過去形で書きましたが、克服したわけではありません、今でも時々出ることがあります。
でも、それによって話せなくなったり頭が真っ白になってしまったりすることはなくなりました。
赤面症と言う症状(現象)と折り合いをつけ、共存しているだけです。
赤面症が出ている自分を客観的に感じることができていることになるのでしょう。
なったことがない人にはまったく想像がつかないと思いますが、初めて赤面症だと気がついた時は、世の中で何で自分だけがこんなことにならなければいけないのかと思い切り落ち込みました。
親を恨んだこともありました、親から都合の悪いことを指摘されても赤くなっていました。
小学校の5年生頃ですから、いわゆるもの心がついた時です。
国語の教科書読みで指名されるともうダメでした。
立ち上がって、一行も読まないうちに耳が熱くなってくるのを感じ始めると、自分でも赤くなるなることがわかっていますのでもうアウトです。
読んでいる間に、言葉に詰まりでもしようものならば、瞬間に変化して顔面が赤くなってくることがわかっています。
人に気付かれたらもう終わりです。
「赤くなってる。」などと聞こえでもしたら、俯いてボソボソと言っているだけでどこを読んでるのかすらわかりません。
先生の「はい、いいです。」の声を待てずに勝手に終わらせて座ってしまっていました。
赤くなることが人としてやってはならないことをやっているような感覚とでもいうのでしょうか。
さらに人にそのことを指摘されることが恥かしくてたまりません。
何ともない時に「お前、赤くなるんだって。」言われただけでもアウトです。
自分に都合の悪いことを指摘されると赤くなることがわかっていますので、本当にやってしまった都合の悪いことをごまかすために嘘をつくようになりました。
やったことをやってないと嘘をつくわけですから、追及されればどこかでばれてしまいます。
そうするとやったことだけでなく、嘘をついたことまでが怒られますので、真っ赤になって下を向いているだけです。
嘘をつくことが悪いことぐらいわかっていますのでよけいに落ち込みます。
今度は絶対にばれないように誤魔化そうとするおかしな努力をするようになり、嘘がどんどん巧妙化していきます。
嘘をつくことがいけないことは当然わかっているのですが、自分の中では嘘をつくことよりも明らかに赤面症が出てしまう原因を取り除くことの方が、はるかに重要なことなのです。
いつも赤くなるわけではないのです。
国語の教科書読みでも赤くならないときもあるのです。
普通に友達と話しているときは出ないのです。
反対に予期せぬ時に赤くなると、周りが喜んで「赤くなった。」と言ってはやし立て面白がるのです。
特に話をするときがいけません。
先生に指名されても、答えが出ないときや答えを間違えた時は、まずアウトです。
何かを話すときに、話に詰まってしまってもアウトです。
批判的な声が聞こえてもダメです。
あらかじめ話す順番がわかっているときなどは、自分の順番の前に真っ赤になっていることが多いです。
赤くなリ始める時は自分でもわかりますので、何とかしなければと思います。
「やばい。」と思ったらもうダメです。
あとはもう何もできません、ひたすら赤くなったのが収まることを待つのみです。
顔を洗いにいったこともありますし、それこそ話しに聞いて雑巾で顔を拭いてみたこともあります。
何も変わりませんでした。
とにかく人の前で話すことがダメでした。
特に、話す目的が明確になっていないのにみんなの前で話すことがダメでした。
朝礼のあいさつなどで、決まりきった挨拶までは何とかいけましたが、一言スピーチになるともういけません。
赤面症と折り合いがついたのはいつからでしょうか、記憶にあるのは高校の時の体育でサッカーをやっていた時だと思います。
絶好のゴールチャンスに来たボールを空振りしてコケたのです。
あの瞬間がやってきました、耳は熱くなって瞬間変化です。
笑い声も聞こえています。
ところが、コケた私のところにボールが戻ってきたのです。
何とかしなければいけません。
半立ちの中腰のまま真っ赤な顔で、やや頭の上に来たボールにあわてて足を出しました。
格好としては高さのないオーバーヘッドキックです。
これがなんと、キーパーが身動きもできずコールしてしまったのです。
瞬間すべての音が消えたのを感じました。
真っ赤な顔をしてコケている私に、何人かが駆け寄ってきてバシバシたたきました。
あとは仲間と一緒に真っ赤な顔で、叫んでいる自分がいました。
誰も私の赤い顔を気にしていないのです。
このことがあってから、赤面してもやることはできるのだと言うことを感じることができたのではないでしょうか。
赤くなることはそのあとも何度もありますが、それによって止めてしまったりすることがなくなってきました。
すると不思議なことに、頭が真っ白になることがなくなりました。
そして、さらに赤面と折り合いがついたのが、「きく」と出会ってからです。
無理に話をする必要がないんだというとんでもない安心感を与えてくれました。
話さずに「きく」ことで、あわてることもなくなりました。
「きく」は「聞く」であり「聴く」「利く」「効く」そして「訊く」です。
最後の「訊く」は行為としては話すことですが、問いかけること確認することです。
自分から何かを働きかけする必要がないのです。
5つの「きく」の詳細については「きくこと」についてをご覧ください。
(参照:「きくこと」について)
これによって思わぬ評価をいただきました。
本人は「きく」ことをしようとしているのに、話がうまい話が面白いと言われるようになってしまいました。
500人を前にほぼ即興に近い状態で話をした時も、緊張こそすれ頭が真っ白になるようなことはありませんでした。
話し終わった後、主催者の代表から握手を求められ心からの謝辞をいただいたときはやってよかったなと思いました。
以来、何かにつけてこの「きく」を実践しています。
きっとどこかで役に立つと思いますよ。
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