2014年6月6日金曜日

日本語における平安期の意義

日本語について興味を持って調べていると、平安期についての記述がやたらと多いことに気がつきます。

確かに、史料として残っているもので一番古いもののほとんどが平安期のものであることもあり、その後の写本についても平安期の書物を元にしたものが多くなっています。

平安期に何があったのか、日本語・日本文学上になぜこんなにも平安期に作品が集中しているのかを見てみました。



上記の時代表を見ていただくとわかりますが、日本の時代区分の中で一番期間が長いのが平安時代となっています。

まず一つ目の納得です。

単純に言えば、江戸・明治・大正・昭和までのすべての年代を合計した期間よりも、平安時代の方が長くなっているのです。

390年を超える期間がありますので、当時の生存期間から考えても10代以上の移り変わりがあったと思われます。

在位した天皇の数を数えてみただけでも33代となっています。

このころは今のように天皇在位と元号が一致していませんので、元号を見てもよくわかりません。

現代の私たちから見たら、西暦で追っていくことの方がその時代のボリュームを把握するには適していそうですね。


平安時代の前は奈良時代です。

時代区分としてわかりやすいのは、奈良に政治の中心としての都(平城京)が築かれた710年から京に都(平安京)が築かれた794年までを奈良時代としているからです。

平城京は中国の都である長安を模して造営されたものとされています。

遣唐使をたびたび送り、当時の最先端であった中国の文物を導入していった時期です。

古事記、日本書紀、万葉集などの漢語によるに現存する最古の史書や文学が登場した時期です。


上記の日本書紀(平安期の写本)は現代の私たちが読んでも、かなりの部分を理解することができます。

1200年以上も前の書物を、特別の知識も持たずにある程度理解することができることは、とんでもないことだと思われます。

使われている文字のなかで全くわからないものは2割もないのではないでしょうか、現在の私たちが使っているものとほとんど同じものが多いです。


平安時代は、模倣した中国文化から日本独自の文化を生み出し発展させた時代ということができます。

鎌倉幕府の成立までの間、京都におかれた平安京が政治の中心であった時代と言えます。

政争や武士の台頭なども数々ありますが、政治の中心が動かなかったことから考えるとそれなりに安定した時代であり、文化的な発展が遂げられた時代と思われます。

漢語から仮名への移行が見られ、後半には和漢混淆体としての漢字かな交じり文が定着していく姿を見ることができます。

勅撰集においても初期の漢詩集から和歌集への移行を見ることができ、古今和歌集以降の12の勅撰集のうちの半分がこの時代に編纂されており、のちの勅撰和歌集のひな形的存在となっています。

和歌による表現技術の発展は仮名による表現技術の発展をもたらし、仮名による表現方法としての日記や物語などを生んでいきます。


仮名文学の発展期にみられる漢字の残り方は、鎌倉時代以降の中心的な表現である和漢混淆体とは少し異なっています。

仮名表記の定着までの漢字は和語(やまとことば)を表記するためにその音を借りてきた漢字であることが多く、ほとんどが音読みとして使用されています。

和漢混淆体における漢字の使用は、訓読み漢字として仮名による送り仮名や語尾の変化を伴って現代漢字かな交じり文の原型ともいうことができると思います。

それ以外の漢字はほとんどが名詞、それも固有名詞に近いものとして地名や人名に多く使われています。


その後は身分や階級による言葉の使い方の違いこそあれ、江戸時代まで続いていく基本的な文体が出来上がってきたころと言えるのではないでしょうか。

その後の大きな変化は、明治時代まで待たなければならないと思われます。

開国、文明開化、富国強兵によって一気に新しい言葉が漢字を中心に作られた時代です。

その言葉の数は、現代の広辞苑の収録数に匹敵する20万語を越えていたと言われています。

文体として定着していた和漢混淆体に、新しい言葉が加わってできてきたのが現代の漢字かな交じり文になっていると思われます。


教育制度の導入も明治期より取り組まれたことです。

現代の基本的な日本語の使い方は明治期に定着したものであり、その歴史はわずか150年程度に過ぎません。

その基盤となる日本語はひらがなであり、その歴史は平安期から鎌倉期にかけての500年を越える間で磨き上げられてきたものと言えるでしょう。


上の写真は、平安末期の絵物語です。

右側に書かれている文は、ほとんど読んで理解できるのではないでしょうか。

平安時代の間に、先の日本書紀の漢語体からこの絵物語にあるような漢字かな交じり体に移行してきたのです。


平安末期の漢字かな交じり体に比べれば、現代の私たちの方がよほど多くの漢字を使っています。

それは、明治期に造られた言葉がほとんど漢字だからです。


書道の大家として、のちの世に「三蹟」として評価される三人も平安時代の人物であり大きな影響を与えました。
(三蹟:小野道風、藤原佐理、藤原行成)

文字そのものが「書の道」として他の芸術と同じ地位を持っているのは、漢字を持っている中国と日本くらいしかありません。

また、違う面で日本語の持つ素晴らしに気づかせてくれますね。




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