2014年3月25日火曜日

思考の道具としての言語

言語がコミュニケーションの道具であることは誰もがわかっていることですが、思考の唯一の道具が言語であることは意外と知られていません。

写真や絵、表やグラフなどもあるではないかと思われる方もいるかもしれませんね。

色々な考え方はあるようですが、一般的には写真や絵、表やグラフなどのイメージは言語を記号化したものであるとされています。

言語で表現したものを記号化したであり、イメージのままでは理解していないそうです。

イメージを言語として置き換えて理解しているそうです。

抽象画が具象画に比べて分かりにくいのは、多くの人が共通した言語に置き換えることができないからだと言われています。



思考もいろいろなとらえ方がありますが、言葉自体が抽象的な言葉ですので、一人ずつ定義が違うかもしれないですね。

広くは知的活動全般のことを差すこともありますし、何らかの結論を導き出す頭脳の働きということもあります。

ここでは単純に考えること、頭のなかで思いめぐらすこと程度にとらえておけばいいと思います。


思考が言語でなされていることが確認されたのはそんなに古いことではありません。

1930年にレフ・ヴィゴツキーによって著された「思考と言語」によって、思想が言語表現に移行していく姿が心理学的にも解明されたと言われています。

それ以降、様々な研究がおこなわれていますが、総論的に言って「思考は言語によってなされている」ことは世界的に認められたこととなっています。


私たちはただ単に思考だけをすることができません。

思考する対象が頭に入ってこなければ、思考することができません。

また、自分の思考を整理確認するためには、何らかの表現をしなければなりません。

口に出して発するか、紙に書いて表現するか、方法はいろいろありますが思考したものは何らかの表現をしなければ確認できません。

したがって、広義の捉え方では、思考はインプットとアウトプットを伴って初めて成り立つものとなります。

これを、日本語でもう少し使い慣れた言葉で表現すると、認識→思考→表現、となるのではないでしょうか。

ここで言っている思考とは狭義の意味で頭の中だけで行われている”思考”ということになります。


思考が言語によってなされていることがわかってきていますので、言語をうまく使いこなすことによってより質の高い効率の良い思考が可能になるのではないかと思います。

そんな目で見ていきますと、今まで経験していた問題解決手法や発想法などはすべて言語技術で成り立っていたことがわかります。

日本人が得意な、一番一般的なKJ法も言語技術そのものです。

ブレインストーミングも言語によって発想を刺激する言語技術そのものです。



思考のために使う言語が異なれば、思考そのものが異なるのは当然のことと言えます。

全く同じテーマについて、違う言語で思考すると結論だけでなくかかる時間や思考過程までが違ってくることは、様々なところで確認されていることです。

複数の言語を使いこなせる人であっても、しっかりとした思考をしようとするときに使える言語は決まっています。

思考そのものは母語でなければできないと言われています。


それぞれの言語においては、持っている語彙や文法や歴史によって独特の言語感覚が含まれています。

文化と言ってもいいものです。

母語以外の言語については、すべて母語からの翻訳が行なわれていると考えられています。


会話そのものは瞬間的な思考が含まれていると考えられますので、母語以外の言語であっても会話ができる程度に使える言語であればある程度の思考はできると思われます。

それでも母語には文化的な歴史的な要素も含まれており、個人の知的活動のための機能は幼少期より母語によって母語を使うのに最適なものに作り上げられています。

無理に思考の枠をはめられない限りは、母語による思考が自然であり一番質が高いものとなっています。


日本語は、他の言語に比べて圧倒的に表現力が豊かな言語です。

文法的な規則も緩いため、語順や省略などが自由に行われています。

同じことを言い表すのにこれだけたくさんの言葉や表現を持った言語はほかにありません。

日本語を母語として持っている者は、それだけで思考の広がりと柔軟性を持っていることになります。


さらには、ひらがなという2000年以上前から使われていた言葉を現代に受け継ぐ言語によって、言語感覚の中に文化的な歴史的なものを持っています。

日本語は世界の言語体系の中でも、どの言語とも交わらない独特のものとなっています。

漢字という文字は中国文化圏からの借用ですが、そこから生み出した「かな」は文字のない時代の言葉を受け継いでいるものです。

世界でも他に類を見ない言語です。


日本語はあまりにも大きすぎる言語だということもできます。

一人ひとりの日本語が違いすぎるのです。

あまりにも多くの語彙と表現を持つために、同じ言葉でも理解している内容が異なる場合がたくさんあります。

母語としての日本語は、母親から伝承されますので、母親の持っている言語が母語の限界です。

母語として持っている日本語は、一人ひとり異なる日本語となっています。

せっかく素晴らしい言語としての日本語を母語として持っているのですが、一人ひとりは独特の日本語となっていることになります。


結果として、一人では日本語の持つ能力を使いきれていないことになります。

昔から、感じていたのではないでしょうか、日本人は人の意見を参考にして協同によって作り上げることが得意です。

複数の人が集まった時の言語のやり取りは、同じ日本語としての感覚は持っていますが、それぞれの言葉に対しての感覚が異なっています。

それを刺激し合って、より質の高い思考につなげていくことができます。


漢字は書くことによってきわめて意味が分かりやすいものとなる文字です。

文化的歴史的な伝承が母語には含まれているのです。

複数の人が集まって、書いて知恵を出し合い思考を高めていく行為は、日本語にはもってこいの方法となっているのです。



他の言語にも、その言語を最も生かす思考方法があります。

英語は、とにかく話すことによって、自己主張をすることによって思考をする言語です。

アルファベットを基本とした言語のほとんどは、語彙がそんなにありませんし、ガチガチの文法で構文が規定されています。

文字に書くことよりも話すことにおいて、意味が分かりやすくなっています。


彼らの表現方法やプレゼンテーションは、私たちにとっては新鮮に見えます。

しかし、私たちの日本語を母語として継承してきた言語技術は、日本語にあった思考の質を高めるために最適のものと言えます。

そこまで考えたうえで、外国の言語技術を取り込むことが必要だと思います。

今まで見てきた中で、取り込んだ方がいいと思った技術はパワーライティングくらいでしょうか。


いろんな分野があっという間にボーダレスになってきました。

英語はますます国際標準語としての地位を確実なものにしています。

しかし、漢字はアルファベットに次いで世界で2番目に多くに人に使われている文字です。

日本語を母語として持っている者は、英語で思考することはできません。

しっかり考えるためにも、もう一度日本語を見直してみませんか。

自分の日本語と周りの日本語を比べてみるだけでも、参考になりますよ。
(参照:気づかなかった日本語の特徴







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