2014年3月26日水曜日

日本語の傑作・・・仮名と訓読み漢字

現代日本語の標準的な表記方法は「漢字仮名混用文」となっています。

漢字は古代中国文明から導入した言語である漢語がもとになっており、その読みについては音読みとして、導入された時の音に近いものが充てられています。

漢字の音読みについては複数の音を持つ漢字も多く存在し、導入時の時代や地域による音の違い(漢音や呉音など)や日本語の音読みになった時の変化などがうかがえます。


漢語が導入される以前から、文字のない話し言葉として「古代やまとことば」が存在していました。

いわゆる日常語であり、歌詠みに使われていた言葉です。

この言葉に対して漢語の読み(音読み)を充てて文字として表現したものが、仮名の始まりと言われている「万葉仮名」です。

「かな」とは言っても見た目は漢語そのものですので、一緒になっていては見分けがつきません。

話し言葉として音しかなかった言葉に対して、表記する記号として漢語から同じような音の字を持ってきました。

この文字が時代とともに簡略化されていって、今使用されている「かな」となっています。



古代やまとことばを表記する文字として、漢語を使って世界にない独特の「かな」文字を造り出したわけです。

元をたどれば漢語に行きつきますが、「かな」は日本が生み出した自国の伝来の言葉を表記するための表音文字です。

漢語そのものは文字に意味がある表意文字ですが、その漢語から作られた「かな」は表音文字となっています。

話すための音を表しているにすぎませんので、文字に書きだしたときの表記そのものには音以外の意味がありません。

日本語の日常的な表記方法である「漢字仮名混用文」は、表意文字と表音文字が同居する世界でも類を見ない独特なものとなっています。


漢語から生まれた日本独特の表記方法は「かな」だけではありません。

漢字の訓読みと言われる読み方も、漢語から生み出した日本語ならではの表記方法です。

訓読みはほとんどの場合は「漢字+かな」で表記して、語幹の部分を漢字で表記し語尾の部分をかなで表記します。

音としては古代やまとことばの話し言葉の音を継承していますので表音文字ということができますが、もともとの漢字が表意文字ですので両方の性格を持った表記方法ということができます。

仮名だけで表記することも可能ですが、漢字で表記することによって意味するところがより鮮明になります。

文字として書き表すには一番日本語らしい表記方法と言えるのではないでしょうか。



漢語が導入された時点でも、日本にはすでに話し言葉としての「古代やまとことば」が存在していました。

漢語を理解するためには、「古代やまとことば」への翻訳が必要だったはずです。

漢語の音は「古代やまとことば」の音とは、かなりかけ離れたものです。

漢語を漢語の音でそのまま発音しても「古代やまとことば」としての意味はさっぱり分からなかったでしょう。

漢語を「古代やまとことば」の音に翻訳するために生み出されたものが「仮名」だったのではないでしょうか。


仮名を研究するときによく使用される文献が「古今和歌集」です。

序文に漢語として書かれた「真名序」と仮名として書かれた「仮名序」の両方が残っているからです。

「仮名序」とはいっても今のひらがなのようにきれいに省略された文字にはなっておらず、漢字の姿をしたものがたくさんあります。

「仮名序」を書したのは紀貫之だと言われていますが、「源氏物語」に続く「仮名文学」の基礎を作ったのが彼だと言われています。

「真名序」と「仮名序」の比較ができる「古今和歌集」は仮名研究のバイブルともなっています。



当初の仮名はすべて見た目は漢字と同じですので、大きさや列を変えたりしなければ漢字との区別はできなかったであろうと思われます。

また、翻訳した内容として送り仮名と読み仮名まで表記するとなると、見た目は漢字だらけのわけのわからないものなるはずです。

漢字との区別を明確にするために字体を変化させたり、字の一部を省略したりしたのではないかと思われます。

ひらがなとカタカナの区別は送り仮名と読み仮名を区別するためにできたのではないでしょうか。


漢語導入当時の中国は世界の最先端を行っている文明国です。

話し言葉だけしか持っていなかった日本に比べたら、漢語として持っている言葉は圧倒的に多かったはずです。

その文明にあやかろうと思ったら、漢語をそのまま使った方が楽だったはずです。

中国文明を一番積極的に取り入れたのが政治体制と仏教です。

その世界では漢語が公用語となり、公式文書は漢語の形でしか残っていません。

しかし、歌詠みをはじめとした日常言語は、話し言葉としての「古代やまとことば」が浸透していたと思われます。


一般的には、圧倒的な文明の差があるものがやってくると、その恩恵にあずかるためには媒体としての言語がどんどん侵略していくことになります。

しかし、日本語は圧倒的な差を持った文明の言語を使用して、独自の言語を継承してそのための新たな文字を作り出してしまったのです。

しかも、圧倒的な文明をその文明の持つ言語で吸収しながらです。

文字のない話し言葉だけの国が文字言語を伴った圧倒的な文明を導入したら、そのまま利用した方がはるかに楽ですし効率的だったはずです。

いったい何があったのでしょうか?


日本語は言語としての傑作だと思います。

古代の言葉をしっかりと継承しながらも、漢字やカタカナ、アルファベットを駆使して日々新しい言葉や文化を取り込んでいます。

日本語を母語とする者ならば誰でもが理解できる共通言語が、「訓読み漢字+ひらがな」です。

これが日本語のベースではないでしょうか。


世界の他の言語とは全く異なる日本語を母語とする私たちは、母語によって作られた脳の機能が他の言語話者とは異なっています。

それは、場面によってはメリットとしてもデメリットしても現れてきます。

国や文化の違いの元は言語によるものです。

交渉する時の相手は国や文化とするのではなく、人と交渉することになるはずです。

その人の母語がなんなのかは、今後ますます大きな要素になってくるのではないでしょうか。