2014年4月3日木曜日

「母語」+「学習言語」あってこその英語

4月になったからでしょうか、ここ数日幼児の英語教育の宣伝を目にすることが増えています。

少しでも早く始めたほうが、より簡単に英語が身につくような錯覚をあたえるものがほとんどです。

英語を言語学として学ぶのであれば別ですが、日常会話やビジネスレベルでの会話をするためであるならば、身につけるのに適した時期というものがあります。

これは、英語に限らず母語以外の言語を身につけようとする場合にはすべてに当てはまることです。


母語以外の言語を使用するためには、頭の中で母語からその言語への翻訳が行なわれていることになります。

今回は英語を例に考えてみます。


英語を母語とする者同士の会話の90%以上を理解しようとする時に必要な単語数は、3,000語だと言われています。

参考までに、フランス語の場合は2,000語だといわれています。

日本語の場合は10,000語が必要だと言われています。

単純に言っても、日本語の方がはるかに表現力が豊富であることがわかると思います。


母語は幼児にしか身につかない上に変更することができない生涯における基礎言語です。

さらに、人が思考するための唯一の道具でもあります。

したがって、母語が大きければ大きいほど他の言語を使いこなすことが楽にできることになります。

母語として日本語を身につけているメリットは計り知れないものがあります。
(参照:ここまでわかってきた「母語」


母語は具体的な言語というよりは、その言語が持っている感覚やその言語によってなされる思考の特性など言語の持つ特徴が示すものではないでしょうか。

そのために幼児期において、脳を代表とする知的活動のための各器官が母語を使うために最適な機能に発達していくようになっています。

生まれたての子どもの声帯の機能は英語のLとRをきちんと区別できるようになっているそうです。

日本語を母語とすることによって、日本語の特徴である完全母音の発声に適した機能に発達していきながら、LとRが区別できる機能が退化していくと言われています。

母語の習得による各器官の基本的な機能の決定が、5歳頃までに行われます。


母語は母親から伝承される全く個人的な言語ですので、義務教育として小学校に進むと日本語の共通語としての「国語」を学ぶようになります。

この「国語」によってさまざまな教科をとおして知識を学んでいくこととなります。

この「国語」のことを学習言語(または第一言語)と呼んでいます。

ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字と学びながら、小学校4年生の段階で基本的な日本語を身につけることになります。

母語の強化をしていっていることになるわけです。


そのあとは、語彙を増やしながら多くの表現に触れることによって母語に磨きをかけていくことになります。

中国語を除く他の言語においては、ほとんどの国で義務教育の初年度において言語の基本的な習得を完了します。

中国語は数千と言われる漢字を覚えなければいけませんので、一般的な作文が書けるようになるには中学生くらいまでの期間が必要となっています。
(参照:外国の言語教育(5)…中国

日本においても2,000弱の常用漢字の習得には中学生まででも足りていませんが、ひらがなという代替え文字を持っているために「国語」としての基本の習得にはそこまでの期間を必要としていません。


その後も国語科は学校教育の中心となっており、さまざまな文章の読解と漢字の書き取りや言葉の定義を常に試されていきます。

小学校4年生で基本的な日本語を身につけたことによって、母語としての言語感覚の上に道具としての日本語の最低限のものが乗ったことになります。

小学校での英語学習は5年生から始まっています。

ある意味では適切なタイミングということができるかもしれませんが、最近では3年生からに早めることが行なわれています。

全く意味のないことではないでしょうか。



母語以外の言語を使う場合には、どんな場合においても「母語」からの翻訳が行なわれています。

見てきたとおり、日本語は英語よりもはるかに大きな言語あり表現力も豊かです。

したがって、英語に翻訳するためには英語に翻訳しやすい日本語することが一番効率が良くなります。

母語として一番使いこなせる言語で、翻訳したい英語にしやすい形にすることが、一番効率的な英語の学び方です。

母語で考えた難しい表現や論理をそのまま使い慣れていない言語で表現することはできません。

英語表現の特徴を学ぶことによって、母語としての日本語でどのように表現すれば簡単に英語にできるかを考えるのです。


英語を使いこなして、英語で思考するができているように思える人はこのことが素早く行える人なのです。

そうすることによって、使える単語は少なくとも相手の使った言葉をうまく利用することによって英語を使いこなしていけるのです。


もう、お分かりになっていると思います。

英語を使いこなすための早道は日本語を磨くことなのです。

名著と言われる「理科系の作文技術」を書かれた木下是雄先生は、学生たちの論文の英語がひどいために専門分野の指導よりも論文英語の指導で時間を取られてしまっていました。

その時に「彼らは英語ができないいじゃない、日本語ができないのだ。」と気付かれて書かれたのがこの本です。

30年以上前の話です。


日本語が使いこなせていないときに英語を学んでも使えるわけがないのです。

ましてや、母語としての日本語を身につける時期に英語を学べるわけがないのです。

無理やりに教え込むとどうのようなことが起こるでしょうか。


母語は一つの言語として身につけてしまいます。

幼児期に英語を教え込むと、日本語と英語のチャンポン言語を母語として持ってしまいます。

日本語でも英語でもない言語です、世の中に存在しない言語です。

日本語としての感覚が周りの人と異なってしまいますので、想像のできない苦しみを与えることになります。


知識習得の一環として教科としての英語を学校教育で行うことは仕方のないことかもしれませんが、会話としての英語は日本語を使いこなせてからの方がはるかに早く身に付きます。

趣味としての英会話の必要性は全く理解できませんが、必要に迫られて最新の言葉と一緒に身につけることが一番大切だと思います。

社会人になってから、中学校で習った英語表現で笑われた例は山ほどあります。

自己紹介ひとつでもそうですね。

日本語にすると「拙者、〇〇と申すものに候。」と言っていることがわかっていないのですね。


言葉や表現が日々変化していっていることは日本語だけではありません、すべての言語で起きていることです。

せめて大学生くらいで、英語の表現からもう一度日本語の表現を学びなおすことができる程度になってからの方がいいのではないでしょうか。

学校教育では日本語につてでさえも表現する技術についてはほとんど学ぶことができません。

せめて、自分で日本語の表現後技術を磨いて英語を簡単に身につけたいですね。