中国の戦争故事に倣った言葉ですが、どうも気になる使われ方が多いような気がしています。
「覚悟を決めて、後戻りできないように背水の陣で、会社を辞めることにしたよ。」
「決めたのか、それで何をやるんだ。」
「具体的には、これからだな。」
居酒屋で聞こえたこの話に、「バカかお前は。」と思わず声が出そうでした。
もう一度背水の陣について調べる機会を与えてくれたのですから、そのバカにも感謝しないといけないですね。
背水の陣が成功した環境には、様々な条件が重なりあっていました。
その辺を見てみましょう。
1、戦う相手は大きな城を持った30万とも言われる兵力を持っている。
2、こちらの勢力を侮っており、調査隊も出さず油断している。
3、こちらの布陣した場所は、狭い山道を抜けた先の少し開けた場所である。
4、背後に大きな川があり、兵力は3千ほどである。
簡単に整理してみると、相手は力こそあるが何の戦略も立てていない、過去のやり方からすれば大軍勢で押し寄せてつぶしにかかると思われる。
いわゆる、数にものを言わせたバカである。
それでも兵力の差は圧倒的であり、まともに戦うわけにはいかない。
相手の状況を徹底的に調べ上げてベストの作戦を立てて実行したのですが、のちに一部の布陣だけが取り上げられてしまって「背水の陣」となっています。
作戦は以下のような内容です。
ほとんどすべての勢力を見せつけて勝ってきた相手は、城に残すのはいつもわずかの兵力となっていて戦に参加できないために士気が低い。
千人の兵力で十分に城を攻略できる作戦ができている。
30万の大軍とはいえ、狭い山道を抜ける時は数十人単位である。
しかも、先では何が起こっているかわからない。
後方では、勝と決まっている戦で早く手柄を立てたくて焦っている。
陣を囲まれたとしても後方の水路を最終逃げ道・搬入路として確保してあるため、最悪でも全方位を囲まれることはない。
逃げる船は確保してあり、川へ出てしまえば追えるものはない。
したがって、千名の兵力で隠密裏に相手の城に向かい、相手の兵に紛れて侵入して城を攻略する。
これが一番大切になるために、優秀な戦力を投入する。
背水の陣の方では狭い山道を抜け出るところをメインの戦場として定め、入れ替わり新しい戦力で出てくるところをたたく。
一回の投入戦力は百名もあれは十分である。
優秀な勢力を城攻めに充てているので、弱い兵でも力を出すように少ない飯と逃げ船を見せないことで勝たないと生きていけないと思い込ませる。
この最後の部分だけを捉えて「背水の陣」と呼ばれていることがほとんどのようです。
このように背水の陣とはそれまではあまり水を背に陣を張ることがなかった中で、他の環境によって結果として川を背に陣を張ることがベストの選択だとしただけのことです。
状況の分析とそれに対する行動のなかで、望む結果を手に入れるのに一番確率の高い方法を採った結果です。
当時のことであれば一番難しかったのは相手の状況をつかむことであったと思われます。
かなりの部分が予測で判断しなければならなかったことでしょう。
過去の固定概念や戦上手の話で固定概念ができている人たちにとっては新鮮に映ったことでしょう。
全体をつかむことなく一部のところだけを見ていることも同じでしょう。
城だけを見たら、本来の城は10倍以上の勢力に攻められてもびくともせずに籠城できるように造られています。
城の侵略においてはほとんどの場合は、内部の手引きがなければ不可能です。
その城を奪われることは馬鹿者を意味することになります。
背水の陣は、相手の城の占領という作戦がなければ成り立ちません。
そのための援護作戦だからです。
城を占領した勢力はすぐに知らせを走らせます。
自分たちは持ってきた自軍の旗印を所狭しと掲げます。
大軍が入場したと思い込ませます。
情報収集を怠った相手は、勝手にどこからか大勢力の援軍が来たのではないかと思い込みます。
知らせに走った者たちは、相手軍のなかで城が占領されたことを触れ回ります。
やがて排水に陣側にも城占領の報告が届きます。
背水の陣の兵力は、ここまでもたせればいいのです。
最悪は、水路から逃げてもいいのです、それまでに城を占領していればいいのですから。
後を絶って前に進むしかない状況を作ることを「背水の陣を布く」と思っている人があまりにも多いことに驚きました。
もしそうだとしたら、「背水の陣」は最悪のバカの選択となります。
自分に対してやらなければならない状況を精神的に作ることと、成功する確率が見えないことに対して後・現状を立つこととはわけが違います。
やらなければいけないことに対する確率をさらに上げるための選択肢として一つにすぎないのです。
最初の居酒屋で聞いた話は「背水の陣」でも何でもありません。
単なる現状逃避としか思えません。
敢えて言うなら「排水の人」でしょうか。
この作戦を実行した人は韓信という漢の名将です。
のちに人にこの戦のことを尋ねられた時にも、兵法にある通りにやっただけで何も特別なことではないと言い切ったそうです。
もちろんその裏で、敵を油断せる手段や、城を手薄にさせる手を何重にも打っていたことではありますが。
この背水の陣を聞くたびに、自分に言い聞かせていることがあります。
背水の陣は戦に勝つための目的ではありません。
城を占領するための手段の一つです。
間違っても、背水の陣を布くことを目的としてはいけないと思っています。
ブログの内容についてのご相談・お問合せを無料でお受けしています。
お気軽にご連絡ください。