分の思考だけではないものに触発されるからです。

ふとした余裕が生まれた時に、本来の目的を思い出すことができるからです。


いわゆる、俯瞰してみた客観性ということになるのだと思います。

問題解決は知的活動のきわめて現実的な活動になります。

現実を認知し、自分の期待とのギャップを確認し、期待に近づけるための行動の選択肢を設定し、ベストと思われる選択肢を行動することを繰り返していくことになります。

一人でこれを繰り返していくと、経験の少ないことについての選択肢がうまく設定できません。

確率の少ない選択肢であっても行動して結果をさらに認知する活動を繰り返していけば必ず求めるところの行きつくのですが、その道のりはかなり遠いものになります。


そこで客観性を確保するために「第三の視点」の導入が必要になります。

1つ目の選択肢は、できるできないを考えなければ比較的簡単に設定できます。

1つ目が出たら、その「逆」を考えれば2つ目も比較的簡単に設定できます。

「反対」ではなので、1つ目の要素の何かの「逆」を見つけてみればいいことになるので、日常的に行っている発想になっていると思います。

例えば、1つ目の選択肢の設定が「北へ行く」であったとすると、「逆」は「南へ行く」でも「東へ行く」もいいわけです。


そして「第三の視点」の導入です。

今度は1つ目と2つ目の共通点を見つけます。

どんなことでもいいのです。

「北へ行く」と「南へ行く」の共通点の一つは「行く」です。

そして、共通点の「逆」を見つけます。

これが「第三の視点」です。


ここで言うと「行く」の「逆」です。

「行かない」でもいいのです。

すると3つの選択肢は、「北へ行く」「南へ行く」「行かない」ということになります。


選択肢の設定が比較的簡単にたくさん出てくる場合もあります。

その場合は視点によってグループ化してしまえば、さらなる「第三の視点」を見つけることができます。

方角ばかり沢山出てきてしまった場合には、「(東西南北のどこか)へ行く」が第1グループ、「行かないが」第2グループとします。

第1と第2の共通点は、「行く」も「行かない」も自分が主体の行動ということですので、「逆」としては「来させる」という視点が見つけることができます。

3つの選択肢としては、「行く」「行かない」「来させる」という視点から設定することができます。


1つ目の選択肢からの思考活動としては、「逆」「共通」「逆」「共通」「逆」・・・の繰り返しになっています。

沢山の選択肢が出てきたときのグループ化も一種の「共通」化の活動です。

とくに、たくさんの選択肢がスッと出てくるときには、視点が一つのことから引き出されていることが多いので、選択肢の列挙が止まった時がチャンスになります。


これは、あらゆる知的活動において使えることです。

実は、意識していないだけで結構使っていたりするのです。

それを意識することで、自分自信で知的活動をさらに刺激することができるのです。


欧米言語の文化的基盤になっている二元論ではやりにくい活動です。

中庸に対する感覚を持っていることと、中庸に位置する言葉をたくさん持っている日本語だから効果が大きな活動だと思われます。

「逆」を見つける時の視点にも同じことが言えるのですね。



の「逆」はでもでもビルでも地下でもいいんですから、いくらでも可能になってきますね。

問題解決のために行動する選択肢は、その問題に対しての経験が多いほど確度の高い有効であろうと思われる選択肢の設定が可能となります。

しかし、それが絶対の正解とは限りません。

まったく同じ問題がまったく同じ環境で起きていることはありえないからです。


過去の経験は、その経験によって選択肢としてのうまくいく可能性を高くすることはできるかもしれませんが、それだけのことです。

その経験に縛られるよりも、「第三の視点」の方がより有効である場合は決して少なくありません。


言語を使いこなすことによって、知的活動はさらに効率よくできるようになります。

言語は、知的活動のたった一つの道具だからです。

言語遊びは、知的刺激を与えるのにはとてもいい活動となっています。

さあ、今日もおやじギャグを飛ばしていきましょう。





ブログの内容についてのご相談・お問合せを無料でお受けしています。
お気軽にご連絡ください。