2014年4月26日土曜日

算数が苦手な子は国語をやり直せ

小学校の中学年から高学年にかけて、算数における苦手になるかどうかの分岐点があるようです。

小学校の一年生からある主要教科としては、国語と算数があります。

小学校の低学年を受け持つ先生方はベテランの先生が多く、国語の大切さをよく理解なさっています。


小学校の低学年はすべての教科が、これから先の知識を学んでいく学習言語としての国語を身につけるためにあるということができます。

算数はその中でも特に日常言語と違った表現や論理が多くあらわてる来るものです。

早い段階から少しずつ馴染んでおかないと、算数独特の表現や記号、論理についていけなくなってしまうのです。



低学年のうちは、すべての教科が国語を身につけるためにあるようなもので、教科ごとの独自性はほとんどありません。

国語の学習が進んでいくうちに、それぞれの教科が習得されてきた国語に合わせて、独特の表現を強めていくようになります。

特に顕著なのが、小学校3年生からは理科や社会科が加わってきたり、算数がより専門的な表現が増えてきたりします。


教科書そのものも、縦書き横書きがはっきりしてきますし、数式や記号がより専門性を増した形で表現されてきます。

教科によって同じ国語で表現されていても、そこで現れてくる漢字とひらがな・カタカナやアルファベット・記号のバランスがかなり違ってきます。

使用されている文字の種類のバランスのことを語感と言ったりしていますが、教科によって語感の違いがかなりはっきり出てくるのがこのころです。


小学校に入って国語として初めて学習するのがひらがなです。

ひらがなの学習は2ヶ月もかけずに終了します、先生の指導書には24時間以内で完了するようになっているようです。

国語科で学習言語を身につけていくと同時に、習得した学習言語で書かれた教科書で他の教科を学んでいくことになります。

国語科の中でも、文学小説や論説文・古文などと語感の異なる文章に触れていきますが、子どもたちが一番最初に触れる大きな語感の違いが算数ではないでしょうか。


算数の語感は、普段の成果鬱で触れることがあまりない語感です。

そのために国語と同じように小学校一年生から算数の授業があるのですが、それでも3年生頃からより算数らしい表現が出てくると苦手になる子供が出てきます。


算数が苦手な子供に算数をいくら教えても駄目なことはベテランの先生たちはよく知っています。

算数の教科書に書いてある文章や、算数の内容を話している先生の表現が理解しにくくなってるので、算数についていくら教えても理解できません。

無理やり教え込んで暗記させても、そのことのみを記憶しただけで基本的な理解はしていません。

無理に暗記させることが続くと、どんどん算数が嫌いになっていきます。


算数の教科書に表現されている文章を理解するためには、国語の力が必要になります。

やみくもに国語をやり直せはいいというものでもありません。

算数の教科書に書かれている語感と近いものを読み解く練習が必要になります。


慣れない語感に出くわすと、それだけでも理解することに遅れが出てしまします。

理解がしにくくなりますと、やがてその語感が嫌いになります。

最後は、その語感に出会っただけで拒絶するようになってしまいます。


小学校の3年生以上になると、国語科だけではカバーしきれない語感が様々な教科において出てきます。

特に、横書きの教科書で数字や記号がたくさん出てくる算数や理科は、数字や記号で理解することが多くなってくるために文字での説明が簡略化されていきます。

専門性が上がってくるほど、教科独特の語感が強調されていくことになります。


算数が苦手な子供は国語をやれとはよく言われることですが、国語のどんなことをやったらいいのかまでしっかり伝えてあげないと無駄な負担を強いることになります。

算数の教科書の持つ語感と、それを説明する先生の語感を抵抗なく理解できるようになっていないとどんどん苦手になっていってしまうのです。

学習言語として習い始める国語の語感から一番遠いところにある語感が、算数の教科書の語感だと言えるでしょう。


学習言語としての国語の基本が習得できるのが10歳前後、小学校の中学年であると言われています。

ひと通りの言葉の使い方が身につくころと言われています。

その後は語彙を増やしながら、国語として定められた文法に沿った理解を深めていくことになります。


学習言語としての国語が、それから先の知識の習得のために必要な共通語となります。

国語によって、ほぼ全国統一的な知識を身につけていくのです。

国語は様々な教科の教科書によって知識を得るための共通語です。

国語としての文法はそのために一般的に使用されている日本語よりも厳格に規定されています。

この国語をして正しい日本語という場合もあるようですが、国語は日本語のなかでのすべての人が等しく知識を身につけるための共通語であるということができます。


日本語自体はもっともっと広くて大きなものです。

方言もあれば、古語もあります。

一人ずつ持っている日本語はすべて異なるものです。

それだけに、なるべく同じ理解ができるようにと定められているのが国語だと思ったらいいのではないでしょうか。


幼児期には学習言語の国語の前提となる言語をすでに持っています。

それは一人ずつが大きく異なる言語です。

小学校に入って、学習言語としての国語を学ぶところからが言語習得の第二段階です。


世界の他の言語はほとんどが日本語ほど複雑ではありません。

そのために、幼児期言語から学習言語への習得がすぐに完了してしまいます。

ほとんどの言語で、小学校一年生で学習言語の基本的な習得を完了してしまいます。

そのために小学校の低学年から、言語技術としての自己表現や議論のための技術を身につける教育がなされています。


基本の学習言語の習得に時間がかかっている言語は、日本語と中国語が挙げられます。

日本語は小学校の中学年頃にやっと基本的な学習言語の習得です。

一般的な漢字が使えるようになるには中学生くらいまでかかるのではないでしょうか。

中国語ではやはり、中学生までかかって一般的に使える漢字の習得(約2,000字)を終えるようです。


基本言語の習得に時間がかかればかかるほど、その言語を使っての言語技術を磨く時間が少なくなります。

日本語や中国語を自分の言語として持っている人たちが、アウトプットが苦手な理由がなんとなくわかるような気がします。

反対に、それだけ大きな言語を身につけているわけですから、もっと有効的な使い方もあるのではないでしょうか。

日本語の特徴から見つけられる、独特の利用方法なども見つけていてたら楽しいですね。




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