2014年6月29日日曜日

厚かましく腹黒く生きる

日本で約35年前に翻訳された本に「厚黒学」(徳間文庫)というものがあります。

日本訳としてのサブタイトルが「厚かましく、かつ腹黒く生きよ」となっているものです。

そこで扱われている人物は私たちにとって馴染みのあるある、三国時代の劉備や曹操なども登場してきます。


タイトルから想像するには、かなり俗っぽい裏街道ものかなと思われがちですが、著者の李宗吾は自らが歴史にみられるような英雄豪傑になりたいとあらゆる書物を読み孔孟の道を極めようとしました。

25歳の時に大いに思想の変化が起こり、科挙に受かり、役人としての教育の道を十年以上歩んできた人です。

その後は、官界のくされきった環境に嫌気がさし、引退後は著作に邁進したとされています。

孔孟だけでなく、「二十四史」「四書五経」や漢学に対する深い教養と疑惑を兼ね備えており、その道の研究者としての評価も高く、それらの古典を真似た表現などを駆使したことなどから「中国文化的20大奇才」と呼ばれることもあります。


覇者と学者は一対をなしており、覇者の行為を正当化する論理を学者が持ち出したり作り上げたりすることによって、双方の立場が成り立ってきたと指摘しています。

覇者(皇帝たち)の基本は、全く面の皮が厚く、徹底的に腹黒い人間であることに思い立った李宗吾は、正統思想としての儒教の上で天子によって認められて支配者となったとされている話をすべて嘘であったと主張しています。

厚かましく、人を利用し、腹黒く自分の利を得てきた者だけが成功者となることを示したものです。


一旦覇者となってしまえば、過去の歴史すらも書き換えることができ、自分の都合のいいように正当化することが可能です。

そしてすべての敵となる可能性を排除することが可能になるのです。

そうなったら、おかしなことをする必要はないので、反対に名君として活動に専念できることになります。

そのことだけを記録させることによって、歴史上に名だたる名君として残ることになります。


覇者となるような者は、その厚かましさ、腹黒さは並大抵のものではなく、歴史に名を遺した覇者たちのそれは群を抜いているもであったと推察しています。

これは何も、古代の中国のみの話ではなく、現代のわれわれの環境においても全く同じことが言えるのではないでしょうか。

道徳観に基づいての行動は、確かに賞賛の対象にはなるかもしれません。

しかし、それをチカラだとは誰ひとり思うことはないでしょう。


現実のチカラを持った者が、たとえパフォーマンスであったにしても行う善行の方がよほど影響力が大きいことは万人が理解していることです。

この「厚黒学」という本は、タイトルの割には中身は真面目に考察された内容となっています。

発想の転換などのきっかけとしては面白いと思います。


成功者としての基準は一人ずつ違うと思われますが、成功者への近道は厚かましく腹黒くであるは万国共通のようです。

それを正当化すこともせずに、当たり前のこととして行動できることが、成功者としての資質となるようです。

方に触れることと紙一重のこともありますので、この資質を持ち合わせる者は時として警察の厄介になることもあります。


他人のことを考慮すること、人の評価を気にすることは成功してからすればいいことであって、成功する前にやったところで誰も喜ばないし自己満足でしかないということは一面の真実であろうと思います。

人に影響を与える金もチカラもない者が、人とのかかわりについて口にしていることが意味のないことになります。

そうではないだろうと言いたいところはありますが、間違いなく真実だという確信もあるのが不思議になります。


久しく思い出すこともなかった「厚黒学」ですが、最近はいろんな訳本が出ているようです。

バブル期の前に一時流行ったことがあったのではないでしょうか。

「正しい」ことがあまりのも求められすぎているのではないかと思います。


結果を手にするのにはさまざまな方法があります。

それは結果を手にしたから言えることでしょう。

まずはどんなことをしても結果を手にすることからしか始まらいのではないのでしょうか。


覇者となった者たちは、人の迷惑を考える以前に行動していたのではないでしょうか。

目的をはっきりと持って、そのために常にベストの選択をしていっただけではないのでしょうか。

それを、周囲から見た時の表現が「厚かましく、腹黒く」と映っただけのことでしょう。


その選択が、一番確率の高いベストのものであると思ったら躊躇なく行動に移したということだけでしょう。

これができたから覇者となったのだと思います。

ブレない目的と行動力は結果を導いてくれます。

途中で退いていくものは数知れずです。

その理由も腐るほどあるでしょう、でも結果は同じなのですから理由などどうでもいいのです。


このように生きたいなと思ったこともありましたが、できないことは自分が一番よくわかっています。

ひたすらの、ブレない目的と行動が、傍から見たらこのように映るのかもしれないなと思うようになりました。

少しだけ意識して、行動してみようと思います。

ベストの選択であれば、そこに周りへの影響を考える余地などないことを意識して、すぐに行動することですね。




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